菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『粗忽長屋』 おれはだれだ?

2011-04-20 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第5講



 長屋に隣り合わせに住んでいる八五郎と熊五郎、どちらも大変な粗忽(そこつ)者である。
 ある日、まめでそそっかしい八っぁんが、浅草の観音様に参詣し、雷門を出てくると、まさに黒山のような人だかり。人をかきわけて中を見てみれば、行き倒れの死体があった。

 その顔を見ると、同じ長屋の熊さんにそっくりなので
「あっ、熊の野郎だ! 今朝、こいつのところへ寄ったら、なんだかぼんやりしてると思った」
「よく気を落ち着けなくっちゃあいけない。お前さん、今朝、寄ってきたというが、これはここへ昨夜(ゆうべ)行き倒れになったので……」
といわれても
「昨夜死んでるのに、まだ気がつかずにいやあがるんだ。今じきに当人を連れてくるから」と八っぁんは、長屋にとんで帰る。
 
 ずぼらでそそっかしい熊さんの話を聞いてみると
「どうも死んだ心持ちがしねえ」
 といいながらも、昨夜吉原へ素見(ひやかし)に行って、馬道(うまみち)で酒を飲み、観音様のわきを抜けたが、後はよく覚えていないという。
 
「それみろ。お前はそそっかしいから死んだのにも気が付かねぇんだ。早く自分の死骸を引きとりに行かなくっちゃあいけねえ」と
八っぁんは熊さんを引っ張って行く。

 熊さん、行き倒れの死骸を抱きあげて、
「俺ァわからなくなっちまった」
「なにが」
「この抱いている死骸はたしかに俺だが、抱いてる俺は一体だれだろう……」

     *  *  *

 粗忽者(慌て者)が登場する滑稽噺の代表作、ご存知『粗忽長屋』である。落語家初の人間国宝、五代目柳家小さんの口演を聴いたという方も多かろう。



 死骸の引き取りをぐずる熊五郎に向かって、八五郎は「手前(てめえ)のものを手前が引きとりに行くのに、言いわけのしようがねえ」などと迫っているが、遺体や遺骨の所有権は、慣行上の喪主あるいは祭祀主催者が取得することになっている。自分で自分の喪主をつとめることなどありえないが、そこは何でもありの落語の世界だ。
 
 ところで、このように、往来に人間の変死体が転がっていれば、どのように処理されるのだろうか。
 たんなる自然死かもしれないし、自殺の可能性もある。場合によっては、犯罪に関係しているかもしれない。

 殺人事件や交通事故、あるいは死因不明など、何らかの犯罪被害に遭遇した可能性が高い場合には、鑑定処分許可状という裁判所の令状を得て、法医学教授などの専門家が司法解剖することとなる(刑事訴訟法129条・168条1項)。
 
 司法解剖に対して、犯罪とは一見無関係な不自然死の場合にも、念のため死因を究明する目的で行われるのが、いわゆる行政解剖だ(死体解剖保存法参照)。
 
 昭和61年5月、当時33歳の女性が、旅先の沖縄県石垣島で死亡。
 当初、急性心筋梗塞として死体検案書が発行されたが、その後、行政解剖時に採取・保存された死体の血液からアコチニンが検出され、世間は騒然となった。これが世にいう「トリカブト殺人事件」である。

     *  *  *
 
 したがって、この噺の行き倒れのケースでも、本来ならば行政解剖をすべきだ。
 
 たしかに現在の日本では、病院で医師に看取られながら、病気のために死亡する人が圧倒的に多い。しかし、その一方では、死亡者の約一割が異状死である。
 
 保険金目当てに、長屋の隣人らが酒を多量に飲ませ、泥酔状態となった被害者を殺害後、酒瓶を抱かせて路上に放置したのかもしれない。
 
 ひょっとしたら、真犯人が証拠の隠滅を企てて、死体を持ち去ろうと……?



【楽屋帳】
 原話は寛政年間(1789~1800)の笑話本『絵本噺山科』にある。これにさまざまな肉付けがほどこされ、現在の噺になった。舞台は江戸の浅草寺。そっくりの噺に『永代橋』がある。故人では、古今亭志ん生(五代目)、柳家小さん(五代目)、金原亭馬生(十代目)、桂文朝(二代目)などの口演で知られる。
 死体解剖保存法とは、人体の解剖を行う医師や法医学の専門家が遵守しなければならない法律で、死体に対する尊厳を最大限尊重し、意のままに死体や臓器を扱うことを厳に戒めている。原則として、死体の解剖を行うものは保健所長の許可を必要とするが、司法解剖や行政解剖の場合には、その許可が要らない(同法2条2・3号)。
 今年1月、京都市で開催の「人体の不思議展」で展示された標本について、厚生労働省が「標本は遺体」との見解を示し、京都府警も捜査する方針を固めたとの報道があったが、その違法性の有無で問題となったのも、この死体解剖保存法である。

