もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】トマス・オヘア・キンタナ編/IBC

2016-12-03 17:36:30 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!国連特別報告者「北朝鮮に直接話聞けるよう努力続ける」》

横田めぐみさんの弟たち拉致被害者家族と面会し、北朝鮮の人権状況を調査している国連の特別報告者が会見し、「北朝鮮側と書簡をやりとりし、直接話を聞けるよう努力を続けている」と述べました。

「北朝鮮相手にコミュニケーションのパイプを築くのは簡単ではなく、時間がかかるが、現時点で書簡を交換している」
(国連のキンタナ北朝鮮人権状況特別報告者)

来年3月の国連人権理事会に北朝鮮の人権報告書を提出するため、横田めぐみさんの弟・哲也さんたちと会い、拉致の実態を聞き取り調査した国連のトマス・オヘア・キンタナ(Tomas Ojea Quintana)北朝鮮人権状況特別報告者。
会見で、

「ニューヨークの北朝鮮国連代表部が『キンタナ特別報告者には会わないが、法律学の教授であれば受け入れる』と語っていた報道を見た」

等と述べ、北朝鮮側と直接接触できるよう努力を続けていると述べました。
これまでミャンマーの人権問題で特別報告者を務めたキンタナ氏は、

「ミャンマーが開かれた国になる過程で、中国は、しかるべき役割を果たした」

と明らかにし、北朝鮮問題でも中国の役割に期待すると述べました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■国連HP
http://www.unic.or.jp/
■国連日本政府代表部HP
http://www.un.emb-japan.go.jp/jp/
■岩手県警HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp0802/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000



《特定失踪者・鈴木正昭さんについて》
◆氏名:鈴木 正昭
(すずきまさあき)
(Masa-aki Suzuki)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年8月30日
◆生年月日:昭和27(1952)年5月29日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:千葉県千葉市
◆当時の身分:団体職員
◆出身地:岩手県一関市
◆失踪場所:千葉県千葉市

【失踪状況】
失踪当日、前の職場の同僚が自宅アパートを訪ねていったところ、路上で女性と話し込んでいた。
以後情報なし。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/

《特定失踪者・坂川千明さんについて》
◆氏名:坂川 千明
(さかがわちあき)
(Chiaki Sakagawa)
◆失踪年月日:平成12(2000)年3月7日
◆生年月日:昭和51(1976)年10月7日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:岩手県九戸郡洋野町
◆当時の身分:ガソリンスタンド勤務
◆身長:150cm
◆特徴:右にえくぼ
◆失踪場所:岩手県

【失踪状況】
退勤後帰宅途中失踪。
翌日、警察から岩手県九戸郡種市町の高家漁港に車が放置してあると連絡。
車の中には財布、携帯電話等すべて残っていた。
高家港は職場から家とは全く反対の方向で、夜は真っ暗。地元の人もほとんど近寄らない小さな港。
車は港の端に海に向って停まっていた。
入水自殺してもすぐ死体があがってくる場所。
車の中には高家港の丘の上にあるコンビニでビールを買ったレシートが残っていたが、そんなところでビールを買うことは考えられない。
失踪当時車のガソリンを入れていた。走行距離からすると、勤務先のガソリンスタンドから久慈市を回って高家港の距離と一致する。

《特定失踪者・吉田賢光さんについて》
◆氏名:吉田 賢光
(よしだけんこう)
(Kenkou Yoshida)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月12日
◆生年月日:昭和15(1940)年5月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:無職(前年11月まで団体職員)
◆特徴:小柄で細身
◆特技:
1)特別上手ではないが、スポーツは何でもこなす
2)登山も少しはする
◆失踪場所:東北本線白石駅

【失踪状況】
体調不良のため次の転居予定地である大阪へ向かう前に約3ヶ月間、宮城県にある伯父の寺へ居候。
実家である岩手へ墓参りがてら帰って来いといっても来ず、居候先の伯父の話では何か連絡を待っている様子だったと話したと聞いている。
失踪前の住所は神奈川県川崎市。
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による吉田賢光さん失踪事件の解説】
◆共通項は「大阪へ行く」
吉田賢光さんは昭和52年(1977)3月12日、「大阪に行く」と言って東北本線白石駅で妹さんが見送ったのを最後に行方不明になっています。ご本人は町役場の職員から社団法人の職員になり、失踪前年退職していましたが曹洞宗の僧籍を持っていました。
また、日高信男さんと早坂勝男さんに共通しているキーワードの一つに「大阪」がありました。
日高信男さんは失踪直前鹿児島の実家に「印刷会社を退職し、大阪で働く会社が決まった」旨の手紙を送付していました。一方会社の同僚には「大阪で仕事を探す」と伝えていました。
早坂勝男さんはお兄さんに「大阪に行って印刷の勉強をしてみたい」とも話していたことがあり、アルバムの中からも大阪市の住之江公園で写した写真が出てきました。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】トマス・オヘア・キンタナ編/TBC

