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映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

母なる証明 [監督:ポン・ジュノ]

2010-01-28 07:24:20 | 映評 2010
ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
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個人的評価: ■■■■■■
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]

[映評概要]
必見の傑作である。
緻密に練り上げられた脚本による見事なミステリー、ペットボトル1本で緊迫の場面を作り上げる抜群のサスペンス演出、過剰の一歩手前で踏みとどまるバイオレンス、そしてそれらを「母なるもの」という主題にまとめ上げる哲学性など、どこをとっても世界最高レベルの手腕と言わねばなるまい。

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【映評詳細・・・ネタバレ】

[ミステリーとしての脚本のうまさ]
まず何といっても脚本が天才的にうまい。ありとあらゆる場面が無駄なく後の場面の伏線として機能している。
なんとなくかっこいいから撮った、なんとなく面白いから撮ったというようなシーンがない(暴力描写にはそうした趣味性も感じないでもないが)
写したもの全てが物語上、大なり小なり何らかの因果に関わっている。
例えば・・・
なんとなく写したかに見えたゴルフクラブが池に投げ込まれる場面は、その後それを拾う場面が挟まれ、後に物語中盤の重要なアイテムとなる。
なんとなくアップで写しただけに見えた廃品回収のおやじは後に重要な意味を持つ。
なんとなくギャグ的に使われていたかに見えた台詞も後に意味を持ってくる。
・・・など、人物、台詞、小物、そうしたものが連鎖して次の展開へとつなげ、伏線となって後の展開に深みを与え、そこで新たに写されたものが新たな因果を呼ぶ。フィルムに記録された一つ一つがエピソードを作り、物語に発展し、主題を支える。
ミクロの積み重ねが邦題通りに「母なる証明」というマクロなものへとつながっていく。これを緻密な脚本と言わずして何といおう。

多少、エピソードとは無関係な割に強調されすぎているカットがあったりすると、どうせ後の伏線になるのだろうと読めるところはあり、実際その読みどおりに展開したりするのだが、物語はそんな浅い読みを超えてもっと意外な方向へと動き出す。

脚本のうまさは人物配置にも現れている。
登場人物があやしい。ゴルフクラブを手に入れた友人、大きなマッコリのボトルを持ち歩く被害者の母、米のたっぷり入った袋を持ち歩く老人・・・凶器である「鈍器」になり得るものを持つ者たち。
被害者に恨みを抱く男子学生、美人の被害者に変態カメラを提供する顔に傷を負った少女、動機を持つ者たち。
容疑者だらけの展開に加え、物語が進むにつれ明らかになる主人公の心の闇。
普通に犯人探しのミステリーとしても、母子の関係を次第に解き明かしていくヒューマンミステリーとしても極上の脚本だ。

[サスペンスとしての演出のうまさ]
そして演出がやはり上手い。サプライズとサスペンスを使い分けることで、サプライズシーンは物語に強いインパクトを与え、何気ないハラハラドキドキを持たせたサスペンスシーンで映画全体に緊張感を走らせる。
冒頭の裁断機で薬草をカットしながら手元を見ずに外の息子の様子を見るシーン。指を切ってしまうという恐怖感を観客にあたえ、同時に母の異常性を垣間見せることでもっと心の奥深くに粘着質な恐怖をこびりつかせる名シーンだ。

ポン・ジュノは日常の何気ないことをサスペンスに変換するのが上手い。普段から目に映るものをクローズアップで思考して映画のネタとしてストックしているのだろう。「TOKYO!」第三話における玄関を一歩またぐ、またがないというそれだけを緊迫のサスペンスにしたような、何気ないサスペンスは今作でも光る。
母が忍び込んだ家で、眠りこける住人の側を音を立てないようにして、抜き足差し足であるくとミネラルウォーターの入ったペットボトルを倒す。じわーっと床に広がる水。それを見つめる母。水の広がる先には眠っている男の指先。しかもこの時点では真犯人の疑い濃厚な男。水、指、母の目の三つの単純なモンタージュ。それだけで緊迫のサスペンスシーンが作られる。ペットボトルを倒すというそれだけで見せ場を作ってしまうこのうまさ。

もちろん本作のサスペンスはそうした小手先の描写でだけ作られているものではない。
冒頭の異様なダンスに始まり、続いて描かれる過剰なまでの愛情を注ぎ込む場面に、観るものは狂気を感じる。
ビルの屋上から長い髪と腕をだらりと下げるホラー映画の幽霊のような死体のイメージがこびりつき、さらに繰り返される暴力描写は、主人公がいつ殴られたり、殺されたりしてもおかしくないような緊張感で物語全体を包み込む。
そして意図的に集められたであろう、不細工な傍役たち(主役のキム・ヘジャも「華のある女優」という外観ではなくただのオバハン然としており、ウォンビンさえちょっと頭の弱そうな間抜け面を作り込んでいる)が、きれいごとの無い映画世界を作り、同時に観客を不安にさせる効果を持つ。映画が終わった後「あの人素敵だったねー」などと下らない話題がでないようにしたのか、あるいはもともとソン・ガンホとかペ・ドゥナとかクセの強い顔した俳優が好きな(しかもそいつらをトップスターに押し上げてきた)ポン・ジュノゆえ、単に非イケメン非美人が趣味なのかもしれないが。
ともかく演出のすべてが緊迫感を育み、不安と恐怖をかき立て、画面に釘付け状態にされる、まさにサスペンスの大傑作である。
凄く面白いのに映画が終わったときの、もう観なくていいという開放感が心地よいくらいだった。

[追記]
2009年には二作の「母のサスペンス」の秀作が発表された。
クリント・イーストウッドの「チェンジリング」と、ポン・ジュノの「母なる証明」
「チェンジリング」の母はたくましく成長しラストで希望にすがる。
「母なる証明」の母は越えてはならない一線を越え、ラストで絶望を忘れようと務める。
対照的な母の映画2作だ。母の日のギフトにどうぞ。

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