犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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日本初の女医 荻野吟子

2013年11月20日 | 流民の窓
[あらすじ] 鮭の遡上の南限は利根川。大堰の魚道観察室へ行ってみた。
堰から4kmほど上流が産卵地だという。そこには渡し船が今もある。


さて、その葛和田渡船場のすぐ近くに、[荻野吟子生誕の地]という看板があった。
荻野吟子。
はじめまして。
でもとりあえずこういう場所には詣でてみる。
どんな人なのか、知りたいじゃないか。

利根の大堤防を歩いて行くと、こざっぱりした建物が見える。
どうも、農家の長屋門を模したもののようだ。
土手からの道を下りると、立派な石碑があり、その前には吟子の胸像がある。

館内には係員が一人いて、先客に説明をしている。
私もにゅるりと話に加わる。
展示をひとつひとつ、説明してくれる。

吟子は幕末の嘉永四年(1851)生まれで、日本で初めて女性の医師となった人だということだ。

16歳で結婚するが、夫から淋病をうつされて、それがもとで離婚する。
その病気の治療の際に、女性の医師の必要を強く感じ、自ら志すこととなる。
憶測もまじえて雑に言えば、夫からうつった性病なのに不義を疑われたり
医師からも侮辱されたり、そういったことに納得しなかったのだろう。

当時、女性は医術開業試験を受ける権利すら無かった。
同じ埼玉の学者、塙保己一が編纂した、833年の『令義解』(りょうのぎげ)の中に
「女医」という言葉がある。
吟子は運動し、受験の権利を勝ち取る。

後に吟子はキリスト教に出会い、結婚して北海道に移住するが、
夫は若くして逝去し、晩年は本所で開業する。

渡辺淳一がその一生を『花埋み』という小説に書いているそうだ。
そしてなんと今夜(11月20日)、NHKの「歴史秘話ヒストリア」で吟子が紹介される。
上記のおそろしいほどのダイジェストで不満と興味を感じたら、
ぜひ見てちょうだい。

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