2016-12-03 17:32:26 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!国連特別報告者「北朝鮮に直接話聞けるよう努力続ける」》

横田めぐみさんの弟たち拉致被害者家族と面会し、北朝鮮の人権状況を調査している国連の特別報告者が会見し、「北朝鮮側と書簡をやりとりし、直接話を聞けるよう努力を続けている」と述べました。

「北朝鮮相手にコミュニケーションのパイプを築くのは簡単ではなく、時間がかかるが、現時点で書簡を交換している」
(国連のキンタナ北朝鮮人権状況特別報告者)

来年3月の国連人権理事会に北朝鮮の人権報告書を提出するため、横田めぐみさんの弟・哲也さんたちと会い、拉致の実態を聞き取り調査した国連のトマス・オヘア・キンタナ(Tomas Ojea Quintana)北朝鮮人権状況特別報告者。
会見で、

「ニューヨークの北朝鮮国連代表部が『キンタナ特別報告者には会わないが、法律学の教授であれば受け入れる』と語っていた報道を見た」

等と述べ、北朝鮮側と直接接触できるよう努力を続けていると述べました。
これまでミャンマーの人権問題で特別報告者を務めたキンタナ氏は、

「ミャンマーが開かれた国になる過程で、中国は、しかるべき役割を果たした」

と明らかにし、北朝鮮問題でも中国の役割に期待すると述べました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■国連HP
http://www.unic.or.jp/
■国連日本政府代表部HP
http://www.un.emb-japan.go.jp/jp/
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
■救う会宮城facebook
http://ja-jp.facebook.com/sukuukai.miyagi
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000



《特定失踪者・岩佐寅雄さんについて》
◆氏名:岩佐 寅雄
(いわさとらお)
(Torao Iwasa)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年12月20日
◆生年月日:大正15(1926)年12月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆当時の住所:神奈川県鎌倉市
◆当時の身分:魚屋の店員(板前も出来た)
◆身長:170cm
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の魚屋から

【失踪状況】
勤めていた店の人に黙っていなくなった。
その後、横須賀のいとこが四方八方探し回ったが消息はつかめず。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・早坂勝男さんについて》
◆氏名:早坂 勝男
(はやさかかつお)
(Katsuo Hayasaka)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年4月頃
◆生年月日:昭和19(1944)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都墨田区石原
◆当時の身分:印刷会社社員
◆宮城県加美町出身
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆血液型:A型かO型
◆特徴:印刷の仕事で指を怪我し、親指と人さし指がやや変形している
◆失踪場所:東京都墨田区

【失踪状況】
墨田区の下宿先から失踪。正月に兄弟とその家族7人で過ごしている。
別の兄の話によると2月か3月にケガで入院した。
失踪後数ヶ月して、会社から本人の友人に荷物を引き取ってくれと電話ある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・日高信男さんについて》
◆氏名:日高 信夫
(ひだかのぶお)
(Nobuo Hidaka)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月29日
◆生年月日:昭和19(1944)年11月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都新宿区
◆当時の身分:印刷工
◆身長:155cm
◆体重:50kg
◆特徴:印刷機による事故のため、右手人指し指第2関節と右手中指第1関節欠損
◆失踪場所:東京都台東区上野駅

【失踪状況】
勤務していた東京都新宿区の印刷会社を9月25日退職し、29日に大阪に向かったまま失踪。
実家には『大阪で新しい職場が決まった』と手紙を出しているが、実際に大阪で就職したことは現時点で確認されていない。
平成18年11月6日、警視庁に告発状を提出。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・吉田賢光さんについて》
◆氏名:吉田 賢光
(よしだけんこう)
(Kenkou Yoshida)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月12日
◆生年月日:昭和15(1940)年5月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:無職(前年11月まで団体職員)
◆特徴:小柄で細身
◆特技:
1)特別上手ではないが、スポーツは何でもこなす
2)登山も少しはする
◆失踪場所:東北本線白石駅

