ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃ビア・ハウス:第15話:「It´s a long way to Tipperary」

2018-03-06 10:16:00 | あの頃、ビアハウス
2018年3月7日

      
♪It´s a long way to Tipperary
 I´ts a long way to go
 It´s a long way to Tipperary,
 to the sweetest girl I know
 la la good'bye Piccadilly, farewell Leicester Square
 It´s a long long way to Tipperary 
 but my heart´s right there !
 
 月が出た出た 月がでた ヨイヨイ
 三池炭鉱の上に出た
 あんまり~煙突が~高いので
 さぞやお月さん 煙たかろ
 サノヨイヨイ
        
この歌は第一次世界大戦中に流行った歌です。「さらば。ティペラリ」が芳名。
「Tepperary」とはアイルランド共和国にある地方の村の名前です。この村から出征した兵たちが歌い始めて広まったのだそうで、第一次世界大戦を背景にしたイギリス映画を見る機会があれば、バックに流れる音楽に耳を傾けてみて欲しい。恐らくこの曲が聞けるのではないかと思います。

原語歌詞の下におかしな日本語の歌詞が入ってる?いかにも。            
これは日本民謡の「炭坑節」です。この歌のイントロ、そして「but my heart´s right there」のエンディングの後に「炭坑節」は実にうまい具合に続けられるのであります。

歌の二番目、「炭坑節」に来たところで、ビアハウスホールの客はドッと笑い転げる受けのいい歌なのである。この「さらば、ティペラリ」は梅田アサヒ・ビアハウスでは炭坑節と合わせて歌い継がれてきたのであります。

この歌と重なって必ずわたしの脳裏に浮かんで来るのが、キャセイ・パスィフィックのクルーたちです。彼らが来ると、必ずこれをリクエストされます。ほとんどがイギリス人のクルーたちは、当時の国際空港伊丹に到着しロイヤル・ホテルに入り、一風呂浴びてのち徒党を組んで、我らのアサヒ・ビアハウスにやってくるのです。
        
ビアハウスは9時半で閉店であるから、彼らはそれでは騒ぎ足りず、英語を少しかじっていたわたしは必然誘われて一緒に連れだってはピザパブの「梅田シェイキーズ」へと繰り出したものです。

そこでは、ピザ、生ビールとともに、ディキシーランド・ジャズの生演奏が聴けました。わたしたちのお気に入りは、そこでクラルネットを吹いていた若い女性演奏者でした。 アサヒビアハウスも楽しかったが、この「シェイキーズ」もそれに劣らず愉快な酒場でした。
        
わたしは、このクルーたちを炉端焼きなどにも案内したりして、よく可愛がってもらい、独学でしていた英語勉強でしたが、大いにブラッシュ・アップをさせてもらったのでした。

わたしがアメリカでの大学入学資金を達成し、いよいよアメリカに向けて羽田空港から飛び立つという日に(当時は成田空港はまだできておらず今同様羽田が国際線空港でもあった)母や親友、義弟にまじって、そのクルーたちの一人Davidが代表で空港まで見送りに来てくれたのには感激した。

セピア色の写真に手を加えてみたが、せいぜいこの程度。


先輩歌姫宝木嬢と「エーデルワイス」を歌う、わが友David  
       
今でも梅田シェイキーズは同じ場所にあるのだろうか・・・
キャセイのあの頃の仲間たちは皆どうしているのだろうか。
        
It´s a long long way to the olden times
It´s a long long way to ABH(Asahi Beer House)
but my heart´s right there!

と、心の中で歌ってみる。



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