財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
父が亡くなってから今日で55年の歳月がながれた。私は父の葬儀にも出れず、父が具合悪く、日本タイプのビルで今日か明日かを言われていた時、父が私を訪ねてきたのである。午後一人でコタツにいた時、隣の部屋から私をジット見つめている気配を感じたのである。私は吃驚して動きがとれなくなっていたが、私の目をジット見つめながら、その姿が家の要り口の方に去って行くのが判った。その姿は全く迫力が溢れている感じで、私に肉薄するように迫ってきた。私は恐怖に怯えたがその瞬間私からスート私を見ながら離れていくのが分かった。父のその時の迫力はすごく、その後気持ちがスーッとしたのである。その翌日父の訃報が届いた。私はやっぱり父が私に会いに来たのだと思った。私は15歳になったばかりで、中学3年生のときである。私はその頃は未だ頭がボットした状態で、弁谷栄に色々な物で頭を叩かれて思考力が元に戻っていなっかった。特に屋根瓦で頭を強打されてから、記憶を喪失して学校の先生から精神薄弱児とおもわれていた。しかしその後頭もスッキリするようになってきたのである。高校に入学してからは成績が良くなってきた。その頃占い師を家に弁谷栄、ハシが呼んで私を占ったのである。その占い師はソロバンをはじいて占いする人で、私のことをこう占ったのである。この人は30歳過ぎてから朝日が昇るように出世する。しかし年魔の女に人生を邪魔され失敗すると。この年魔の女が弁谷ハシとは思いもよらなかった。この頃は私の頭の良さがどの程度かを試すために、冬などは皆でカルタや遊びをしたのである。何故か私が一番になった。その後私は薬を飲まされ、神経を侵され、性的虐待を受けたことは之までも述べた。父はいくら自分の子でも駄目な奴なら、跡取りにしなくても良いといっていたそうだ。それで弁谷家は一同相談の上、私に鼻の手術を受けさせ、頭を破壊させる事にしたのである。それがこの写真の頭蓋骨を叩かれた痕跡であり、一部赤くなっているのは、まだ頭蓋骨が完全に癒着せず、出血があるからであろう。頭頂骨が強打せられた痕跡のレントゲン写真である。私が17歳の時鼻の手術で、頭頂骨を強打されてから、この状況が続いているのである。少しずつではあるが、血液が流れ出て血が薄くなっていると、会社の健康診断の時、いつも言われていた。
この写真は私の頭蓋骨の破断された痕跡を示すCT写真でである。