ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

バチカン市国:広場

2017-10-01 12:39:19 | 旅行
2017年10月1日 

2年前にバルセロナを訪れた際、肝心の入場したかったところ、サグラダ・ファミリアやガウディ公園その他の主だったところは、前もってネット予約をしないと入れないと言う悔しい経験をしたので、ローマ旅行の今回は、バチカンのシスティナ礼拝堂とコロセウムは是非と思い、ネット予約をして現地で入場券を受け取るということをしました。

今日はシスティナ礼拝堂入場前に訪れたバチカン広場の紹介です。

バチカン市国は世界で一番小さい国ですが、カトリックの聖地です。毎水曜日はミサと法王の謁見の日で、たくさんの信者が広場を埋め尽くします。わたしたちが行ったのはその水曜日でした。

広場入場の際にはセキュリティチェックがありました。空港と同じで荷物とボディーチェックです。


写真正面の建物がサン・ペドロ大聖堂です。
広場の中央には世界中から謁見にやってくる信者たちの座る椅子が並べられており、この日は環境客は広場の周囲に巡らされた柵内に入ることはできません。教皇フランシスコの説教が良く見聞きできるように、大きなテレビ画面が数箇所に設置されています。
 
すると望遠鏡を覗いていた夫が、「Papa(ポルトガル語で法王のこと)が、真ん中に座っているのが見えるよ」
と言うのです。カメラをズームアップしてなんとか見ることができました。


この後、静かにこの場を出て、システィナ礼拝堂へ向かったのですが、それは後日書くとして。


これが有名なバチカン市国と教皇を護衛するスイス衛兵です。青、赤、オレンジ、黄色の縞の16世紀ルネサンス時代のひときわ目立つ制服を身にまとっています。現存する国軍では創設時期が最古の軍だそうです。

採用基準を調べてみました。
・カトリックのスイス市民
・年齢は19歳から30歳まで
・身長は1.74メートル以上
・中等学校または相当する職業訓練校と、スイス軍の基礎訓練課程を修了
・スポーツ能力と人品が良好であること
・伍長と兵は独身であること

2006年現在で計110名の兵、3個グループ の構成だそうです。
モットーは「勇敢にして敬虔に」。ヨーロッパの傭兵の中でも無類の強さで知られていたスイス傭兵がバチカンに採用されたのは16世紀のことです。1527年5月6日のローマ略奪の際には189人のスイス衛兵のうち147人が勇敢に戦い戦死しています。
ローマ略奪とは1527年5月、神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、教皇領のローマで殺戮、破壊、強奪、強姦などを行った事件のことです。

ダヴィンチ・コードの著者ダン・ブラウンの主人公ラングドン教授がバチカン、ローマで活躍する「天使と悪魔」を読まなかったら、わたしはこのスイス衛兵隊の存在を知らなかったかもしれません。

そして、「ダヴィンチ・コード」を手にしていなかったら、テンプル騎士団とポルトガル歴史の関係に気づき、拙ブログ左欄のカテゴリにある「spacesis、謎を追う」も始まらなかったでしょう。本で知るだけでなく、実際に自分の目で確認できる距離にあるということは、大いに勉強の刺激になります。

今回のローマ旅行では、自分の目で見て見たいと思うものが、いくつかあり、それでヨッコラショと腰を上げたのでした。それらを一つずつ取り上げて行きたいと思います。

次回はサン・ペドロ大聖堂の中です。


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