英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

かつての教え子からのメール

2015-02-14 07:33:00 | 日記
先日、かつての教え子からメールが届きました。1校目(その当時、私は中高一貫校の中学校を主に指導していました)の時の、右も左もわからなかった頃の私は、ただ勢いだけで指導していました(勢いは今でも衰えていませんが、まだ何も悟っていないのも何も変わっていません)。その頃英語の授業と部活で指導していたその子は、現在日本を代表するアスリートとして活躍しています。当時キャプテンだった彼にだけ、私の携帯の番号を伝えていたので、それでメールを送ってきたようです。

高校での彼を見ることなく転勤した私は、しかし、彼の活躍をテレビや新聞で見ていたのですが、連絡がきたのは転勤して以来はじめてのことでした。メールの内容はともかく、おそらく私に気を使っての要素も多分に含まれているその内容から、自分が今も昔も変わらず生徒に伝えている言葉があるのだなぁとしみじみ思ったのです。

私はよく生徒に「私は、成せばなる、とか、やればできる、とか大嫌いだ。それを証明するにはやればいい。言っている暇があったらやりなさい。努力できることも才能だ。」と、ことあるごとに言っています。やらない子が「自分はやればできるけどやらなかった」と言い訳するのは悲しいことです。自分を防衛する手段としては大切なのかもしれませんが、それで人間的に成長するとも思えません。なお、ここではやる気にさせるのも教師の仕事だ、という至極真っ当な意見は一旦置いておきます。

そしてもうひとつ。「カッコつけるなら、外側じゃなく、中身でカッコつけなさい。」外見のカッコよさだけを磨くことに大した価値はないと思いますが、人のやりたくないことを進んで行うことや、困っている人に手を差しのべること、もっといえば勉強することも含めて、内面を鍛えることは意外と重要だと思います。私はこの言葉を伝えるために、何度か坊主にして「俺は見た目なんか気にしないよ」というパフォーマンスをしていました(この行為自体がもう外見を気にした行為であることはとりあえず棚上げしておきます)。なお、「じゃあ外見を全く着飾ることは重要ではないのか」といわれれば、それはそれで大事だということは、まぁ大学で学んで頂くとしましょう。

教師のどんな言葉が生徒に影響を与えるのかはわかりません。彼はこの言葉を今でも胸にがんばっていると言ってくれました。それはそれで教師冥利につきます。また気持ちを新たにした1日でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