エル・トゥールル号事件・東京オリンピック・太平洋戦争:感動的逸話への耽溺と構造的問題の放置

2021-08-15 16:30:30 | 歴史系

 

 

 

 

さて、前回のエル・トゥールル号事件の背景に関する記事に続き、なぜ過去のオリンピックに関する動画を取り上げたのかと言えば、それには二つの理由がある(なお、ここでは1964年の東京オリンピックの話はカバーしていないが、そちらについては『1964 東京ブラックホール』などを参照)。

1.
2020年のオリンピックの候補になっていた都市には東京の他にイスタンブールがあるが、開催地が東京になったことで日本は「トルコを二回救った」と一部で言われている(もちろんこれは皮肉だ)。

2.
感動的逸話を称揚するのはいい。しかし、それに目を奪われて問題の背景を無視することは、問題の放置へとつながり、結果として悲劇の連鎖を惹起する。その意味において、感動的逸話の強調は、失敗学や戦略的思考の欠落へと直結しがちだと言える。つまり、「いざ問題があっても気合で乗り切れる」という精神論を生み出し、それが「やる前から問題ばかり気にして実行できないと言うのは敗北主義だ」という価値転倒にさえつながっていくのである(精神力や忍耐力が重要であることと、それさえあれば何とかなる考え状況の冷静な分析や入念な準備、リスク管理を等閑視することは、全く別の話である。このはき違えが先の戦争の前にどのように顕れたかは、例えば片山杜秀の『未完のファシズム』などを参照されたい)。

 

今日は「敗戦の日」だが、先日行われたオリンピック(やそれを開催するための周辺のゴタゴタ)の顛末において、先の戦争で提起された「今さら止められない」という病理が、今回も観察されたと言っていい。選手たちの努力や成果、あるいは現場スタッフの奮闘は正しく評価するとしても、同時にそこで見られた構造的問題やその背景を分析・改善することもまた極めて重要なことのはずだ。

 

その観点で言うと、例えば最初の見積もりから遥かに超過した3兆円の負債は、今後どうやって回収していくのだろうか?無観客だったから観光などの収入は微々たるものだし、不動産価格が上がったわけでもない。せいぜいあるのは、ちょいちょい聞く「日本は良かった」という選手のコメントぐらい。まさかそれで、未だコロナ禍と自粛モードが続いて経済が疲弊し続ける状況に、何かしら特効薬となるようなプラスの作用が生まれる、などと思っているのだとしたら驚愕である。

 

まあそもそも、オリンピックを開催することによって、長く続く日本の閉塞ムードを打破した「ような雰囲気」を作りたかった(&自分のレガシーとしたかった)政治屋は大勢いるだろうから、一般市民がその結果どうなろうが選挙さえ勝てれば知ったことではないのだろう。

 

しかしそれにもかかわらず、「空気」に流されやすく感動ポルノに弱い多くの国民は、オリンピックに感動したことで何一つ解決してないのに何かをなしたような錯覚に陥り、大きなシステムはこのままでいいやと現状肯定をする(何も疑問を持たないというより、「散々不満は垂れながら、何とか忍耐で乗り切ろうとする」という表現がより正確か)。そしてそれを白けムードで見ている残りの少数派は、そもそもクソ過ぎて興味が湧きようもないので、変化させようとする動きにコミットしようとしない。

 

さらに言えば、「土産と関係性に関する小噺」で述べたような習慣によって、慣れ合い・もたれ合いの関係性が生み出されるため、改善への指摘や提案はあたかも「他者への攻撃」とみなされるような事態を惹起し、結果として人はそれを表立って行うのを忌避するようになる。こうして、「問題には気づいていてもなお放置されるがゆえに、まずい状態になるとリカバリーが極めて難しい」というのが日本の宿痾と言える(これについては、客観的に見ればありえない戦艦大和の沖縄派遣が決定された理由を当時の関係者が問われて、「わかってはいたが、あの場にいたらそれは言えなかった」と証言していることを想起されたい)。

 

というわけで、何も変化しないか、変化したとしても遅々としたもので時勢の変化には全く追い付かず、社会全体が近い将来「貧すれば鈍する」とばかりに身動きが取れくなり(まさにオスマン帝国末期の如し)、瀕死の寝たきり状態で激痛に耐えながら死ぬこともできずに生き続ける、という環境に追い込まれる(たまに「滅びる」とか叙情的な言辞を目にするが、楽に死ねるなんて思わん方がええよ、て話)、という次第である。ちなみに、今回のオリンピックで日本政府や日本社会を批判したとしても、確実に「IOCが悪い」という逃げ道があるので、それで紛糾して議論倒れになる、という状況すら目に浮かびますわ。

 

さて、1で言ったトルコに話を戻すと、日本とは状況が違うのでイスタンブールでオリンピックを開催したとして全く同じ問題が起こっただろうとは言えないが、様々物議を醸すエルドアン政権にこの対応が降りかかったら、色々な負担と不満で紛糾し、そこにクルド人問題など様々な問題や不満が複合的に惹起して深刻な事態を引き起こした可能性はある。その意味では、まさしく「日本は二度トルコを救った」と言えるだろう(繰り返すがこれは皮肉だ)。

 

また2で述べたシステムに目を向けるべきという話だが、これも前に述べたように、今回のオリンピックやその周辺状況は日本が変われない国家だと示した一種の「死亡診断書」に近いと私は考える。より正確に言えば、まだ様々なポテンシャルを日本は残しているのだが、根本的なシステム変更をする努力はせず、弥縫策と現場の努力で誤魔化す習性をやめないので、病状が緩和することは望みがたい、というところか(医者から正しい治療法を提示されても、それを守らなければ病気は治らないか治りが遅くなるのと同じだ)。

 

その意味で、現場の奮迅と感謝・感動についての情報のみが取り沙汰されるエル・トゥールル号事件も、先の戦争で亡くなっていった兵士たちにばかり注目しがちな(&その結果批判能力を失う)のも、オリンピックの感動に浸って様々な問題をスルーするのも、なべて同種のエートスが観察されるという意味で興味深い、と言えるのではないだろうか。

 

そのような共通性を指摘したところでこの稿を終えたい。


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