ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃、ビアハウス:リリー・マルレーン

2018-03-13 10:52:28 | あの頃、ビアハウス
2018年3月13日

♪vor der Kaserne      夜霧深く
or dem grossen Tor    たちこめて
 stand eine Laterne     灯りのともる街角に
 Und steht sie noch davor  やさしくたたずむ恋人の姿
 do wolle´n wir uns da wieder seh´n
Bei der Laterune wollen wir steh´n
 Wie einst Lili Marleen     いとしい リリー・マルレーン
 Wie einst Lili Marleen     いとしい リリー・マルレーン

若い人には馴染みが薄いかも知れないこの歌、「リリー・マルレーン」は第二次世界大戦中にナチへの反戦歌として戦場で歌われた。

自らがドイツ人でありながら国策に反抗し亡命したドイツの大女優、マルレーネ・ディートリッヒの低い声でささやくように歌ったこの歌に戦場の兵士たちはつかの間の安らぎを得、望郷とともに国に残してきた恋人に思いを馳せたことであろう。

ビア・ソングやオペレッタを持ち歌にするには、私の声は低すぎた。出ない声は出ないのである。暗黙のうちにできあがったのが、「場内を盛り上げる陽気な歌は先輩歌姫宝木嬢、そして、ひっそりがわたしの歌」。もちろんわたしの持ち歌全てがそうではないが、私の低音に合わせて宝木嬢が歌う歌を全て変調するのも違和感があるというものだ。低く変調しても聴けるという歌はそのように楽譜をわたしは書き換えて、アコーディオンのヨシさんにお願いした。


夏場、場内の盛り上がりは7時半の「5リッタージョッキーの回しのみ」で始まる。
「ビア樽ポルカ」の曲にあわせてわたしたちはタンバリンを手に目いっぱい陽気に歌い、まず常連の一人がステージ前の丸テーブルの上に乗りあがり、ヨッコラショとばかりに大きく重いジョッキーを片手に飲み始め、そのうちにそれに続く飲み人の列ができる。

アサヒ・ビアハウス名物の回し飲み。当時週刊誌で紹介されました。 

順番に回しのみして行き、最後に飲み干した人には記念品が与えられ、そのすぐ後、全員総立ちでそれぞれのジョッキーを片手に
  Ein Prosit Ein Prosi der Gemutlichkit!!
(アインプローズィト アインプローズィト デル ゲミュートリッヒカイト=乾杯!)
   
と、歌いながら見知らぬ隣席の人々とグラスをあわせ鳴らすのである。 場内はこのときが最高潮。そんな後にちょっと一息、静かな歌としてリクエストの多かったひとつが、この「リリー・マルレーン」であった。
  
ドイツ語で歌い始めると場内は静まり返り、さほど上手でもないわたしの歌に人は耳を傾けてくれる。

ほの暗いビア・ホールに流れる「リリー・マルレーン」はその哀愁あるメロディで熱気溢れる回し飲みやムカデ行進の後が、聴いてもらうのに抜群の効果があった。

ポルトガルに嫁いで来てからも、わたしはよくこの歌をギター片手に歌ったものだ。娘が4歳になったときは、当時3年に一度の日本への帰国を諦めるからと、夫にピアノをねだり、独学で鍵盤に触れることを学んだ。もちろん、ピアノを習うのはわたしの娘に託した夢でもあったので、彼女は4歳から始めたわけである。

娘は17歳のポルトガル高校卒業国家試験受験準備までピアノを続け、音楽愛好家の一人となったのだが、「リリー・マルレーン」は夕食の準備に台所に立つ前のひと時、わたしはピアノ弾き語りでしょっちゅう歌った歌のひとつだった。ゆえに我が子たちはその年齢に似合わず、この「リリー・マルレーン」をも知っている。

わたしの大好きな歌である。

マルレーネ・ディートリッヒの歌を下に。わたしはあまり感情をこめずシンプルに歌っていました。アコーディロンの音がいいですね。

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