スピンターン~くり返しの人生を~あなたと~

~昭和23年団塊世代の独り言~

10月18日の満月

2024年10月18日 | 日記

10月17日の満月


朝日を浴びて福山城

10月の満月は今年の中で最も地球に近づき、最も大きく
最も明るく見える「スーパームーン」となります。天気
は曇り空で、雲がかかっていましたが、午後7時21分ごろ
雲の上にでて明るく輝いてくれました。
10月7日の週は、福山に仕事に出かけました。ここの
定宿は「ベッセルイン」で駅の北口から100歩もいかない
いいところで、またここの売りは、部屋が清潔で、朝食
にでる長芋のトロトロに鮪をのせて食べるのが最高です。

10月17日には西田敏行さんが亡くなられました。いつも
土曜日、「男はつらいよ」の後の「釣りバカ日誌」で
元気な姿拝見していました。丁度76才と年もお同じです。
最近70代のまだそれぞれの業界で活躍している人が
亡くなられることが多くなりました。彼もここ数年気が付けば
あまり見かけなかったように思います。最近「劇場版 ドクターX」
の会見で見かけましたが、車いすに座ったままでした。これまで
元気だっただけに以外でした。

私も満月を昨年の7月から追いかけてもう17回目になります。
60回まで見れると80才です。60回とするともう四分の一
は過ぎてしまいました。一月一月を大切に過ごすことを目標
にしていますが、なかなかだらだらと時間が過ぎていきます。

ところで突然ですが、「死ぬということ」(黒木登志夫著/中公新書)
に「出生率が死亡率を上回るようなことがない限り日本はいずれ
消滅するだろう。それは世界にとって重大な損失だ」とイーロン・
マスク氏がツイートしています。日本では2005年以降、死亡者が
出生数を上回り、このままでいくと日本人はあと1000年もたたない
うちに消えてしまう。日本は「絶滅危惧国」なのだ。日本語も
日本文化も滅びてしまう。

700年代に作られた「百人一首」も西暦3000年ごろにはなくなって
しまうかもしれませんが、ここでいつもの8首目の紹介です。

「花の色は、移りにけりな、いたづらに
     我が身世にふる、ながめせしまに」
                       小野小町
解説は不要と思いますが念のため;
桜の花の色はすっかり色あせてしまったわ。何日も雨が
降っている間に。そして私の美しさもおとろえてしまったわ。
物思いにふけっているうちに。
この歌では年をとってかっての美貌を失った悲しみが表現
されています。色あせていく桜の様子に自分の老いが重ね
合わされているのです。
(以上暗唱百人一首/同志社女子大学教授吉海直人氏監修)









9月18日中秋の満月in豊橋

2024年09月19日 | 日記

豊橋駅からの中秋の満月


銀座煉瓦亭のオムライス


JR三島駅


JR沼津駅

9月なり少しは涼しくなるかと思えば
毎日軽く35℃以上の真夏日の酷暑が
続きますが、皆さん変わらずお元気でしょうか?

9月は昨日は大谷選手が51-51のMLB新記録を軽々
と1試合で超えていきましたね。今日も52号を連続
して記録しています。昨日のテレビは大谷一色でした。

9月18日の中秋の名月は、仕事で豊橋駅近くで夜を
迎え、夕食を駅ビルの地下でカツどんセットを平らげ
その帰りに駅前の2階の広場で満月を探していたら、
天体望遠鏡で見せてくれるグループに参加し、うまい
塩梅で最高の満月をゲット出来ました。大学の同期の
LINEに載せて九州の仲間に楽しんでもらいました。

9月は鋼材や型鋼の切断を生業とするお客さんの工場
の審査で、鶴見、沼津、富士宮、磐田、豊橋と1日毎に
ホテルを変えて転々としました。

9月3日築地の仕事が11時に終わり、その帰りにタクシーで
直行し銀座の煉瓦亭で定番のオムライスを注文しました。
2階の食堂は外は晴れているのですが薄暗く、しばらく
すると写真のような見かけはうまそうなオムライスが
現れましたが、味は2700円の値段には程遠く、がっくり。
口直しに有楽町の吉野家の500円の牛丼を美味しく食べ
ました。2700円は地代が高い分を差し引いてももう少し
うまくないと、リピートはないのではと心配です。

いつもの百人一首の7首目の紹介は;

「秋風に たなびく雲の 絶え間より
    もれ出づる月の 影のさやけさ」 左京大夫顕輔

解説;秋風がふいて、たなびく雲の切れ間が広がっている。
   そこからもれてくる月の光は、なんとすみ切って
   美しいのだろう。

いままでの灼熱の太陽から、秋風が吹く涼しい晩がすぐそこ
です。満月の月面にも秋の気配が感じられませんか?