【失踪状況】
体調不良のため次の転居予定地である大阪へ向かう前に約3ヶ月間、宮城県にある伯父の寺へ居候。
実家である岩手へ墓参りがてら帰って来いといっても来ず、居候先の伯父の話では何か連絡を待っている様子だったと話したと聞いている。
失踪前の住所は神奈川県川崎市。
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による早坂勝男さん・日高信男さん・吉田賢光さん失踪事件の解説】
◆共通項は「大阪へ行く」
早坂勝男さんと日高信男さんに共通しているキーワードの一つに「大阪」がありました。
早坂勝男さんはお兄さんに「大阪に行って印刷の勉強をしてみたい」とも話していたことがあり、アルバムの中からも大阪市の住之江公園で写した写真が出てきました。
日高信男さんは失踪直前鹿児島の実家に「印刷会社を退職し、大阪で働く会社が決まった」旨の手紙を送付していました。一方会社の同僚には「大阪で仕事を探す」と伝えていました。
また、吉田賢光さんは昭和52年(1977)3月12日、「大阪に行く」と言って東北本線白石駅で妹さんが見送ったのを最後に行方不明になっています。ご本人は町役場の職員から社団法人の職員になり、失踪前年退職していましたが曹洞宗の僧籍を持っていました。

《特定失踪者・河合美智愛さんについて》
◆氏名:河合 美智愛
(かわいみちえ)
(Michie Kawai)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年4月2日
◆生年月日:昭和38(1963)年12月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:福井県越前市
◆当時の身分:会社員
◆身長:169cm
◆特徴:
1)おでこが広い
2)口元に小さなホクロ
3)右膝外側に10cm程度のあざ
◆失踪場所:福井県武生市(現・越前市)

【失踪状況】
失踪前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。
昼食のために会社から一旦帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。
乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。
失踪後、1〜2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。
平成6年頃、宮城県内で目撃情報があります。
■福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】トマス・オヘア・キンタナ編/TUF

2016-12-03 17:28:28 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!国連特別報告者「北朝鮮に直接話聞けるよう努力続ける」》

横田めぐみさんの弟たち拉致被害者家族と面会し、北朝鮮の人権状況を調査している国連の特別報告者が会見し、「北朝鮮側と書簡をやりとりし、直接話を聞けるよう努力を続けている」と述べました。

「北朝鮮相手にコミュニケーションのパイプを築くのは簡単ではなく、時間がかかるが、現時点で書簡を交換している」
(国連のキンタナ北朝鮮人権状況特別報告者)

来年3月の国連人権理事会に北朝鮮の人権報告書を提出するため、横田めぐみさんの弟・哲也さんたちと会い、拉致の実態を聞き取り調査した国連のトマス・オヘア・キンタナ(Tomas Ojea Quintana)北朝鮮人権状況特別報告者。
会見で、

「ニューヨークの北朝鮮国連代表部が『キンタナ特別報告者には会わないが、法律学の教授であれば受け入れる』と語っていた報道を見た」

等と述べ、北朝鮮側と直接接触できるよう努力を続けていると述べました。
これまでミャンマーの人権問題で特別報告者を務めたキンタナ氏は、

「ミャンマーが開かれた国になる過程で、中国は、しかるべき役割を果たした」

と明らかにし、北朝鮮問題でも中国の役割に期待すると述べました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■国連HP
http://www.unic.or.jp/
■国連日本政府代表部HP
http://www.un.emb-japan.go.jp/jp/
■福島県警HP
http://www.police.pref.fukushima.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

[『めぐみへの誓い−奪還−』公演のお知らせ]

[日時・場所等]
◆日 時:平成29年1月12日(木曜日)入場無料、事前申込み
※申込みの詳細は政府拉致問題HPへ
◆17:00開場/18:00開会/20:30閉会予定

◆場 所:白河文化交流館「コミネス」(定員700名)
※福島県白河市会津町1−17

◆主 催:政府拉致問題対策本部、福島県、白河市
◆後 援:文部科学省

[プログラム]
◆主催者等挨拶
◆拉致問題についての行政説明
◆舞台劇「めぐみへの誓い−奪還−」公演
◆上 演:劇団夜想会
◆出 演:
・原田大二郎(横田 滋役)
・石原とも子(横田早紀江役)
・森本優里(横田めぐみ役)
・山崎尚子(田口八重子役)
■白河市HP
http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/



