菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

分離条項(Severability)

2012-01-25 00:00:00 | 国際法務
国際法務入門 第15回

 分離条項とは、次のように、契約書の中の一部の条項が無効でも、そのほかの条項の効力には影響しないということを定めるものである。

 If any provision of this Agreement is later hold invalid, the remaining provisions shall continue to be valid.
(本契約書中の一部の条文が後に無効と判断されても、残りの条項は引き続き有効である。)

 特に国際取引においては、分離条項を規定しておかなければ、不都合が生じる場面が想定される。たとえば、不誠実な当事者の場合、意図的に自国法では無効と解釈されるような条項を契約書に混入させておきながら、契約締結の後、当該当事者にとって問題となる事象が発生した時点で、かかる条項の存在を理由に契約の無効を主張し、自らの義務を免れようとする可能性は否定できない。

 たとえ分離条項がなくても、禁反言(estoppel)* や信義則違反によって処理することもできなくはないが、後日の無用な紛争を回避するためには、あらかじめ契約に規定しておくべきであろう。


*禁反言とは、衡平法(equity)に由来する原則であり、自己の表明した事実を相手方が信頼して行動したときには、これに反する事実を主張することが禁止されるという法理である。


(次回へ続く)

国分寺市・人権講座に登壇

2012-01-21 18:30:00 | 日記

 本日1/21、国分寺市 並木公民館 「人権講座 『私』の中にある人権意識」第1回に出講させていただきました。


     


 「噺(はなし)から人権問題が見えてくる -落語にみる人権意識」

第一部 落語 、『妾馬』 金原亭駒与志

第二部 講演 『落語にみる人権意識』 菅原貴与志

1.落語「妾馬」を題材に
(1)お鶴の方さま    ~ 一夫多妻制の許容
(2)お世とり      ~ 長子相続の合理性
(3)士農工商      ~ 近代化以前の身分制度

2.平等の歴史的沿革
(1)近代化と四民平等  ~ 身分から契約へ
(2)現代化と男女同権  ~ 憲法14条と現代社会

3.日本国憲法の基本構造
(1)究極目的は「個人尊厳の確保」
(2)平等権を保障することの意味
(3)達成手段としての「民主主義」と「権力分立」

4.江戸期の人権意識
(1)屋敷と長屋の違い  ~ 江戸期の人口比と男女の力関係
(2)相続法の不存在   ~ 近代的な長子相続
(3)江戸期ビジネスにおける契約自由

5.その他


 参加者の皆様方のご清聴に感謝いたします。


『初天神』 何か買っとくれよ……

2012-01-19 06:44:42 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第14講

 倅(せがれ)の金坊がいない間に、初天神のお参りに行こうと支度をしていた熊五郎。出かけようとするところに、金坊が外から帰ってきた。一緒に連れていってほしいと言う金坊に、絶対に物をねだらないと男の約束をさせて、渋々連れて出る。
 
 天神様への道すがら、親をやりこめるような生意気を言いながらも、物をねだらないでいた金坊であったが、
「おとっつぁん、今日はえらいだろ。買ってくれと今まで言わなかったから……。ねェ、ご褒美だからさ……何か買っとくれよ」
とせがみはじめた。

 熊さんが「ミカンは酸っぱいから毒だ、干し柿も腸が冷えるから毒だ、リンゴは値段が高いから毒だ」などとやり過ごしていたら、次には「飴だったら買ってくれる?」とねだる。

「飴屋があれば買ってやる」、「後ろの店で売ってる」と、ついに飴玉を買わされる羽目に。飴を舐めながら参道を歩いていた金坊が「飴を落としてしまった」と泣きだす。
「どこに落とした?」
「のどの穴の中に……」
「食ってしまったんじゃねぇか」
「だから、団子を買ってくれ」。
泣きながら大声で迫るので、仕方なく蜜つきの団子を買った。
 
 飴も団子も食べ終わったら、今度は「凧を買って」熊五郎「だから金坊なんか連れて来るんじゃなかった」。
 親子で凧揚げしようと広場へ行くが、熊さんが夢中になって金坊に糸を渡さず、あげくのはてに「凧上げなんてものは子供のするもんじゃない」と取り合わない。
金坊「あーあ、こんなことなら、おとっつぁんなんか連れて来るんじゃなかった」。

     

 初天神とは、天満宮で正月25日に行われる年明け最初の縁日である。
 例年この日は、全国各地の天神様の境内やその界隈に露店が立ちならび、熊五郎・金坊親子のような大勢の参拝客らで賑わう。ちなみに、天満宮に祀られる菅原道真公が筑紫国太宰府に左遷されたのも、延喜元(901)年の1月25日のことである。
 
 倅の金坊は、もちろん20歳未満であるから、法律上、未成年者ということになる(民法3条)。そして、未成年者が契約などの法律行為をする場合には、法定代理人の同意を得ることが必要であり、同意がなければその契約を取り消すことができる(同法4条)。
 この制度は、未成年者の能力が一般的に不十分と思われることから、法定代理人が不十分な部分を補うこととし、契約などが円満に行われるよう未成年者の保護を図ったものである。未成年者の法定代理人には、原則として親権者である父母がなる(同法818条)。
 
