野川シリーズとして支流である仙川を歩こうと思っています。実際に歩くのは9月以降ですが、涼しい日がある今のうちに下見をしておきます。
地図で辿ってみるととぎれとぎれに川がありGoogleマップで見ても様子がわからないところが多く、下見が必要と判断しました。
小金井市本町の公園
武蔵小金井駅は本町にあり、この町に市役所があることから小金井の中心地と見て間違いないようです。小金井は「黄金」のような貴重な水源を意味しており、国分寺崖線からの湧水により古くから人が住むのに適していたのでしょう。武蔵の国の国府、府中とも隣接しており家康が江戸を開発する前は、東国の中心地でした。遊んでいる子供が多いので微妙ですが、ここでストレッチが出来るかな。
けやき通り
学芸大学
公園がある上之原通りの一本北側にけやき通りがあり、その突き当りが東京学芸大学になります。大学についてWikipediaから概観を引用します。
1949年(昭和24年)にそれまでの東京府立の東京府師範学校や東京府女子師範学校から派生した4つの師範学校(東京第一師範学校・同女子部、東京第二師範学校・同女子部、東京第三師範学校、東京青年師範学校)を母体に統合してできた大学である。
全国の教員養成機関は、それまでの「師範学校」(ノーマル・スクール)から米国のリベラル・アーツ・カレッジに倣って大学に昇格したため、それを日本語に訳した「学芸大学」・「学芸学部」を名乗っていたが、1966年(昭和41年)の法律の改正により、より大学の性格を明瞭化した「教育大学」・「教育学部」へと一斉に改称した。しかし、都内には東京教育大学(現・筑波大学)がすでに存在していたため、大学名「東京学芸大学」はそのままで、「学芸学部」を「教育学部」に、「学芸専攻科」を「教育専攻科」(1988年(昭和63年)廃止)に変更するにとどまった。
また、同年には大学院教育学研究科(修士課程)が設置された。
1988年に、それまでの幼稚園・小学校・中学校・高等学校などの教員を養成する「教育系」に加えて、教員免許状の取得を必須としない「教養系」(いわゆるゼロ免課程)が発足した。これにより幼・小・中・高の教員だけでなく、多様な方面へも人材を輩出している。
1996年(平成8年)には、本学・埼玉大学・千葉大学・横浜国立大学の教育学部(教育人間科学部)および教育学研究科からなる「東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科」が設置された。これは、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科(兵庫教育大学、上越教育大学、鳴門教育大学、岡山大学)とともに、国内で初めて教員養成系大学・学部に設置された博士課程である。
教育学の実践研究および教育実習を行う機関として、附属幼稚園1園(2園舎)、附属小学校4校、附属中学校3校、附属高等学校1校、附属国際中等教育学校1校、附属特別支援学校1校、合計12の附属学校・園を併設している。
大河ドラマ「いだてん」が女子体育教育を進めているのが東京第二師範学校女子部(通称竹早)は学芸大学の流れですが、嘉納治五郎が校長を務めるのは東京高等師範で東京教育大学、筑波大学の流れですね。私が小学生の頃には「先生は青山師範の出で」なんて話を聞いたことがあります。中学時代の恩師山川先生は東京学芸大学の出身でした。
仙川上流端
裏から見た様子
小金井市貫井の新小金井街道沿いにこの上流端はあります。ここから野川合流点まで歩けば、仙川制覇となるでしょう。
本町住宅内の仙川
このあたり水は流れていません。暗渠になっていないということは、雨水が流れ込んだりするのか、このあたりの住宅開発時、下水として転用する必要がなかったのか。
本町住宅内のユリ
山王窪の築樋
山王稲穂神社
玉川上水から引いた用水と仙川を交差させるための築樋があったようです。
仙川
このあたりも水の流れはないのですが、ぎりぎりまで住宅が建ってしまっているので川沿いを歩けないところが多く出てきます。
大松木之下の稲荷
小金井街道と北大通りの交差点にありました。大松が目印だったのかもしれませんね。
本町三丁目の仙川
北大通りからほぼ直角に北へ流れを変えます。ここも川沿いの道がないので、川と並行している道を行きました。
南陣屋橋
桜町と緑町の境にあるこの橋から、川沿いに細い通路がありました。ここを歩くかどうかちょっと微妙ですが、ここを歩かないとまたまたけっこうな遠回りとなるので考えどころです。
ネムノキ
浴恩館
じろうばし
浴恩館は小金井市の文化財センターです。小金井市のページから引用します。
文化財センターは、市内から発見された考古資料・古文書・民具等の文化財を保存・展示し、身近な郷土の歴史に親しんでいただくための施設です。
この建物は、「浴恩館」と呼ばれ、昭和5年(西暦1930年)から青年団講習所として使われた由緒のある建物です。講習所長であった下村湖人の小説『次郎物語』の舞台としても知られ、空林荘と共に、市史跡に指定されています。
梶野町の仙川
緑町内は川沿いにほとんど道はなく、梶野町へ移動してきました。この写真の右側に母校の高校があるのですが、私が通っていたころは移転前の文京区後楽にあったもので、母校という意識は持っていません。
ブルーベリー
小金井公園に近いこの辺りは畑が多いですね。
桜堤の仙川
ユリ
現在は巨大マンション群となっていますが、かつて公団の団地があったようです。いつの間にか水が流れ、川で遊ぶ家族の姿がありました。
武蔵野市境の仙川
亜細亜大学の中を流れてゆくので、このあたりも川沿いを歩くことができません。この日の下見はここまで。川沿いを歩けないことを確認した下見となりました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
