新・落語で読む法律講座 第8講
商家へ年期奉公に出していた倅(せがれ)の亀吉が、薮入りで初めて家に帰ってくる。
両親はその前の晩から嬉しくてたまらない。
父親なんぞは「明日帰ってきたら、どこへ連れて行ってやろうか、なにを食わせてやろうか」などと考えて、一睡もできずにいる。
朝早くから家の前を掃除しながら待っていると、ようやく亀吉が帰ってきた。奉公に出して数年ぶりの親子対面だ。
かつて甘えん坊で悪戯小僧だったのが、存外しっかりしていて、礼儀正しく、いっぱしの挨拶なんぞするものだから、両親とも大いに感激してしまう。
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薮入りとは、住込みの奉公人が、1月と7月の16日前後に休暇をもらって実家に帰ることをいう。
この2日間は、地獄の閻魔大王さえ休業するということから、元禄のころより習慣となったらしい。当時は、現代の小学生くらいから丁稚奉公に出ていた。
都市部より草深い田舎に帰るため、「薮入(やぶい)り」と呼ぶようになったともいわれるが、定かではない。
それにしても、何年も奉公していながら、年にたった2日だけの休暇とは、なんとも厳しい話ではある。
しかし、現代において、そんな過酷な労働条件は通用しない。
6ヵ月間継続勤務し、全労働日の8割以上出勤した労働者に対しては、10労働日の年次有給休暇を与えなければならない(労働基準法39条)。
この6ヵ月の継続勤務とは、その実態に基づいて判断するので、たとえ短期間契約で働いているパートタイマーでも、契約更新により実質6ヵ月の勤務となれば、8割以上出勤している場合、有給休暇が認められることになる。
有給休暇は、労働者の当然の権利だから、企業の側の都合で、労働者からの有休請求を拒否することはできない。
要するに、有給休暇とは自由に取得できるものだ。
このことは、企業規模の大小を問わない。「うちの会社は、社員が少なくて忙しいから……」などといった経営者の言い訳は通用しないのである。
ただし、使用者には、いわゆる時季変更権がある。労働者が指定してきた時季が「事業の正常な運営を妨げる場合」は、それを変更して、他の時季に与えることができる。
もし、経営者が「その日は忙しいので困るよ。他の日に休んでくれ」というのであれば、この時季変更権を行使しようとしていることになる。
しかし、単に「繁忙」といった業務上の都合だけでは、「事業の正常な運営を妨げる場合」とはいえないことに注意しなければならない。
里心がつくという理由から、奉公に出されると、はじめの数年間は薮入りも認められないのが一般的だった。
権利ばかりを声高に主張する割には、与えられた義務を果たそうとしない者が大きな顔で横行できる、そんな時代ではなかったのであろう。
かわいい我が子を奉公に出した親と、久し振りに里帰りする子供、まさに「薮入りや、なんにもいわず、泣き笑い」である。
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亀吉を銭湯に行かせている間、父親が倅の紙入れの中から五円札3枚を見つけた。そのような大金を得られるはずもなく、悪い心でも起こしたのだろう思い、怒った父親は、湯から戻った亀吉を殴りつける。
母親が、泣き出す亀吉をなだめながら訳を聞けば、実は鼠捕りのお触れが出たから、捕まえて交番に持っていったところ、それが懸賞に当たり、主人が預ってくれた賞金を今日の宿下がりに持たせてくれたという。
安心した両親が「お前がご主人さま大事で勤めたから、こんなお金がいただけたんだ。これからも、ご主人を大切にしろよ。これもやっぱりチュウ(忠)のおかげだ」。
【楽屋帳】
昔、奉公制度がまだあった時代に、奉行人が正月・盆に休暇をもらい実家に帰るようすを語ったもので、先代(三代目)三遊亭金馬や桂福団治の口演で知られる。とくに奉公の経験がある金馬師の噺には説得力があった。
天保15(1844)年、日本橋小伝馬町の呉服屋・島屋吉兵衛方で、番頭が小僧をレイプし、気絶させたという事件があった。元々はこの実話を題材に作られた噺らしい。その設定も亀吉が男色の番頭に貰った小遣いだったが、初代柳家小せんが明治末期に布告された「鼠の懸賞」を織り込んで改作した。
ちなみに、男色レイプが事実ならば、正真正銘のパワー・ハラスメントに該当する。民事的には損害賠償を請求できるし(民法415・709・710・715条)、刑事上も強制わいせつ・暴行・傷害(刑法176・204・208条)等で告訴することが検討できる。
パワハラで悩んでいるならば、
法テラスなど専門の機関に相談してみよう。