馬吉・駒与志チャリティー二人会

2011-04-19 00:00:00 | あいさつ
東北地方太平洋沖地震 義援プログラム
五月霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」

5/25霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」の木戸銭は、被災地の自治体に義援金として直接送られます。

ただいまWeb上で申込受付中です。  ← 残席少々・申込みはお早めに

 と き:平成23年5月25日(水)
 開演時刻:18:45~
 出演者:金原亭馬吉、金原亭駒与志
 木戸銭:2,000円
 ところ:霞が関ナレッジスクエア「スタジオ」
 (千代田区霞が関3-2-1霞が関コモンゲート ショップ&レストラン西館3階)

ぜひ金原亭駒与志の世界をご参照ください。

法律家に必要な資質とは(2)

2011-04-15 00:00:00 | 法曹への志し
本気(マジ)で法曹を志すならば(3)


 これらの資質を体得するためには,理解力・推理力・判断力・分析力・論理力・表現力などの能力特性の存在が不可欠です。法科大学院に入学した後は,不断の勉強によって,これらの能力(とくに理解力・推理力・判断力・論理力)を伸長させていかなければなりません。

 最近では,定評ある教科書に代えて,もっぱらマニュアル本の類いを使用するような学生も散見されます。こうしたマニュアル本の便宜や効用をすべて否定するつもりはありませんが,多数の学説と判例要旨だけを切り貼りしたスクラップ・ブックのようなものから真の推理力や判断力を体得することは難しいでしょう。条文の素読と基本書の精読こそが,法律を学ぶ王道です。

(次回に続く)

日本と欧米の契約観(4)

2011-04-10 00:00:00 | 国際法務
国際法務入門 第4回

 完全合意条項は、当事者間の合意は契約書に書かれたことがすべてであって、逆に契約書に書かれていないことは合意していないことを意味している。要するに、後で契約内容に疑義が生じないためにこそ、契約書を交わすのである。だからこそ、そこに国内契約のような疑義解決条項を入れてしまえば、いったい何のために契約を交わすのか分からなくなってしまうというわけだ。

 欧米のビジネス・パースンにとって、疑義解決条項の存在はおよそ理解されない。その意味で、英文契約における完全合意条項は、国内契約の疑義解決条項とは、いわば正反対の考え方といえよう。

 ほかにも、責任条項(Liability Clause)と保険条項(Insurance Clause)の例を挙げることができる。

(次回に続く)

講義録: 企業取引の舞台

2011-04-01 00:00:00 | 会社法学への誘い
 さて、ここで企業取引の場面を考えてみたいと思います。



 その舞台にまず登場するのは、取引の主体である当該会社です。そして、取引には必ず相手方、すなわち取引先が存在します。たとえば、会社が工業製品の製造業者で、取引先から原材料を仕入れたとすれば、会社はこの取引先に代金を支払わなければならなりません。この場合、会社は代金債務を負担し、取引先は代金債権を有します。したがって、取引先は、会社にとって債権者の地位に立つことになります。

 また、会社にかかわる人のなかには、会社に出資するだけの者もいれば、実際に会社経営に携わる者もいます。出資者は、会社に出資することにより、会社を実質的に所有することになります。株式会社では、株主がこれに該当します。ただし、株主は、会社財産を直接的に所有するのではなく、単に観念的・抽象的な持分を有するにすぎません。このことは、既にお話したとおりです。一方、会社経営者は、現実に会社の業務を遂行する立場にいます。

 このように、企業取引の舞台をごく大雑把に眺めてみれば、株主・会社経営者・債権者という三人の役者が登場していることに気づきます。したがって、会社法の分野では、これら三人の登場人物について、各々の利害をいかに適切に調整するかが最も重要な課題となるのです。

 企業舞台に登場する債権者、株主、そして会社経営者という三者三様の役者がいろいろと発言をし、行動し、大立回りをする。そこでは、衝突する場面もあれば、肩を組む場面もあるわけです。特に衝突するような場面で、双方の利害をいかに調整するか。それが会社法という法律の議論であり、機能であると考えていいと思います。

 そもそも法の基本的な考え方というのは、これは世界共通ではないかと思いますが、正義と公平でしょう。英語でいう”justice”であり、”fairness”です。会社法の議論とは、こうした正義・公平の観念をもって、債権者・株主・経営者の三者間の利害を調整する段取りなのです。

(次回に続く)