地図で辿ってみるととぎれとぎれに川がありGoogleマップで見ても様子がわからないところが多く、下見が必要と判断しました。
小金井市本町の公園
武蔵小金井駅は本町にあり、この町に市役所があることから小金井の中心地と見て間違いないようです。小金井は「黄金」のような貴重な水源を意味しており、国分寺崖線からの湧水により古くから人が住むのに適していたのでしょう。武蔵の国の国府、府中とも隣接しており家康が江戸を開発する前は、東国の中心地でした。遊んでいる子供が多いので微妙ですが、ここでストレッチが出来るかな。
けやき通り
学芸大学
公園がある上之原通りの一本北側にけやき通りがあり、その突き当りが東京学芸大学になります。大学についてWikipediaから概観を引用します。
1949年(昭和24年)にそれまでの東京府立の東京府師範学校や東京府女子師範学校から派生した4つの師範学校(東京第一師範学校・同女子部、東京第二師範学校・同女子部、東京第三師範学校、東京青年師範学校)を母体に統合してできた大学である。
全国の教員養成機関は、それまでの「師範学校」(ノーマル・スクール)から米国のリベラル・アーツ・カレッジに倣って大学に昇格したため、それを日本語に訳した「学芸大学」・「学芸学部」を名乗っていたが、1966年(昭和41年)の法律の改正により、より大学の性格を明瞭化した「教育大学」・「教育学部」へと一斉に改称した。しかし、都内には東京教育大学(現・筑波大学)がすでに存在していたため、大学名「東京学芸大学」はそのままで、「学芸学部」を「教育学部」に、「学芸専攻科」を「教育専攻科」(1988年(昭和63年)廃止)に変更するにとどまった。
また、同年には大学院教育学研究科(修士課程)が設置された。
1988年に、それまでの幼稚園・小学校・中学校・高等学校などの教員を養成する「教育系」に加えて、教員免許状の取得を必須としない「教養系」(いわゆるゼロ免課程)が発足した。これにより幼・小・中・高の教員だけでなく、多様な方面へも人材を輩出している。
1996年(平成8年)には、本学・埼玉大学・千葉大学・横浜国立大学の教育学部(教育人間科学部)および教育学研究科からなる「東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科」が設置された。これは、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科(兵庫教育大学、上越教育大学、鳴門教育大学、岡山大学)とともに、国内で初めて教員養成系大学・学部に設置された博士課程である。
教育学の実践研究および教育実習を行う機関として、附属幼稚園1園(2園舎)、附属小学校4校、附属中学校3校、附属高等学校1校、附属国際中等教育学校1校、附属特別支援学校1校、合計12の附属学校・園を併設している。
大河ドラマ「いだてん」が女子体育教育を進めているのが東京第二師範学校女子部(通称竹早)は学芸大学の流れですが、嘉納治五郎が校長を務めるのは東京高等師範で東京教育大学、筑波大学の流れですね。私が小学生の頃には「先生は青山師範の出で」なんて話を聞いたことがあります。中学時代の恩師山川先生は東京学芸大学の出身でした。
仙川上流端
裏から見た様子
小金井市貫井の新小金井街道沿いにこの上流端はあります。ここから野川合流点まで歩けば、仙川制覇となるでしょう。
本町住宅内の仙川
このあたり水は流れていません。暗渠になっていないということは、雨水が流れ込んだりするのか、このあたりの住宅開発時、下水として転用する必要がなかったのか。
本町住宅内のユリ
山王窪の築樋
山王稲穂神社
玉川上水から引いた用水と仙川を交差させるための築樋があったようです。
仙川
このあたりも水の流れはないのですが、ぎりぎりまで住宅が建ってしまっているので川沿いを歩けないところが多く出てきます。
大松木之下の稲荷
小金井街道と北大通りの交差点にありました。大松が目印だったのかもしれませんね。
本町三丁目の仙川
北大通りからほぼ直角に北へ流れを変えます。ここも川沿いの道がないので、川と並行している道を行きました。
南陣屋橋
桜町と緑町の境にあるこの橋から、川沿いに細い通路がありました。ここを歩くかどうかちょっと微妙ですが、ここを歩かないとまたまたけっこうな遠回りとなるので考えどころです。
ネムノキ
浴恩館
じろうばし
浴恩館は小金井市の文化財センターです。小金井市のページから引用します。
文化財センターは、市内から発見された考古資料・古文書・民具等の文化財を保存・展示し、身近な郷土の歴史に親しんでいただくための施設です。
この建物は、「浴恩館」と呼ばれ、昭和5年(西暦1930年)から青年団講習所として使われた由緒のある建物です。講習所長であった下村湖人の小説『次郎物語』の舞台としても知られ、空林荘と共に、市史跡に指定されています。
梶野町の仙川
緑町内は川沿いにほとんど道はなく、梶野町へ移動してきました。この写真の右側に母校の高校があるのですが、私が通っていたころは移転前の文京区後楽にあったもので、母校という意識は持っていません。
ブルーベリー
小金井公園に近いこの辺りは畑が多いですね。
桜堤の仙川
ユリ
現在は巨大マンション群となっていますが、かつて公団の団地があったようです。いつの間にか水が流れ、川で遊ぶ家族の姿がありました。
武蔵野市境の仙川
亜細亜大学の中を流れてゆくので、このあたりも川沿いを歩くことができません。この日の下見はここまで。川沿いを歩けないことを確認した下見となりました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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