ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

轟く海辺の妻の墓

2018-01-30 23:10:37 | 
2018年1月30日 

今日はビアハウスの話を休んで。

海の上で太陽が光を雲間に閉じ込められながら、かろうじて姿を見せている一枚の写真があります。


これは2016年に三度目にここを訪れた時に撮った写真ですが、カラーを白黒にしてみたわけではなく、目まぐるしく天気が変化するロカ岬でスマホを利用して撮影したものです。暗い画像に、わたしはある詩の一行、「どろく海辺の妻の墓」を思い出したのでした。


高校時代には、苦手な理数系の勉強はほったらかしに、フランス文学、ロシア文学、ドイツ文学の著名なものを図書館から借り出しては、外国文学の起承転結の明確なところにわたしは心を躍らし、片っ端から読みふけったものです。

そして、20歳頃にグワッとのめりこんだのに、松本清張シリーズがあります。「黒い画集」から始まり、清張の作品のかなりを読了しました。「社会派推理小説」と当時呼ばれた清張の作品は、大人の匂いがプンプンして、20歳のわたしには世の中の理不尽や犯罪に駆り立てられる人の心理を、こっそり覗いたような不思議な刺激がありました。 

それらの中でも特に心に残ったのは、霧の旗、砂の器、ゼロの焦点です。つい先ごろ、この「ゼロの焦点」をもう一度読み返す機会があり、思い出したのです。20歳の頃、気になりながら当時は調べようもなかった詩の1節がその本の中にあったことを。

In her tomb by the sounding sea. とどろく海辺の妻(彼女)の墓

訳が素敵だと今も思います。

戦後の混乱期の自分の職業を隠し、今では地方の上流社会で名をしられている妻が、過去を隠さんがため犯罪を犯す。やがて追い詰められ、冬の日本海の荒れた海にひとり小船を出して沖へ沖へと漕いでいく愛する妻をなす術もなくじっと見送る年老いた夫の姿を描くラストシーンに出てくる英詩です。

当時、この詩がいったい誰によって書かれたものなのか分からないまま長い年月の記憶の彼方に押しやられていたのでした。改めてこの本を読み終わりgoogleで検索してみよう!とハッと思いついた。英文でそのままキーワードとして打ち込みました。

おお!出た!出たではないか!一編の詩に行き着きました。しかも、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは作家、翻訳家でもあり、エドガー・アラン・ポーの訳詩もしていましており、この詩に行き着きました。

この詩は、「Annabel Lee=アナベル・リー」と題されるエドガー・アラン・ポーの最後の作品なのでした。(詩全部をお読みになりたい方はWikipediaでアナベル・リーと検索すると出てきます)

詩、「アナベル・リー」は、14歳でポーと結婚し、24歳で亡くなった妻ヴァージニアへの愛を謳ったものだそうで、ポー最後の詩だとされています。

「とどろく海辺の妻の墓」は、その詩の最後の1節です。エドガー・アラン・ポーといいますと、わたしなどは、「アッシャー家の滅亡」の幽鬼推理小説家としての一面しか知らず、詩人でもあったとは。無知なり。

Wikipediaで検索しますと、ポーの大まかな半生が書かれていますが、残した作品に違わない(たがわない)ような激しい愛の一生を終えた人です。

40年近くも経ってようやく、「ゼロの焦点」のラストシーンと、このポーの人生の結晶である「アナベル・リー」の詩がつながったのでした。

ロカ岬の暗い画像から、リスボンの詩人フェルナンド・ペソア、そして、ポーのアナベル・リー、松本清張のゼロの焦点ラストシーンとつながるとは奇遇なことです。

う~ん、これは清張ばりで行くと「点と線」が繋がったとでも言えるかしら。

本日も読んでいただきありがとうございます。


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