ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

「橋の上の霜」と狂歌師

2021-11-04 03:25:44 | 日記
2021年11月3日

ずいぶん前のことだ。
外国人にとっても日本語が比較的聞き取りやすいとわたしが思った映画、「日日是好日(樹木希林主演)」を、日本語中級クラス生徒に見て欲しいと思って、youtubeで探していた時に、偶然目についたのが「橋の上の霜」という江戸時代のドラマだ。

題に惹かれて何とはなしに開いてみると、原作が平岩弓枝、主演が金八先生こと武田鉄矢で、1986年に放映されたとのこと。

どれどれ、と見ていくうちに、主人公直次郎が狂歌師だと言う。その親しい友人の朱楽 菅江(あけら・かんこう)の名を耳にして、あっと思った。

我がモイケル娘、院では中世文学を選び、狂歌師、山辺黒人(やまべのころうど)をテーマにした卒論に取り組んだのだが、その時に、狂名にはこんなおもしろいのがある、こんなヘンチクリンなのがある、と、話を聞かされたのである。それを思い出したのだ。

狂歌師はしゃれに富んだ狂名を号したと言われ、朱楽 菅江は「あっけらかん」から、頭光は「つむりのひかる」、元木網(もとのもくあみ)など(モイケル娘の受け売りなり。笑)、愉快な狂名が多い。

しからば、ドラマの直次郎とはと言うと、江戸の下級武士太田直次郎で、後に狂歌三大家と呼ばれた、朱楽 菅江、唐衣橘洲(からこもろきっしゅう)らと並ぶ残りの一人、狂名「太田南畝(おおたなんぽ)」更に「蜀山人(しょくさんじん)」と名を馳せる直次郎の若い頃、「四方赤良(よものあから)」と名乗っていた時代を描いている。

下級武士ゆえ金はなかったが文才があったのでパトロンが付き遊ぶ金にはことかかなかったが、吉原の遊女に入れあげ、ひょんなことから分不相応にも遊女を身請けしてしまう。しまいには自分の屋敷の離れに見受けした遊女を住まわせるという、なんともダメな男の話ではある。

後半は、そこそこに狂歌師としての名も売れてきたところで、

白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず

と、狂歌で寛政の改革批判をしたと噂され、危うく首が飛ぶところであった。

この二つの狂歌は、高校時代の歴史で習ったのでよくそらんじている。が、まさか、こんな年月を経て、こういう物語のからくりがあったとは知らなかった。

さて、直次郎は上の2作については自作を否定している。取り調べまで行く以前に、朱楽 菅江のとりなしで、直次郎の歌を読んだ上司が感動し、おとがめなしとなる。その歌が、

「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」なのである。

太田南畝、または蜀山人(しょくさんじん)の歌にはこういうのもある

「世の中は幸と不幸のゆきわかれあれも死にゆくこれもしにゆく」

後に支配勘定に出世、文政6年(1823年)、登城の道での転倒が元で75歳で死去。
辞世の歌は、

「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」

最後まで狂歌の精神、ユーモアを忘れなかった太田南畝ではある。

下記、モイケル娘が、狂歌師院卒論に四苦八苦していた頃の我が日記を抜粋。以下

2015年2月9日 

去年の秋口からずっと、修士論文、狂歌師に取り組んできた我がモイケル娘ですが、しばらく前に口頭面接試験も終わり、なんとか院卒業にこぎつけそうです。

娘から送られた修論の一部を目にして即、「なんじゃいな?この黒人て?江戸時代に日本に黒人がおったとは思えないぞ」と言ったら、笑われた。
「おっかさん、コクジンじゃなくて、クロウドと読むのじゃ」。

そう言えば、江戸時代の狂歌師をテーマにとりあげて、数ヶ月、市立図書館や大学の図書館に通い詰めで、ほとんど悲鳴をあげんばかりの娘であった。それはそうだろう。大学4年間は英語系だったのを、いきなり院で近世日本文学だと言うのだから。

18歳までポルトガル生まれポルトガル育ちの彼女にしてみれば、英語、ポルトガル語、日本語のトライリンガルに、もうひとつ、「江戸時代の日本語」という外国語が加わるようなものです。

古文などは、週に1度の補習校の中学教科書で、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言うようなさわりの部分を目にしたくらいで、知らないと同様の状態で取り組んだのですから、その大胆、かつ無鉄砲なるところ、その母の如し。笑

浜辺黒人なんて、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ」の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)のもじりではないか(笑)

狂歌は和歌をパロディ化したものらしい。そこで、ちょいとネットで検索してみると、あはははは。狂歌師たちの狂名に笑ってしまった。

朱楽菅江(あけらかんこう=「あっけらかん」のもじり)、
宿屋飯盛(やどやのめしもり)、
頭光(つむりのひかる)、
元木網(もとのもくあみ)、 
多田人成(ただのひとなり)、
加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、
南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)
筆の綾丸(ふでのあやまる)
↑これなどはしょっちゅうキーボードでミスタイプして誤字を出すわたしが使えそうだ。わたしの場合は、さしずめ、「指の綾丸」とでもなろうか(笑)

筆の綾丸(ふでのあやまる)は、かの浮世絵師、喜多川歌麿の狂名だという。中には、芝○んこ、○の中には母音のひとつが入るのだが、これなどには唖然としてしまう。

おいおい、モイケル娘よ、こんなヘンチクリンな狂歌師たちとその作品を相手の修論、資料が少ないともがき苦しんでいたなんてホンマかいな。腹を抱えて笑うのにもがき苦しんでいたんではないか?等と勘ぐったりしているのはこのおっかさんで、当たり前だが修論はいたってまじめに仕上げられている。この研究が生活にはすぐ役立たないが、そういう学業を教養と言うのかもしれない。高くついた教養ではあるが(^^;)

本日は長い拙文を読んでいただき、ありがとうございます。
なお、「橋の上の霜」を見たい方は、youtubeで検索すると、出てきます。

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