菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

欧米の契約観について(3)

2012-06-25 00:00:00 | 国際法務

国際法務入門 第23回
 責任条項と保険条項

 ほかにも、責任条項(Liability Clause)と保険条項(Insurance Clause)の例を挙げることができる。

 たとえば、業務委託契約には、受託者(XYZ)の委託者(ABC)に対する損害賠償責任を次のように定める場合がある。

 XYZ shall indemnify and hold ABC harmless from and against any and all liabilities and damages arising out of the performance of this Agreement, which is caused by XYZ’s negligence.
(XYZは、ABCに対し、自らの過失に基づく本契約履行上の損害について、賠償の責に任ずる。)

 このような責任条項は、国内の業務委託契約にも通常みることができるものであるが、国内契約の場合にはそこまでのことが多い。しかし、国際取引契約では、その後に保険条項が続く。

 XYZ shall purchase and maintain, at its own cost and expense, comprehensive liability insurance and property insurance covering its liability arising under Article X of this Agreement.
(XYZは、本契約X条に定める損害賠償責任を担保するため、自らの費用と負担において、包括賠償責任保険および動産保険を付保しなければならない。)

 要するに、いくら契約で賠償責任を定めたところで、それだけで相手方を信用するわけではなく、その責任を担保するに十分な保険の手配を約束させるのである。

(次回に続く)

『鹿政談』 イヌか、シカか

2012-06-17 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第18講

 鹿が神様の使いと考えられていた昔、天領である奈良では、幕府から三千石の餌料を下され、「神鹿を打ち殺した者は死罪」という定めがあったという。

 奈良三条横町の豆腐屋与兵衛は、たいへんな親孝行で正直者。
 ある朝、豆を挽いていると、表で大きな赤犬が桶の中のきらず(切らずに料理できることから、おからの別名)を食べていた。
 これを追い払おうと、割木を投げつけると、当たりどころが悪かったか、ひっくり返る。
 そばへ寄ってみると、犬と思っていたのが、なんと鹿だった。そのうち近所は大騒ぎになり、与兵衛は奉行所に引きたてられる 。

 時の奉行は、曲淵甲斐守(まがりぶちかいのかみ)。奈良生まれでなければ、鹿殺しが大罪であることを知らぬはず。
 「その方、生国はいずこじゃ」などと謎をかけるが、正直者の与兵衛は、いちいち本当のことを答えてしまう。
 そこで、奉行は「毛並は鹿に似たれども、これはまさしく犬じゃ。犬ならば、お咎めはない」と慈悲深い裁きをする。

 鹿の守役(もりやく)であった塚原出雲は、「何事をもって、鹿と犬とを見違いましょうや」と不服を述べるが、奉行に「もし、鹿がきらずを盗み食ろうたとあらば、その腹がくち足りておらぬ証拠。
 餌料三千石のうち、金子(きんす)に代え、町下に貸し出(い)だし、暴利を貪る者もあるやの風聞もある。
 あくまでも鹿と言いはるならば、鹿殺しの取調べは、後廻しにいたし、餌料着服の件より取調べつかわそうか!」と言われて、恐れ入ってしまう。

 名裁きが終わって奉行が「一同の者、立ちませぃ。おゝ、正直者の豆腐屋、斬らず(きらず)にやるぞ」、「マメ(健在)で帰ります」

      

 さて、刑法に「鹿を殺した者は死刑に処する」という規定があるものと仮定して考えてみよう。
与兵衛が、赤犬を追い払おうと思って、おからをムシャムシャ食べているところへ割木を投げつけたら、実はそれが鹿だったのである。この場合、与兵衛は鹿殺しの罪に問われるのだろうか。

 原則として、犯罪が成立するためには、悪いことだと分かっていることが必要だ。
 刑法にも、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と定めている(38条1項本文)。この罪を犯す意思のことを「故意」という。
 ところが、そもそも与兵衛は、鹿を殺そうと思っていない。たまたま追い払おうとした相手が鹿だったというだけのことである。
 鹿殺しというためには、鹿であることを認識して、その鹿を殺すことが必要だ。

 大正時代、法律で捕獲が禁止されている狸を捕らえた者がいた。
 しかし、この男は「タヌキ(狸)とムジナ(狢)が同じものとは知らなかった。私はムジナを捕まえたんだ」と無罪を主張。
 裁判所は、この男にタヌキを捕獲する意識がないということで、無罪の判決を下した。これが世にいう「たぬき・むじな事件」である(大判大正14年6月9日)。
 このように、犯罪事実の認識を欠くことを「事実の錯誤」という。
 そして、事実の錯誤があれば、原則的には故意の要件を欠く。
 ということは、犬を追い払おうとした与兵衛には故意がないから、鹿殺しの罪に問われないことになる。

 しかし、「鹿を殺すのが悪いこととは知らなかった」という言い訳は通用しない
 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできないのである(刑法38条3項)。
 こちらのほうを「法律の錯誤」という。

 同じく大正時代、捕獲禁止のムササビを捕らえた者が「私はモマを捕まえただけで、ムササビを捕まえるつもりはなかった」と主張した事件があった。
 この地方の方言では、ムササビのことをモマと呼んでいたのである。
 被告人としては、たぬき・むじな事件と同じような主張をしたが、こちらの事件では、「ムササビとモマの違いを知らないのは、法律を知らないだけだ」ということで有罪となった(むささび・もま事件、大判大正13年 4月25日)。
 これでは「タヌキとムササビと何が違うんだ!」と突っ込みたくなるだろう。
 だから、法律は難しいと思われるのかもしれない。

