ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

邯鄲(かんたん)の夢と昔日巡礼

2018-08-30 09:29:51 | 思い出のエッセイ
2018年8月30日 

2300年ほど前の中国戦国時代、盧生(ろせい)と言う青年が、人生の迷いを晴らしたいがため、楚の国、羊蹄山の聖者に会わんと遥か旅をして、趙(ちょう)の国の都、邯鄲(かんたん)に宿を求める。 宿のおかみが出してくれた枕で昼寝をするうちに、盧生は出世し、その内、冤罪で投獄され、疑いが晴れ、やがて栄華を極め、楚の帝となる。子にも恵まれ、50年を過ごし、ついに年老いて死を迎える夢を見る。

覚めてみると、寝る前に仕掛けられた宿の粟粥が、まだやっと炊きあがろうとしているところだった。盧生は、人生は束の間の夢だと悟り、故郷へ帰っていく。

これは中国の故事のひとつで、「邯鄲の枕」とも呼ばれ、日本では能の演目のひとつとされる。故事では宿のおかみが、仙人になっている。ちなみに「邯鄲」は小さいコオロギをも意味し、中国では「天鈴」と呼ぶと言う。

この話を知ったのは数年前の、とある本でだが、わたしはその時この歌を思い浮かべたのだった。

Row, row, row your boat,
Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.

英語を習い始めて、誰もが耳にする子供の歌だが、これはメタファー(隠喩)だと考えたのは大人になってずっと後である。 Boatはわたしたちの人生を指し、 Streamはわたしたちが逆らうことのできない時間の流れである。最後の「Life is but a dream」は他の説もあるが、わたしは「人生は束の間の夢のように短いものなのだ」と訳している。

上述の盧生が、人生は束の間だと悟り帰郷したのをなるほどと頷けるのは、わたしも少しは物事の分別ができる齢になったからであろう。盧生のように人生を悟り、故郷へ戻ると言うのは、若い者には似合うまい。人生に迷いあり、夢あってこそ若さだと言えよう。故事に異を唱えるつもりは決してないが、若いうちに人生を悟ってしまうのは面白くないような気がする。

と、こんな長い前書きと故事まで引き出して何を言いたいかと言うと、若いときに悟ることはできなかったが、人生とは?と自問して生きてきた後の楽しみのようなものがわたしにはあったりする。今日はそれを書いてみたい。

わたしは時折、記憶を辿って昭和の子供時代をブログに綴ったりしているが、それは今日まで前を前をと、なりふり構わずやって来たから、あちこちに置き忘れて来たものを、今になって、懐かしく振り返り、記憶の糸を探って手にって眺めてみたい気持ちになったりする。

この春日本へ帰国した際、2年ぶりに妹夫婦と車で東北自動車道路を走って故郷弘前へ向かった。片道8、9時間の旅だ。義弟も弘前出身である。故郷を後にして半世紀が経とうとするが、その間、わたしが訪れたのは数えるほどで、それもここ、数年のことである。36年近くも故郷にまともに足を踏み入れることがなかったのだった。

9人兄弟だった母の兄弟もみな鬼籍に入り、いとこたちとの交流も途絶えてしまった今となっては、帰郷したところで、たいした親戚はいないわけだが、実は、高校時代の同窓生に会えるという大きな楽しみがある。今回も、久しぶりに帰郷したわたしのために、恩師を始め10人ほどが集まってくれたのだが、この話は後に回して、と。



弘前の町のどこからでも望まられる美しい故郷の山、岩木山、次回は岩木山にまつわる、我が昔日を記してみたい。


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