 したがって、金坊が飴や団子を買おうとすれば、それも売買契約という法律行為だから、父親の熊五郎の同意を得なければならない。金坊が「買っとくれよ」と甘えてせがむのも、法律的には法定代理人の同意を得る行為ということなのである。
 
 しかし、金坊のような子供ならばともかく、高校生くらいの未成年者が、いちいち親の同意を得て文庫本を買ったり、レンタルのDVDやビデオを借りたりはしないのが一般的だろう。それでも、法定代理人の同意がないことを理由に、後で取り消されてしまうのか。
 実は、未成年者が法定代理人の同意を得ずに単独でなしうる行為が三つあり、その場合には同意を得ていないからといって取り消すことはできない。
 
 ひとつは、単に権利を得たり、義務を免れるような行為である(民法4条1項但書)。
 たとえば、プレゼントをもらったり、借金を棒引きしてもらうような場合だ。このような行為においては、未成年者の得になることはあっても、別に損になるおそれはないから、法定代理人の同意は要求されない。

 第二に、法定代理人が目的を定めて処分を許した財産を、その目的の範囲内で処分する場合がある(同法5条)。熊さんが「金坊、参道の露店で好きなものを買ってこい」と小遣いを渡したのならば、その範囲で金坊も小遣いを自由に使える。
 
 三つ目としては、法定代理人が営業を許可した場合だ(同法6条1項)。最近では、IT関連のベンチャーを起業する大学生もいる。たとえ未成年者であっても、企業の経営者して一人前に扱ってもらえなければ、当人も相手方も不便でならない。

 いずれにせよ、例外的な場合でなければ、未成年者は単独で完全に有効な契約を行うことはできず、契約するには法定代理人の同意を得るか、法定代理人が未成年者に代わって契約を行うことが必要なのである。

 このように、もし同意がなければ、未成年者の行った契約は、未成年者またはその法定代理人から一方的に取り消されるおそれがある。いくら未成年者保護のための制度とはいえ、契約が取り消されると、その契約は初めから無効とみなされるから(民法121条)、取引の相手方としてはたまったものではない。

 天神様の露店と金坊のような対面取引であれば、背格好を見て未成年者かどうかを判断することもできなくはない。しかし、昨今のオンラインショッピングのような電子商取引の場合には、そもそも相手の顔が見えないので心配だ。
 では、未成年者の取消を回避するために、どのような手段を講じておけばよいのだろうか。
 
 とにかく「何歳ですか?」と取引相手の年齢を確認することである。電子商取引ならば、ウェブ上に年齢を確認する画面を入れるとよい。
 このときに20歳以上であると回答した場合には、もはや未成年者としての保護を受けることができず、取消権の行使も制限されてしまう(民法20条)。これには、自分が未成年者であると積極的に騙した場合だけでなく、確かに未成年だとは言わなかったけれども、他の言動と相まって相手方を誤信させたり、または誤信を強めさせたと認められるような場合も含まれている。
 
 要するに、女性が若く年齢を偽るのはご愛嬌だが、未成年者が大人のふりをするのは考えものなのである。

     

 この『初天神』、現在も多くの落語家によって口演されている。とくに柳家小三治師、上方では笑福亭仁鶴師の噺が明るくていい。
 
 ところで、まだ筆者が大学の落語研究会時代、上野本牧亭の六代目圓生師独演会に行ったときのことである。
 最晩年の六代目の高座には言い違いが目立ったが、この日の前座の『初天神』は印象的であった。親子の会話がいきいきとしていて、凧揚げの所作もきれいだった。上手な若手がいるものだ……と感心した前座(ただし、本当はこの時点で二ツ目に昇進していた)が、青山学院の落研から先代圓楽師に弟子入りしていた、若き日の楽太郎、現在の六代目三遊亭円楽師匠である。
 
 その後、円楽師とは、偶々仕事の関係で与論島へ同行し、このころ筆者が江東区の下町に住んでいたことから、東陽町にあった円楽党の寄席「若竹」にも通うようになって、以来ご交誼をいただいている。

 江東区の天神様といえば、亀戸天神。近所だったので、当時は散歩がてらによくお参りをした。筆者が司法試験に合格できたのも、努力一割、運二割、あとの七割は天神様のご利益(りやく)のおかげだと思っている。



【楽屋帳】
 『初天神』は、父子の情愛が全編にあふれ出ている楽しい一席。「あれ買って、これ買って」と道ばたで駄々をこねる子どもも、いまではあまり見かけなくなった。天神様を題材にした落語はほかに『質屋庫(しちやぐら)』などがある。
 ところで、江戸時代、父親はどのくらい子育てに関与していたのであろうか。封建時代は男尊女卑の社会だったと思われがちだが、江戸時代中期(1720年ころ)の町方人口は男性100人に対し女性55人と、意外に女性が少なかっため、現実には割りと女性優位の社会であり、男性も家事や子育てに協力するのがごく普通のことだったらしい。