10月は福山で仕事です。福山城まえのベッセルインに泊まります。
ここは朝食が美味しくて、いまから楽しみです。
   




8月の満月は有明・長洲から

2024年08月24日 | 日記

長洲梅﨑ホテルからの8月20日の満月


ベランダに大往生の蝉


桜が丘神社の夏祭り


倉敷の朝


久しぶりの中州


淡路島

ご無沙汰です。
8月20日の満月は、熊本県の長洲にある「うめさきホテル」から
のワンショットですが、スマホで小さくてすいません。

今年の夏は35℃以上の気温で、外での散歩などは
とてもできない毎日です。朝洗濯物を外に出すときに
クーラーの室外機の上で蝉が大往生でした。

今年は地区の組長が回ってきましたので、お祭りの
提灯を一つ寄付しました。盆踊りの櫓の一番上で
名前の入った提灯を見つけて大はしゃぎです。3年
かざったあとは、寄付者に戻してくれるそうで楽しみ
です。

7月から8月には仕事で倉敷、福岡に出かけました。
倉敷は近くに大原美術館があったのですが、仕事の
あとでは中に入れませんでした。ホテルはワンファイブ
に泊まりましたが、朝食がまずくて、近くの倉敷国際
ホテルの2500円の朝食にトライしましたが、福岡の中州
にある西鉄インの朝食のほうがうまいと思います。

8月20日の長洲からの帰りに福岡の中州にある西鉄インに
泊まりましたが、那珂川に架かる橋からの中州の町は
にぎやかですが、遠くの空には入道雲がそろそろ夏の
終わりを告げているようです。

翌日早めに福岡空港に行き予定を早めて帰ろうと思った
のですが、前日東京の天候が悪く福岡への飛行機の
やりくりができず、11:50分が14:00発に大きく遅れ
ました。遅れた分のご褒美には帰りの便からの地上の
景色は最高でした。明石海峡大橋から徳島までの淡路島
全体が見えました。

今回の百人一首の6首目の紹介は、「有明」にちなんで、

有明の つれなく見えし 別れより
            暁ばかり 憂きものはなし
                    壬生忠岑
解説;
あの夜明け 空にはすげない有明の月が 心乱れて帰る
私の上にかかっていました。 あの朝から、逢瀬もなくて
日は過ぎゆき 暁ごとに私は心をかきむしられます。
あなたと別れたあの朝のことが思い出されて。
(世界文化社/大岡信著より)

有明の月とは、夜が明けても空に残っている月のこと。
有明の月が見える時刻は、当時の恋人たちにとってつらい
別れの時間。

有明の月を見たのはいつだっただろうか? 

8月はたくさんの皆さんに見ていただき
ありがとうございます。



















7月21日の満月・バックムーン

2024年07月23日 | 日記

7月21日自宅のベランダからのバックムーン


西明石への東海道新幹線弁当(幕の内弁当)

ご無沙汰しております。

毎日体温並みの酷暑がつづきますね。皆さんこの暑さに
体調が狂ってきますよね。7月は月初めには名古屋の半田、
月半ばには西明石に出かけました。駅弁は西明石向けの
新幹線ひかりでのおいしい「東海道新幹線弁当」です。
この幕の内弁当は1000円とお手頃です。最近は何もかも
値上げで財布の中はいつも空っぽです。

上の満月の写真はベランダから8時頃の7月の満月です。
50mmのレンズではこんなものですが、来月はスマホ用の
レンズを手配しましたので期待してください。でも久しぶりに
快晴になりましたよね。

ところで今回の「百人一首」から5首目の紹介は、トイレにかけて
ある日めくりの一首の紹介ですが、ちょうどNHKの大河ドラマ
で進行中の、紫式部の一首です。

「めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
               雲がくれにし 夜半の月影」

解説;
「幾年ぶりにめぐり逢って ああ あの面影はあの人では
なつかしさに胸おどらせる私をおいて はやばやと雲の中に
隠れてしまった。 夜半の月 童の友だち」
この歌、詠んだ印象は淡淡としているが、それでいて読後に
ある澄んだ情感が残る。上三句が早いテンポで事柄の推移を
のべ、下二句でそれを哀惜のうちにたくみに包んでゆく呼吸の
確かさによるものだろう。
紫式部の父藤原為時は文章生出身で、越前守になった人である。
彼女は藤原信孝と結婚し女堅子が生まれるとその翌年に信孝は
亡くなってしまう。

進行中の大河ドラマの視聴率は最低だがそんな視聴率は気に
ならないほど、吉高は紫式部になりきっていると私は思う。
彼女の上目つかいの顔には色気と物語が備わっている。






6月の満月/ストロベリームーン

2024年06月27日 | 日記

津市の造船所のホテル


ホテルの洋食モーニング


いつもの大観亭のうな丼(中)1900円

去年の7月から数えて13回目の満月でしたが
今月も曇り空で直接見ることはできませんでした。

赤い満月で思い出すのは布施明の「バラ色の月」
です。カラオケで私が歌いたいのは、
1.青春時代
2.バラ色の月
3.円舞曲(ちあきなおみ)
4.喝采
です。76歳でバラ色の月を歌うのは少し恥ずかしい
のですが、歌っている間は年を忘れています。布施君
も同じ年だと思います。

6月は3日から7日の一週間津市の大手造船所で仕事
でした。宿舎は会社の船主監督も泊まるホテルです。
足を伸ばしても届かないほど大きなバスタブです。
朝食は、和食より洋食がいろいろついて満腹です。
さすがに一週間の仕事は長く、帰りの金曜日の
お楽しみはいつもの大観亭のうな丼です。今回の
仕事でこの津市の造船所の審査は終了です。8年間も
お世話になりました。

今回の万葉集の四首目の紹介は次の一首です。

「夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを
            雲のいづこに月宿るらむ」
                 清原深養父

(夏の夜は短くてまだ夜になって間もないと思って
 いたらもう明けてしまった。月は雲のどの辺りに
 隠れているのでしょうか) 

6月22日は夏至でした。夏の夜はあっというまに
明けても月はまだ西の空にぽっかりと浮かんでいますよね。

7月も、名古屋の半田、姫路、倉敷と3か所で仕事
です。いづれも初めて行くところばかり。疲れます。
夏バテしないよう皆さんも注意してください。