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【みんな生きている】福井県拉致事件編/福井新聞

2013-11-03 07:38:58 | 日記
拉致問題に関する福井新聞の記事をまとめて冊子にした元小浜市議の石橋和彦さんが10月22日、市役所で松崎晃治市長らに冊子を寄贈した。
石橋さんは

「記録として後世に残し、拉致問題を風化させてはならない」

と気を引き締めていた。
石橋さんは市議を5期務め、地村保志さん、富貴恵さん(ともに58歳)夫妻の帰国を支援してきた。
市民で有志の会をつくり、その世話人だった石橋さんが冊子としてまとめることにした。
冊子は約500ページ。1978年に2人が行方不明になったときの記事から、昨年10月に帰国10年を迎えた記事までを収めている。
この他、松崎市長や救う会福井の池田欣一会長、村上利夫前市長らの寄稿文、日本や朝鮮半島の政治状況などをまとめた年表もある。
松崎市長は

「帰国に向け関係者がどのように動いていたかよく分かる」

と感心すると、石橋さんは

「さかのぼって記事を探すのが難しかった。今後の参考にしてもらえれば」

と応えた。
今後、同市の県立若狭図書学習センターと市立図書館にも冊子を寄贈するという。

◆昭和53(1978)年7月7日
アベック拉致容疑事案
被害者:地村保志さん(拉致被害時23歳)
被害者:地村富貴惠さん(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)
「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。
2人は昭和54年に結婚。
平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」
(地村富貴恵さんの証言)

《特定失踪者・高木茂久さんについて》
◆氏名:高木 茂久
(たかぎしげひさ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年8月10日
◆生年月日:昭和15(1940)年3月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:170cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:同志社大学商学部3年生
◆特徴:似顔絵を書いたり絵を描くのが上手
◆失踪場所:福井県小浜市の海水浴場

【失踪状況】
友達の女性と大阪市内の自宅から小浜の方によく泳ぎに行ったりしていた。
失踪の前日も彼女と遊びに行くと言って出ていき行方が全く分からなくなった。

《特定失踪者・丸山善昭さんについて》
◆氏名:丸山 善昭
(まるやまよしあき)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日
◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)
◆特徴:
1)優しい人柄
2)酒好き
◆失踪場所:福井県坂井郡三国町三国漁港周辺

【失踪状況】
下宿先に「加賀の実家に行ってくる」と伝言を残して外出したまま失踪。
当日は給料日で、全船出港できる天候だったが出漁せず。

《特定失踪者・古川文夫さんについて》
◆氏名:古川 文夫
(ふるかわふみお)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月
◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:大工見習い
◆特徴:喘息の発作で時々息ができなくなる
◆失踪場所:福井方面

【失踪状況】
3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。
出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。
さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。質物件は本人のカメラなどだった。
その他家出するような心あたりはなし。

《特定失踪者・山下春夫さんについて》
◆氏名:山下 春夫
(やましたはるお)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年8月17日
◆生年月日:昭和21(1946)年3月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:28歳
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)色白
2)角張った顔
◆失踪場所:北陸・福井県小浜市一番町

【失踪状況】
8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。
失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。
山下 貢さん、宮内和也さん、林 雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。

《特定失踪者・藤原英二さんについて》
◆氏名:藤原 英二
(ふじわらえいじ)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年1月
◆生年月日:昭和24(1949)年7月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の身分:調理師(東京の弁当工場に勤務)
◆失踪場所:福井県?

【失踪状況】
昭和50年正月の1日か2日頃(夜7時頃)突然家族に「今福井に釣りに来ている」と電話をしてきた。
しかしその後一切の連絡なく今日まで音沙汰がない状態。
昭和50年3月、母がみかんを送ろうと東京の勤め先に電話すると、49年末から出勤していないとのこと。
50年春頃、姉が東京の居候先(友人宅)に行くと衣類、釣り道具など荷物はそのままで免許証もあった。

《特定失踪者・濱端俊和さんについて》
◆氏名:濱端 俊和
(はまばたとしかず)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年4月10日
◆生年月日:昭和34(1959)年9月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:155cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:会社員(原子力発電所の定修工事)
◆特徴:左顎下にアザ
◆失踪場所:福井県敦賀市・敦賀駅前

【失踪状況】
沖縄県出身で地元の会社から横浜の建設会社に研修生として派遣されていた。
昭和58年3月末に大飯原発の定修工事が完了し、美浜原発の定修工事に転出するため、3月30日に横浜の本社に到着。
工事の機材を積み込んで4月2日に美浜に向け出発、3日着。
4日から美浜原発定修工事作業準備。
9日同じ沖縄出身の同僚と日帰りでアメ横まで洋服を買いに行く。
10日その同僚をパチンコに誘うが同僚が行かなかったので一人でタクシーを呼び、当時宿泊していた敦賀市内の寮を出たまま失踪(タクシーは敦賀駅前で降りたことが確認されている)。
ジャンパー姿で出掛けており、免許証、貯金通帳、保険証などの荷物すべて置いたまま。
広島に友人に預けた車があったがそれもそのまま。
10月23日Yという女性から沖縄の実家に電話があり、9月末にご主人が行方不明になった。行方が分からないかとの問い合わせがあった。
濱端さんとは神奈川県内にある自動車工場で知り合ったとのこと(濱端さんは昭和55年4月から10月までここに季節工として勤務)。
お母さんが電話を受け、息子も行方不明になっていると伝え、電話番号を聞いたが教えてもらえなかったという。

《新潟県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、職場を出た後、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。
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