《特定失踪者・坂上良則さんについて》
◆氏名:坂上 良則
(さかうえよしのり)
(Yoshinori Sakaue)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年5月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:28歳
◆当時の住所:福島県南相馬市
◆当時の身分:ガソリンスタンド従業員
◆北海道川上郡弟子屈町出身
◆身長:170cmくらい
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:福島県原町市

【失踪状況】
当時本人は下宿住まいで、叔父の紹介で勤めていたガソリンスタンドまで歩いて通勤していた。
失踪当日普段と変わらず、いつも持って歩く手提げバックを持ち下宿を出る。
スタンドに出勤していないので、下宿に連絡するが普段通り出ていったとのこと。
北海道の親元にも連絡があり、両親が下宿先に行き部屋を見たが、何も持って出た様子もなく、今にもすぐ帰ってくるような状態であった。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・熊倉清一さんについて》
◆氏名:熊倉 清一
(くまくらせいいち)
(Sei-ichi Kumakura)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年2月4日
◆生年月日:昭和24(1949)年11月7日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:福島県会津若松市
◆当時の身分:蒔絵師(吸物椀や重箱などの高級漆器に絵を描いていた)
◆身長:165cm
◆特徴:十二指腸の手術痕
◆失踪場所:福島県会津若松市

【失踪状況】
高校時代の友人Aさんが「新潟に行ったことがない」というので、本人の車に乗せて新潟へ向かったが、そのまま2人とも行方不明。
新潟県五泉町(現・五泉市)の親戚に向かったはずだが、親戚宅に姿を見せていない。
会津若松から新潟にかけて阿賀野川沿いを走る国道などを探したが、事故などの痕跡もなく、車も発見されなかった。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】李俊揆編[横田めぐみさん拉致現場視察]/BSN

2016-12-03 17:24:28 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致問題「日本と協調」》

7月に着任した李俊揆(イ・ジュンギュ)在日韓国大使が12月1日新潟に来県し、横田めぐみさん(拉致当時13歳)が北朝鮮の工作員に拉致された新潟市中央区の現場を視察しました。
李大使は

「韓国にも北朝鮮による拉致問題があり、日本の皆さんの苦痛は理解できる。日本政府と協調していきたい」

と語りました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(Hitomi Soga)
(拉致被害時19歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:曽我ミヨシさん(Miyoshi Soga)
(拉致被害時46歳)
※This person was Abduction by North Korea
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人〜60人が勤務、うち15人〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

《特定失踪者・中村三奈子さんについて》
◆氏名:中村 三奈子
(なかむらみなこ)
(Minako Nakamura)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月6日
◆生年月日:昭和54(1979)年9月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:新潟県長岡市
◆当時の身分:高校を卒業して予備校に行く準備中
◆身長:163cm
◆体重:56Kg
◆特徴:
1)硬式テニスをやっている
2)その他のスポーツも好き
3)色白、えくぼがある
◆足のサイズ:24cm
◆失踪場所:新潟県長岡市の自宅

【失踪状況】
4月6日午前中、予備校に入学金50万円を納めに行く予定がそのまま帰宅しない。
後日入学金の中から「3万円借ります」というメモとともに47万円が見つかる。
身支度は普段着のまま。持ち物は自分の白い財布だけ。所持金は5万円〜8万円程度と思われる。
通常出かけるときは自転車を利用するがこのときは置いていった。
3月25日に自らパスポートを申請し、4月3日交付。長岡ではなく新潟の旅券センターまで行っている。
大韓航空で出国状況を問い合わせると、7日9時にソウルへ出国していた。搭乗券を購入していた旅行会社によると、中村三奈子の名前で中年のハスキーな声の女性で搭乗券の依頼あり。
旅行は慣れているので新潟空港で出発当日搭乗券を受け取る。帰りの便やホテルは必要ないと言った。
出発当日の朝、中村三奈子の名前で派手なブラウスを着た女性に搭乗券を渡したとのこと。
■中村三奈子さんをさがす会ブログ
http://ameblo.jp/sagasukai98/
■中村三奈子さんをさがす会facebook
http://ja-jp.facebook.com/sagasukai98

