チェコ対ラトビア

 サッカーの魅力はオフェンスだけではないことを証明し、見る者をグイグイと魅きこんでいった、固く鋭い、金属的なラトビアサッカー。

 最後の最後に、強者の前に屈してしまい残念ですが、これもfootballなのでしょう。
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音楽とスポーツ

 昨日、テレビ朝日サッカー中継のテーマソング” A Question Of Honour”でおなじみのサラ・ブライトマンのコンサートへ行ってきました。

 透き通っていながらも弦楽器のように伸びやかな彼女の声は、私のように音楽に明るくない者にも非常に心地よく、はるか彼方からステージ上の細く美しい彼女を眺めながら、至福の2時間あまりを過ごすことができました。

 音楽、ダンス、照明、ステージ構成。どれをとっても、観衆を魅了するに足る高度な芸術作品。ステージを囲む私たちは、ただそのステージに身を委ねておけば、日常では体感できない極上の空気に包まれることができる、すなわちコンサートとは、「委ねの芸術」と言うことができるでしょう。

 一方でスポーツ観戦は、いたずらに身を委ねていても快楽を味わうことはできません。まずルールが分からない(笑)。競技の中には演出がないので、ルールが分かったところで、盛り上がりどころがつかめないこともあります。競技そのものには興味あっても、たとえば巨人ファンが近鉄対オリックスを見ていても盛り上がれないように、感情移入できるチームや競技者がないと、面白みを感じないこともあるでしょう。

 スポーツとは、観衆が身を委ねるだけではその快楽を堪能できる芸術ではないのです。では、音楽よりスポーツの方が無価値なのでしょうか?

 もちろん、そんなことはありません。当たり前のことですが、どちらがより価値が高いということではなく、単に両者が異質だということ。スポーツは観衆に参加することを強いる芸術なのです。

 競技のルールを覚える、戦術について考える、選手の経歴をたどるなどなど、スポーツイベントを存分に堪能するには、それ相応の準備が必要。スポーツは「参加の芸術」なのです。

 と、素晴らしいコンサートを振り返りながら、乱暴な思考をめぐらせてみました。ただ近鉄合併問題においては、この「参加の芸術」という視点がいっさい欠落しているため、多くのプロ野球ファンが反感を覚えているのではないでしょうか。
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