2022年6月の紫陽花
タイトルは昨年亡くなった「立花隆」さんの言葉です。
以下先月放送されたNHKBS放送からの聞き取りです。
見えた。なにが? 永遠が。
人は死ぬときどうなるか?科学的に分析。結論。
死んで皆物質的に無に帰る(ごみとして捨てさって欲しい)
人生は一瞬に過ぎない。死を迎えるにどうするか?
ただありがとうの一言。ただありがとうさようなら。
人間は死すべき運命。自覚して運命を乗り越える。最後は変わる。
ひとりひとりの命の連環体。その連環体が連なって、
いのちの連続体が生まれる。さらにつながって人類の歴史。
竹は地下茎で繋がっている。人間の知的な営みも実は地下で
繋がっている。人間の知識の体系みたいなものがそういう
風に繋がっている。総合的に物を知らない。それが現代における
最も危険的な部分である。断片的な知を総合する方向に
いかなければいけない。
動物の場合世代を超えて伝承されるものは遺伝情報しかない。
しかし人の場合ははるかに大量の情報が言語化されると世代を
超えて伝えられていく。これは人間だけが獲得した新たな遺伝
の形式だという。人間の持つあらゆる知識が総合されて一つの
一貫した体系に共有されるようになってきた。これらの動きの
延長上に人類全体が一体となって思考するような日がくるだろう。
超人類の誕生であり超進化、ヒトという種のレベルを超えた
進化が実現する。
頭で考えている限りわかったような、わからないような思想と
思えるかもしれない。しかし人気のない海岸にある遺跡で、
黙々としばらく海を眺めているとこれが永遠なのだなということ
が疑問の余地なく見えてくるような気がすることがある。
千年単位の時間が思えてくるということが遺跡と出会うことなのだ。
宇宙の大部分が虚無の中に呑み込まれてあるように
歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれてある。
見えた、なにが、永遠が。(エーゲ永遠回帰の海)
立花は命の連続体の一部として永遠の中に戻ったのだ。
皆さんの近くに永遠の時間が感じられるエーゲ海はありますか?
私の場合はふるさとの唐津に、730年頃に九州大宰府に赴任した大伴旅人が、
領巾振り山(今の鏡山)を読んだ一句で、1300年の永遠を感じることが
できます。
万葉集(873首);
万代に語り継げしとかも佐用姫が、この山の上に領巾を振りけむ。