プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

銀座を歩く

1918-06-03 | 日本滞在記
1918年6月3日(旧暦5月21日)

 横浜のヴィソツキー(メイエルホリドから手紙を託された)のところで朝食をとった。やはり船はまるでなかった。それにもし北米を経由するなら、北米のビザが必要だが、ロシア人がそれを手に入れるのは不可能に近い。

 ストロークとメローヴィチは、八月にニューヨークに行くよう薦めてくれた。ロシアの芸術家があまり受け入れられていないというのは事実ではない。ジンバリスト〔エフレム、1889~1985。ロシア生まれの著名なバイオリニスト。米国に亡命〕、エルマン〔ミーシャ、1891~1967。ロシア生まれ。アメリカで活躍した名バイオリニスト〕、アウエル〔レオポルト、1845~1930。ハンガリー出身、ぺテルブルク音楽院教授を務めた名バイオリニスト。米国に亡命〕はけっこうな実入りを得ている。もっとも、ここでコンサートで景気づけをしてから、ニューヨークに行くのもいいではないか。そもそもアルゼンチン行きを思いつく前は、そうしたいと考えていたのだから。

 夜、街の中心地、銀座を歩いた。華やかで賑やかで、たくさんの小さな灯りに照らし出されている。活気があって楽しいところだ。これで可愛い日本人女性がいたらいいのに。