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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

私の父と堤康次郎氏の関係 堤義明の義と私が預けられた辨谷家の子供につけて弁谷義貞、義昌、義拓と改名

2005年05月17日 08時43分47秒 | 堤義明

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

この写真は、昭和3年3月12日日本工業倶楽部での会員中衆議院当選者を招いての晩餐会の時の写真である。向かって左が父で右が康次郎氏である。 私は昭和50年頃堤義明氏に父の事について出状した事がある。その時は梨のツブテであった。 私の生まれた思い出のホテルのブログで,西武不動産に契約社員としていた事を書いたがそれは昭和57年頃である。この頃は父の事業の後継人達が、戸籍上の親子を相手に父が計画していた康楽寺本殿計画地であった康楽寺仮殿の敷地を含め付近一帯は、日本観光のものであるとして、土地の登記変更を求める訴訟を東京地裁におこしている。 この訴訟で提出された証拠書類はなんと、本プログの康楽寺の項で記述した私の鼻の手術の後頭頂骨を頭の内から強打せられて、苦痛で頭が破裂しそうであったとき、この戸籍上の名だけの両親が、康楽寺の本殿計画の白紙撤回の文書をかいたのである。 この文書が父の意を受けた白雲楼の従業員が本殿計画の白紙撤回を記したものとして、提出されたのである。その時その訴訟を担当したのがその従業員つまり戸籍上の父の二人息子の兄のほうである。この男は日本観光の総務部長として、訴訟の実務を担当し、訴訟原告は日本観光の社長であった桜井能唯、鶴見総持寺の管主岩本某他地元の百姓達である。この桜井能唯は私の戸籍上の兄の親戚で、その関係より戸籍上の母の妹の入り婿となり、日本観光に入って来たのである。 父の戸籍上の母子は何の反論を出来ず、原告の言う儘土地の名義変更をする事となった。丁度この判決が決まった頃、私は仕事にアブレ職を探して元総理の岸信介氏のところまで行った。同氏と父はごく親しい間がらであったからである。この時戸籍上の兄が言ったものである。岸氏は仕事を世話してくれるかと。また訴訟を起こすのなら相手になると。 おれはすべての訴訟を任されているのだとも。丁度この頃新聞に西武不動産の契約社員募集の広告がのり、応募をして採用されたのである。しかし私は2年程して西武を辞めさせられる。 堤義明氏に出した手紙には返事がこなっかたが、その兄である堤清二氏に出した手紙にはその母親の堤操氏より返事をいただいた。父の麻布の屋敷には度々訪問していたと言うう内容であった。私の父が存命のとき、堤義明氏の義明の義を戸籍上の兄弟と私に付けた改名書を父が送って来た事があった。かように父と堤康次郎氏は大変仲がよかったのである。