以前の「EFLで学ぶということ」の続きです。前回、最後に述べたかった結論が少し曖昧になった気がしたので。
結論から述べると、タイトルにもあるのですが、ESLの教授法が必ずしもEFLにおいて効果的とは限らない、ということです。もう少しこのことを掘り下げたいと思います。
そもそもESLでやたらと引用されるクラッシェンの仮説がどの程度明らかになってきたのかもわからないままとにかく引用されるわけです。インプット仮説については「大量のインプットが大事だ」ということにおいては否定の余地はないと思います(ただ「大量」がどれくらいなの?という疑問は残ります)。ただし、モニター仮説(明示的知識は自分のアウトプットを監視する働きはするけども習得にはつながらないという説)については、引用する価値が果たしてあるのか、かなり疑問です。そもそも最近の英語教育における明示的知識の指導(いわゆる文法の説明みたいな類いのもの)が極端に敬遠される根拠のひとつとなっているこのモニター仮説への盲信は、なかなか根強いものがあります。このモニター仮説を含めたクラッシェンのいくつかの仮説へ反証を示すのはかなり難しいのですが、それはある意味では科学的な仮説としてそもそも認められないことの証拠ではあるでしょう(そもそも反証不可能なものは科学的ではない、というのが科学的な仮説かどうかを見分ける重要な要素だと思います)。というわけで、ESLでもかなり怪しい仮説はましてEFLで信じるのはやめましょう、という話でした。
アウトプットは必要なの?という疑問に関しても、必ずしも一致した見解は見られません。ESLでは教室の外でも話す機会があるので、これもEFLとは一概に比べられません。EFLでは当然アウトプット活動を取り入れて、というよりアウトプット活動で伝えたいことが伝えられることをゴールにしてその前の活動が行われるべきだと思います。しかし、その道のりはかなり険しく、アウトプットするにはインプットの時間を十分に確保してやることが必要ですが、アウトプット活動にもやはり時間がかかるわけです。EFLはこういったジレンマを抱えながら進んでいきます。「どの程度インプットに時間を使い、どの程度アウトプット活動をすればよいの?」という素朴な疑問についても答えることはできてきていません。
こういった処々の疑問に答えを一応出してくれるのがメタ分析ですが、ESLという大きな括りの中でさえ、条件の大きく異なる様々な研究結果から、1つの正しい結論を導き出すのは難しいのです。ましてEFLにその成果が当てはまるのかはもう少し議論されるべきでしょう。
とにもかくにも、以前の「EFLで学ぶということ」から一貫して述べたかったのは、古典的なESLの教科書に載っている教授法はおろか、現在のESLで主流となっているものも、EFL環境でどれだけ適用できるのかはもう少し検証すべきだと思います。逆に、ESLでは否定的なやり方のいくつかが、日本では効果的だということもまた忘れてはいけないのです。
結論から述べると、タイトルにもあるのですが、ESLの教授法が必ずしもEFLにおいて効果的とは限らない、ということです。もう少しこのことを掘り下げたいと思います。
そもそもESLでやたらと引用されるクラッシェンの仮説がどの程度明らかになってきたのかもわからないままとにかく引用されるわけです。インプット仮説については「大量のインプットが大事だ」ということにおいては否定の余地はないと思います(ただ「大量」がどれくらいなの?という疑問は残ります)。ただし、モニター仮説(明示的知識は自分のアウトプットを監視する働きはするけども習得にはつながらないという説)については、引用する価値が果たしてあるのか、かなり疑問です。そもそも最近の英語教育における明示的知識の指導(いわゆる文法の説明みたいな類いのもの)が極端に敬遠される根拠のひとつとなっているこのモニター仮説への盲信は、なかなか根強いものがあります。このモニター仮説を含めたクラッシェンのいくつかの仮説へ反証を示すのはかなり難しいのですが、それはある意味では科学的な仮説としてそもそも認められないことの証拠ではあるでしょう(そもそも反証不可能なものは科学的ではない、というのが科学的な仮説かどうかを見分ける重要な要素だと思います)。というわけで、ESLでもかなり怪しい仮説はましてEFLで信じるのはやめましょう、という話でした。
アウトプットは必要なの?という疑問に関しても、必ずしも一致した見解は見られません。ESLでは教室の外でも話す機会があるので、これもEFLとは一概に比べられません。EFLでは当然アウトプット活動を取り入れて、というよりアウトプット活動で伝えたいことが伝えられることをゴールにしてその前の活動が行われるべきだと思います。しかし、その道のりはかなり険しく、アウトプットするにはインプットの時間を十分に確保してやることが必要ですが、アウトプット活動にもやはり時間がかかるわけです。EFLはこういったジレンマを抱えながら進んでいきます。「どの程度インプットに時間を使い、どの程度アウトプット活動をすればよいの?」という素朴な疑問についても答えることはできてきていません。
こういった処々の疑問に答えを一応出してくれるのがメタ分析ですが、ESLという大きな括りの中でさえ、条件の大きく異なる様々な研究結果から、1つの正しい結論を導き出すのは難しいのです。ましてEFLにその成果が当てはまるのかはもう少し議論されるべきでしょう。
とにもかくにも、以前の「EFLで学ぶということ」から一貫して述べたかったのは、古典的なESLの教科書に載っている教授法はおろか、現在のESLで主流となっているものも、EFL環境でどれだけ適用できるのかはもう少し検証すべきだと思います。逆に、ESLでは否定的なやり方のいくつかが、日本では効果的だということもまた忘れてはいけないのです。