犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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春の交通身の安全運動 縄張り

2017年04月12日 | のりもの
柴犬は、番犬に良い。
飼い主によく従うが、他人には簡単に懐かない。
成犬になると、他の犬ともそんなに遊ばない。

ひと昔前、犬というのは家の外で飼っていた。
犬小屋を家のわきに置いて、そこに繋がれていた。
番犬の意味合いが強かった。

東京辺りの雑種犬は、どこか柴犬の要素が入っている犬が多かったように思う。
道行く人に吠える犬は多かった。
今は、小型犬でなくても室内で飼うケースが多くを占め、
歩いていて玄関先の犬に吠えられる、ということもずいぶん減った。

私も、室内で犬を飼っている。
体重10kg台なので中型といったところであり、
それこそひと昔前なら小屋のわきで穴掘って寝てたクチだ。

去年7月に死んでしまった犬は、強かった。
強気であった。
主張が強かった。

家の前の道を人でも犬でも誰かが通れば、必ず吠えた。
家の中から窓越しに吠えた。
表の道も、自分の縄張りだと思っているのだ。

家の広いやっちゃ。



住宅街の道を行くと、
角からいきなり車が出て来て、曲がって去って行くことがあって、
びっくりすることが多い。

ウインカーも出さず、左右確認もせず、一時停止も減速もしないで
いきなり横っ丁から出て来て、自分の行きたいほうへ走り去るのだ。

こちらが歩いていても、自転車でも、バイクでも、車でも、
そういうことがあることには変わりが無い。
そもそも見ていないのだから、相手が歩行者だろうが自動車だろうが、
無関係なわけだ。

こちらが車なら車なりに、バイクならバイクなりに、自転車なら自転車なりに、
歩行者なら歩行者なりに、それぞれの理由で、
こんな相手と出くわすと非常に危険だ。

びっくりしながら私は考える。
ああきっと今飛び出て来た人は、貴族の生まれで、
生家は門から館まで長い道がずっと続いていて
だから門番と運転手と執事がそれぞれいて・・・云々。

特に急いでいるということではなく、やってしまうのではないかと思っている。
自分の家の周りの道、慣れた場所だから、振る舞いに規範が無くなる。

でも、自分の家の周りは、自分の家じゃない。
道は道だ。
公共の道路だ。

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