鏡に写った自分を叱る

 自分を客観視することが大切、なんて良く言います。感情に流されずに、自分の立場・言動・役割等々を鑑みて行動指針を立てること。それが大人であり、ビジネスパーソンであると。

 ま、それはまったくその通りで、私自身にとっては一番欠けている部分だなと感じることでもあります。自分の姿を鏡に映して欠点をあげつらうことはできるけれど、その欠点を叱ることはできない。……これって客観視できてることになるんでしょうか?

 とまぁ、私のことはともかくビジネスパーソンにとって、これ(客観視&修正)は不可欠な素養ですよね。同じ過ちを繰り返すこと、立場をわきまえずに行動することなどは、大人として首を傾げられる行為となります。

 で、それってアスリートにも同じことが言えるのではないでしょうか? チームにおける自分の立場や目標とする大会に向けての練習の進捗状況、はたまたプレースタイルやメディア対応。自分を鏡に映さなければならない機会はきっと多いはずです。

 マリノスの久保のプレーや受け応えを見ていて感じるのは、「感覚派」なんだなぁということ。鏡に映る自己の姿には興味がなさそう。それであれだけのプレーができる彼はすごいけれど、このままではスランプに陥った際に、修正できないがために、復調の糸口がつかめなかったり、メディアに叩かれたりと壁にぶつかるのではないかと心配です。
 一方、マリナーズのイチローは、ちゃんと鏡に映った自分を叱れるタイプ。例年、4月は打率が伸びず、5月になると成績が向上してくる理由もきちんと説明できるし、その場その場で自分が何をなすべきかを言葉にする術を身につけているようです。

 今朝(10日)の朝日新聞の「日本の五輪力」という企画記事に、東海大の高妻助教授のコメントとして、「『根性がないから勝てない』というのは、指導者の責任逃れ」とあります。(一部要約)
 たしかにスポーツ界には、未だに根性論を主張する指導者が数多くいます。いや、スポーツ界だけではなく、ビジネス界にだってはびこっています。論理的に後進の指導にあたれない彼らは、もしかすると自分を鏡に映してこなかった人々なのではないでしょうか? そう考えれば、彼らがいたずらに精神論ばかりを口にすることも理解できます。なぜなら、彼らは論理的に指導するだけの言葉を持っていないのだから。

 これからの時代に生きる我々は、アスリートだろうが、ビジネスパーソンだろうが、自分を叱る言葉を持たなければなりません。その言葉と行動が、後輩や周囲の人々の共感を呼ぶのでしょう。
 
 って、偉そうに長文を書いてないで、まず自分からですね…。
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