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※埼玉県川口市の藤田 進さんとは別人
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月26日
◆生年月日:昭和23(1948)年3月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:新潟県立糸魚川高校1年生(休学中)
◆当時の住所:新潟県糸魚川市
◆特徴:
1)おとなしい性格
2)やせ形
3)眼鏡せず
4)前歯がケガで欠けたのでつないでいる
◆失踪場所:信越・新潟県西頸城郡青海町内、自宅から15分、海岸から5分位の映画館

【失踪状況】
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。
高校は休学中で登校拒否のようだった。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
(Hiromasa Watanabe)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170cmくらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■岐阜県警HP
http://www.pref.gifu.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】トマス・オヘア・キンタナ編/BSN

2016-12-03 17:20:38 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!国連特別報告者「北朝鮮に直接話聞けるよう努力続ける」》

横田めぐみさんの弟たち拉致被害者家族と面会し、北朝鮮の人権状況を調査している国連の特別報告者が会見し、「北朝鮮側と書簡をやりとりし、直接話を聞けるよう努力を続けている」と述べました。

「北朝鮮相手にコミュニケーションのパイプを築くのは簡単ではなく、時間がかかるが、現時点で書簡を交換している」
(国連のキンタナ北朝鮮人権状況特別報告者)

来年3月の国連人権理事会に北朝鮮の人権報告書を提出するため、横田めぐみさんの弟・哲也さんたちと会い、拉致の実態を聞き取り調査した国連のトマス・オヘア・キンタナ(Tomas Ojea Quintana)北朝鮮人権状況特別報告者。
会見で、

「ニューヨークの北朝鮮国連代表部が『キンタナ特別報告者には会わないが、法律学の教授であれば受け入れる』と語っていた報道を見た」

等と述べ、北朝鮮側と直接接触できるよう努力を続けていると述べました。
これまでミャンマーの人権問題で特別報告者を務めたキンタナ氏は、

「ミャンマーが開かれた国になる過程で、中国は、しかるべき役割を果たした」

と明らかにし、北朝鮮問題でも中国の役割に期待すると述べました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■国連HP
http://www.unic.or.jp/
■国連日本政府代表部HP
http://www.un.emb-japan.go.jp/jp/
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000



◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(Hitomi Soga)
(拉致被害時19歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:曽我ミヨシさん(Miyoshi Soga)
(拉致被害時46歳)
※This person was Abduction by North Korea
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人〜60人が勤務、うち15人〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

《特定失踪者・中村三奈子さんについて》
◆氏名:中村 三奈子
(なかむらみなこ)
(Minako Nakamura)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月6日
◆生年月日:昭和54(1979)年9月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:新潟県長岡市
◆当時の身分:高校を卒業して予備校に行く準備中
◆身長:163cm
◆体重:56Kg
◆特徴:
1)硬式テニスをやっている
2)その他のスポーツも好き
3)色白、えくぼがある
◆足のサイズ:24cm
◆失踪場所:新潟県長岡市の自宅

【失踪状況】
4月6日午前中、予備校に入学金50万円を納めに行く予定がそのまま帰宅しない。
後日入学金の中から「3万円借ります」というメモとともに47万円が見つかる。
身支度は普段着のまま。持ち物は自分の白い財布だけ。所持金は5万円〜8万円程度と思われる。
通常出かけるときは自転車を利用するがこのときは置いていった。
3月25日に自らパスポートを申請し、4月3日交付。長岡ではなく新潟の旅券センターまで行っている。
大韓航空で出国状況を問い合わせると、7日9時にソウルへ出国していた。搭乗券を購入していた旅行会社によると、中村三奈子の名前で中年のハスキーな声の女性で搭乗券の依頼あり。
旅行は慣れているので新潟空港で出発当日搭乗券を受け取る。帰りの便やホテルは必要ないと言った。
出発当日の朝、中村三奈子の名前で派手なブラウスを着た女性に搭乗券を渡したとのこと。
■中村三奈子さんをさがす会ブログ
http://ameblo.jp/sagasukai98/
■中村三奈子さんをさがす会facebook
http://ja-jp.facebook.com/sagasukai98

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
(Hiromasa Watanabe)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170cmくらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■岐阜県警HP
http://www.pref.gifu.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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