大事なことは学問・修養

2012-01-13 00:00:00 | 伝える言葉
◆伝える言葉(1)◆


 人間は努力さえすればなんとかなる、どころではない、必ず大したものになる。努力が足りぬからうだうだに終わってしまう。大事なことは学問・修養であります。  (安岡正篤)



 安岡正篤は、戦前戦後を通じて活躍した陽明学者であり、東洋思想家である。特に東洋政治哲学や人物学の権威として、政財界人の啓発および教化に努めた。過去の経済界のリーダーには、その影響を大きく受けている人が多いという。
 かの昭和の名横綱双葉山定次もその心酔者の一人で、70連勝成らず安芸ノ海に敗れたとき、ヨーロッパの旅で船に乗っていた師安岡のところへ「イマダ モッケイタリエズ フタバ(未だ木鶏たり得ず 双葉)」と打電したという話は、あまりにも有名である。
 この安岡正篤がその講話の中で、学ぶことの意義について、上記のように述べている。

放棄条項(No Waiver)

2012-01-07 00:00:00 | 国際法務
国際法務入門 第14回

 放棄条項とは、相手方当事者に契約上の不履行があった場合、たとえ当該不履行に対して行使できるはずの権利を行使しなかったからといって、その当事者の権利が放棄されたとはみなさない、という条項のことである。国内契約書では規定されることがほとんどない条項だが、英文契約書には一般的な条項である 。

 No waiver of any right hereunder shall be deemed to be a waiver of the same right on any other occasion.
(本契約に基づく権利をいったん放棄しても、それは他の機会における同じ権利の放棄とはみなさない。)

 たとえば、賃貸借契約上、「賃借人が2カ月以上の賃料の支払いを怠ったときは、賃貸人は、賃借人に対し、何らの通知・催告を要せず、直ちに契約を解除することができる」という定めがある場合、賃借人が3カ月遅滞して過去分の賃料を支払ったが、賃貸人が特段の異議を申し立てなかったとする。その後、賃借人が再び賃料支払い怠ったため、賃貸人が賃借人に解除を通知した場合にも、仮に賃借人側から「賃貸人は、前回も遅滞した賃料を異議なく受領したのだから、その解除は無効である」と主張できるとするならば、賃貸人は到底これを許すことができないであろう。

 そこで、このような主張を遮断するために、あらかじる契約に放棄条項を規定するのである。これにより、相手方の不履行に対し、たとえ契約上の権利を行使しなかったとしても、その後の不履行を容認したことにはならないことを明示したことになる。

 国際取引契約には放棄条項が一般条項として規定されるのが通例であることから、その反対に放棄条項を盛り込んでおかなければ、不誠実な債務者から「権利放棄を容認する意思あり」などと主張される危険性もあるため、注意が必要であろう。


(次回に続く)

講義録: 株式会社の基本構造(3) ~所有と経営の分離(前編)

2012-01-03 00:00:00 | 会社法学への誘い

 下の図をみてください。

     

 株主は、株主総会を組織し、総会を通じて会社経営の執行部を選任します。その意義をもう少し詳しく考えてみましょう。先ほどのキャッシュ・フローを別な面からみれば、株主は株主総会を通じて経営者を選び、有能な経営者が金儲けをしてくれた結果、その利益は自分のところに戻ってくるという循環システムになります。

 これは、日本の国の統治機構とよく似ていますね。国民は代表者を選び(憲法1条・15条)、代表者は議会を構成します(同法41条)。そして、議会の信託を受けた政府が構成され(憲法67条・68条)、政府は国民に福利を享受させます(同法64条・25条)。これを「よし」とした国民は同様の投票行動に出ますし、不満に思った国民は別な代表者を選ぶ、というのが民主主義の循環システムです。このように、会社の組織構造と国の統治機構はよく似ているように思えますが、その意義をもう少し会社法的に詳しく考えてみましょう。

 何度も説明しているとおり、株式会社は、営利を目的としています。したがって、ごく簡単に表現すれば、上手に金儲けができる組織でなければなりません。したがって、会社が営利を目的とする以上、会社法は、「金儲けにとって最も合理的・効率的な組織運営はいかにあるべきか」を前提に条文の仕組みをつくっているのです。

 ここで歴史が証明する一つの事実があります。それは「金のある奴が、必ずしも金儲けが上手いとは限らない」ということです。逆にいえば、たとえ今、金に困っていても、商才に長けている人間はいくらもいます。たとえば、非常に金回りはいいのだけれども、商売が下手な友だちがいる一方で、ふだんはどうもぱっとしないが、大学祭で模擬店などをやらせてみると、妙に繁盛してしまうような仲間が周りにもいらっしゃると思います。

(次回に続く)

賀 正

2012-01-01 00:00:00 | あいさつ

新年あけましておめでとうございます。

謹んで新春のお慶びを申し上げます
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

                  平成24年元旦

                         菅原貴与志

        
(上の画は、菅原『北の初春』)