唐津西の浜
唐津西の浜(向うに衣干山)
2016年8月は久方ぶりに故郷の唐津に帰省しました。
小学校から高校までの幼児からの青春時代を過ごし
ました。兄二人がいたのでそのあとからのんびりと
気ままに生きてきました。叔父が佐世保にいて中学
2年生?正確にいうと昭和37年7月10日の日章丸
の注水式をみて自分の職業である造船業が決まり
ました。小さいころは家から海水パンツ一つに手ぬぐい
を頭にかけて下駄をからころと鳴らしながら10分ほど
でこの西の浜で朝から泳いでいました。夏の原風景は
この2枚の写真です。
唐津城のお城の下にある高校はいまは早稲田系列佐賀
高校に追い出されいまは鏡の前に移設しています。
同窓会の名前は「鶴城同窓会」のままになっていますが
このことがいま生きているなか一番の後悔している
出来事です。今の市長がなにを思ったのかお金を
もらったのか市政上お金が足りなくなったのか知りません
が、昔は高橋是清も東京から来て辰野金吾がその塾で
勉強し日本を代表する建築家になり「東京駅」や「日本
銀行」を設計した伝統のある高校を場所とともに普通の
高校にしてまで手にしたものは何だったのでしょうか?
来年の2月には唐津市長選挙がありますが、同窓生には
70才になる前に一仕事して市長になり高校をもとの
場所に戻してくれと声をかけているのですがこれまでの
声をかけた同窓生には行動を起こす人はおりません。
68歳の余命は多分10年でしょう。日本人の0歳の
余命は男性が80年です。高校の同期の10期生には
最後の一仕事として行動してくれる人を期待しています。
今度帰省した中で城内の「芦の花」は城内の河村美術館
の別邸でおいしいランチを出してくれます。是非お立ち
よりください。またいける人は旧唐津銀行の近くの
「風来坊」で甘辛の手羽先を肴にビールまたは白波は
いかがでしょうか?河村美術館では青木繁の1910年の
「夕焼けの海」(絶筆の唐津の海)が鑑賞できます。
西の浜に2度行きましたが小さいころの夏の太陽の
じりじりした感触が足のしたから伝わってきて一瞬
そのころの自分に戻りました。短いけど永遠の夏を
久しぶりに満喫した夏休みでした。10日間お世話に
なったNさん千鶴子さんありがとうございました