財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
昭和19年5月29日午後1時から日比谷公会堂で、盛大な恭迎式が執行はれた。主催者のテーモンビルマ国大使、桜井兵五郎氏をはじめ青木大東亜相、岡部文相小泉厚相等も出席、全国各地寺院僧侶、信徒一万名が列席、テーモン大使寄遷の辞を述べた後潅水供養を行い、仏舎利は大使から桜井氏に寄遷,更に各宗代表に伝達されて式は終わった。」 以上が当時の国際画報に掲載された内容である。プログの写真はその時掲載されたものである。この時仏舎利が寄遷された先は、前のプログで書いた通り父が建築する境内50万坪の金沢市郊外の白雲楼の上の父個人の寺大東亜寺現在の康楽寺、鶴見総持寺、東本願寺,高野山の四箇所である。 しかし鶴見総持寺では昭和44年頃不審火で宝物殿が焼けたとあり、その時仏舎利が焼失した可能性が高い。東本願寺は信徒の反乱により管主が追い出されると云う不祥事が延々と続き、仏舎利の行方は分からない。 高野山も揉め事が多いようで、ビルマ渡来の仏舎利の行方は分からない。一方大東亜寺即ち康楽寺にいたっては、江戸村を作って見世物として利用したが、仏舎利の行方は分からない。日本観光を倒産さでた桜井能唯、辨谷貞造かがどこかに隠しているのであろう。 ビルマ人をはじめとして、アジア及び中国の日本に対しての不信は、こうゆう国際間の約束事を守らず、金のみに走っているからであろう。つまり歴史に対する認識の甘さである。