 与兵衛に鹿殺しの故意はないが、鹿を犬と見誤ったわけだから、そこに過失は認められる。
 しかし、鹿や犬などの動物は器物損壊罪の対象とはなるが、そもそも過失による器物損壊は犯罪とならない(刑法261条)。
 要するに与兵衛は、無罪放免になるべくしてなったのである……と思うのは、早合点。
 この定めは、鹿を「たとえ過ちたりとも打ち殺した者は死罪」というものであったから、過失犯でも死罪は免れないはずなのだ。
 だからこそ、この鹿政談、時の奉行が曲淵甲斐守であるがゆえの名裁きということになるのであろう。


       

【楽屋帖】
 奈良が舞台という落語では珍しい一席。別名『春日の鹿』『鹿ころし』。東京では六代目三遊亭圓生が、上方では三代目桂米朝の得意レパートリー。関東では一般に「おから」「卯の花」といわれているものを、関西・中国地方では「雪花菜(きらず)」といい、豆腐屋が「空(から)」に通ずる「おから」という言葉を嫌ったかららしい。
 この噺に登場する名奉行には、概ね三説ある。もっともポピュラーなのが、根岸肥前守鎮衛。六代目圓生はじめ三遊亭一門がこれ。これに対して、柳家一門は、松野河内守助義としている。米朝ほか上方では、曲淵甲斐守景漸で演じる例が多い。ただし、この三人が江戸町奉行であったとの記録は残っているが、奈良奉行に就いていたという事実は確認できない。
 ちなみに、金原亭駒与志は、史実的に矛盾が少ないことから、曲淵甲斐守で口演している。


     駒与志「鹿政談」(23分)

自分自身であれ

2012-06-09 00:00:00 | 伝える言葉
◆伝える言葉(6)◆


 I can't write a book commensurate with Shakespeare, but I can write a book by me.
- 私はシェクスピアと同量の書籍を書くことはできないけれども、私の書籍を書くことができる。     (Sir Walter Raleigh)




 アーヴィング・バーリンがあのジョージ・ガーシュインに初めてであったころ、バーリンはすでに有名な音楽家だったが、ガーシュインのほうは未だ週給25ドルの生活にあえいでいる貧乏な若者であった。
 バーリンはガーシュインの才能に心を打たれ、彼が得ていた給料の3倍を出すから自分の音楽秘書にならないかと誘ったが、その時バーリンはガーシュインに対してこう忠告したという。
「しかし、この仕事は引き受けないほうがいいな。君が引き受けたら、バーリンの二流品になるおそれがある。だけど、君がいつまでも君自身であるならば、いつか超一流のガーシュインになるはずさ」
 他人をまねることも時には大切だ。しかし、他人をまねることを通じて、自分自身を発見し、最終的には自分自身でありたいものである。

IUAI, Montreux

2012-06-08 09:00:00 | 学会・研究会

 スイスで開催されたIUAI(International Union of Aerospace Insurers)の会議に出席しました。

 会場は、レマン湖畔の1906年創業「モントレーの真珠」☆☆☆☆☆Fairmont Le Montreux Palace

       

 6/06のASG(Ailines Study Group) Sessionでは、ANA整備本部よりB787の運行状況・安全性について「Dreamliner: The 787 experience to Date (by Mr.Namiki)」という報告があり、活発な質疑応答もなされました。


 会場のそばには、バイロンの詩で知られる湖上の古城・シヨン城と、ミネラルウォーターとカジノの町・エヴィアン(フランス)がありました。

         

 ちなみに、往路は成田からMunich経由のB777で、復路はFrankfurt経由のB787で羽田に帰ってきました。

      

講義録: 株式会社の基本構造(6) ~会社法上の債権者保護制度

2012-06-01 00:00:00 | 会社法学への誘い

 それでは、株主有限責任の原則と所有と経営の分離によって不利益を被るおそれのある第三者を保護するため、会社法はいかなる制度を用意しているのでしょうか。
 債権者保護の制度はいくつかありますが、なかでも重要なものとして、①資本、②取締役等の第三者に対する責任、③法人格否認の法理があります。

 資本とは、会社財産を確保させるための一定の金額(基準量)であり、一種のノルマのようなものです(会社法445条1項)。会社財産が債権者にとっての唯一の担保だから、債権者を保護するためには、会社財産、すなわち債務弁済能力の確保を図る必要があります。そこで、会社に資本というノルマを課し、会社財産の実質的確保を図ったのです。
 たとえば、「当社の資本金は1億円です」と経営者が言うのならば、1億円に相当するくらいの財産は会社に確保しておけというノルマを課しています。この資本制度は、債権者のリスク管理にとって一応の目安になります。しかし、現実には主として設立時と配当規制の面でしか機能しておらず、最低資本金制度が廃止されたこととも相俟って、資本の存在意義は希薄化しつつあります。

 取締役等の第三者に対する責任は、取締役等が個人として責任を負う場合があることを認めたものです(会社法429条)。また、法人格否認の法理も、会社の背後にいる支配的な株主などの責任を追及するための法的構成です(最判昭和44年2月27日民集23巻2号511号)。これらはいずれも、会社とは別人格の個人、たとえば取締役や支配株主に対して、直接に債権回収の途をひらくものです。

(次回に続く)