ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

アリゾナの空は青かった(3):North 2nd Avenue 927番地

2018-04-03 12:01:05 | アリゾナ・ツーソン留学記´78
2018年4月3日

「やぁ、ひさしぶり。」と空港で再会したロブに、
「今、3人でハウスシェアリングやってるんだけどね、一部屋空いてるよ。うちへ来ない?」と持ちかけられたわたしは、一も二もなく「もちろんそっちへ行く!」と即答。
*ハウスシェアリング⇒一軒の普通の借家に家族でないもの同士が数人で住むこと。

まだあちこちで、「男子寮、女子寮のひと~」と叫んでいる迎えの学生に、
「あの、すみません、寮の予約をしてたんですけど、ここでキャンセルしますぅ。」と、初っ端からドタキャンしたわたしであった。
もともと何かと小さいいざこざがありそうな女子寮にはあまり入りたくなかったのである。しかし、ロブがツーソンにいるとは言え、彼はいつまた他国へ移動するかわからない風来坊ではあるし、ハウスシェアリングの話などツーソンに到着するまで聞かされていなかったのだ。

「大丈夫?」とでも言いたげな迎えの学生を後に、わたしはかつてイギリスまで一往復したものの、まだその真っ白さを損なっていない、我が全財産ともいえるサムソナイトの旅行かばんをズルズルひきずって空港外へ出た。

そして、そこに見たのである。ロブが手紙で「買った」と自慢していたイギリス人の愛車、中古のフォルクス・ワーゲンを。
当時まだ運転免許など持っていなかったわたしは車のことなど知る由もなかったが、その素人目にも明らかにポンコツとわかる代物であった。

「これ、フォルクス・ワーゲンどころか、あぁた、ボロクソ・ワーゲンだね。」と、笑い転げる乗客のわたしに気を悪くした友ではあるが、とにかく走りました(笑)

ツーソンの市街を走りぬけ、着いたところが、「North 2nd Avenue 927番地」



家が通りに面しているものの、玄関ポーチは通りから7、8メートルは入る。サンフランシスコやN.Yの家々とは少し趣の違った四角で白い大きな一軒家であった。わたしのツーソン第一日はここから始まったのである。