プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

バイオリン・ソナタ

1918-06-05 | 日本滞在記
1918年6月5日(旧暦5月23日)

 ストロークが私のところに朝食をとりにきた。彼はコーシツに電報を打とうとしているが、彼女が来るとしたら彼ではなく、私の呼びかけに応じてだ。しかし私が声をかければ、彼女はまったく別の意味にとるだろう。それに私はまだ北米行きの考えを捨ててはいなかった。

 バイオリン・ソナタを少しずつ書き始め、短編小説を引っぱり出した。夜は色とりどりの灯りがともる銀座を散歩した。カフェー「シンバシ」で夕食をとった。

 ストロークが私に、メローヴィチとピアストロは本当に偉大な芸術家だろうかと尋ねた。いい芸術家だが一流ではない、と私は答えた。ほかに言いようがあるだろうか? 彼はまた、二人はモスクワやペトログラードで成功するだろうかと尋ねた。私の答えは「いいえ」。はたして嘘をついて「はい」と言うべきだっただろうか? どのみち彼らはもうこの地で名声を築いたのだ。