読書の記録

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国道16号線 「日本」を創った道

2020年12月06日 | 東京論
国道16号線 「日本」を創った道
 
柳瀬博一
新潮社
 
 
 国道16号線の本がまた出た。国道16号線というのは、どうやら研究者や作家やアーティストをして食指が動くものらしい。
 
 社会学的な見地としても、あるいは文芸作品に登場させる舞台としても、昨今の国道16号線へのフォーカスは「郊外」を象徴するものとして扱われてきた。
 その「郊外」は、いま分が悪い。量産型の商業施設、退廃的な影をおとす住人たち、蓄積された歴史も文化もない虚無的な空間。16号線を通して描くカリカチュアされた郊外像とはこんなものだった。
 
 こういった言説に対し、いやいや、16号線が通っているエリアはそんなうすっぺらい土地柄ではない、古代日本から立派な歴史と文化の蓄積があったのだ、と主張するのが本書である。
 
 関東平野という地勢がもつ特異性が古代においてこの地に人を住まわしめ、この地特有の地形や水事情がここに特有の産業を発達させ、そしてこの地ならではの文化や生活様式をつくった。関東には古代から固有の関東史があった。この見立ては説得力がある。
 古代から中世にかけての関東地方は、現在の都心部よりも外縁のほうが人が住みやすかった。海岸線の形も現代とは違うし、利根川や荒川の流れ方も異なっていた。治水も利水もまだまだ未熟なこの時代、人が住みやすいのは下総台地や武蔵野台地という丘陵地帯であり、必然的に現在における首都圏外縁が人の営む土地となったわけである。
 そういった地を足場に古代から中世にかけて平将門や三浦義明や結城氏朝や太田道灌といった地方豪族が栄えていった。
 国道16号線沿線の土地柄は「古い」のである。
 
 「古い」だけでなく、進取の気性を取り込む回路もできていた。それが三浦半島である。これは地形が与えた恩恵である。湘南海岸から三浦半島をぐるりとまわって横浜へ至る海岸線の形こそが、関東地方の歴史を決定づけたのだ。
 三浦半島の地形は言うならば天然の良港であり天然の要塞だったのだ。源頼朝の鎌倉も、ペリー来航の浦賀も、軍港の横須賀も、開港地の横浜も、三浦半島の地形が持つ好条件が軍都・軍港・商港をそこに誘うことになった結果である。
 そして、このような重要拠点が整備されると、物資の流通がここを起点に誕生するし、それがきっかけとなって他の軍事拠点や商工業拠点も物流動線上に配置されるようになる。広大な関東平野はこれらを抱え込むだけの余地があった。本書の指摘通りたしかに現在の16号線沿いには自衛隊や米軍の基地が点在するが、関東平野はそんな拠点を何か所もつくることができた。
 また横須賀や横田、横浜での米軍の出入りは外国異文化の流入を可能にした。これは相当なインパクトがあっただろう。
 
 本書で指摘するように、関東外縁地域は、確かにモノゴトを生み出す諸条件に満ちていたのだ。
 
 
 ところで、そのような関東外縁がなぜ今「郊外」として空虚になってしまったのか。
 
 いろいろな意見があるだろうが、16号線沿線で10年以上育った僕の個人的見解としては、「国道16号線」そのものが与えた影響というのは馬鹿にならないと思っている。社会学や文芸作品は国道16号線沿線を「郊外」の象徴として描くが、国道16号線こそが「郊外」を加速させた張本人と僕はにらんでいる。
 
 たしかに関東外縁部の土地は古く、固有の歴史や文化を持つものだった。そして随所に人の営む「町」ができれば、その町の間を結ぶ道ができるのも当然だった。
 
 しかし、国道16号線そのものは、戦後の経済発展において計画・整備された道路である。従来の道を拡張したり、新たな道を開くなどして計画されたこの道路の本質は「産業道路」である。物流をスマートに
 するために計画されたバイパス道路である。

 首都圏で生活するものの一般的なライフスタイルは、都心と郊外の往復の形をとる。鉄道会社の不動産開発は万事この方針で行われた。戦後の首都圏のライフスタイルとは、郊外に家があり、会社や学校や大きな百貨店は都心にあって人々はそこを往復する。日用のものは郊外その地にある店で調達する。そんなライフスタイルであった。
 これに対し、国道16号線や、その他の外環道路は、トラックやダンプカーが走る産業道路である。混みあう都心部を経由せずに地域間を迅速に移動して物資を配送するためのものなので、人々の日常生活の動きとは異にする動態である。つまり、関東地方における日々の生活という目線では国道16号線のダイナミズムはあまり可視化されないのだ。具体的な例で言うと、柏から東京に出たり、町田から新宿に出る機会は頻繁にあっても、柏から大宮に行くような、あるいは町田から八王子に行くような用事は滅多にないのである。いくら自宅に届けられるAmazonの段ボールが国道16号線を通って運ばれていようとも、我々の生活からは国道16号線の依存度はそれほどはっきりと体感できない。
 
 国道16号線のダイナミズムは、この体感できないゆえに、生活者が知らず知らずのうちにじわじわとその地域に本来あった固有の歴史や文化を侵食し、気がついたときにはあの特有のロードサイドの光景はできあがっていたような、そんな影響力であった。
 
 たとえば、物流拠点のある町はともかく、それ以外の町は単に素通りされるだけである。国道16号線には、そのように「単に町を横断しているだけ」という集落はけっこうたくさんある。
 そういう町にとって、国道16号はただひたすら右から左へとよそ者の大型車がひっきりなしに駆け抜けるだけの粗野で無縁な交通地帯になる。自分の地域のための道路というイメージは持ちにくい。むしろ町を分断するし、交通事故は危ないし、空気を汚すしで、あまりありがたくない道路である。
 
 また、そのような産業道路の「物流のしやすさ」に目をつけたのが全国チェーン型のロードサイド施設である。確かにブックオフもトイザらスも国道16号線沿いに第1号店が誕生したが、それはその地に新たなカルチャーを創造したかったからでなく、単に「安価で大量のブツを出し入れしやすい」という、産業道路の特性を活かしたからに過ぎない。
 これらのロードサイド施設の顧客は、必ずしも立地周辺の住民ではない。自動車で来店することを想定したもっと遠方からの客を商圏にとらえている。その客たちは、その地と無縁な国道16号線でやってきて、その施設で消費して、また16号線で帰っていく。ぶっちゃけ、その地域への敬意も憧憬もそこにはない。このロードサイドのビジネスモデルがもってこいなのは全国チェーン型の企業であり、全国チェーンでもあるために、ここにある種の類型的な景観をつくっていく。
 
 いつのまにか、その地域の日々の生活とはまったく感知しないところで、国道16号線という経済圏ができあがり、記号的で画一的なものが沿道にできあがり、無縁なよそ者がやってきて買い物をしてまた出ていく。
 つまり、国道16号線は、その地域に必ずしも寄り添っておらず、それどころか地域の固有性を知らず知らずのうちに奪っていくというそんな副産物を生んだのである。
 
 一方で、都心との往復というライフスタイルの側面からいうと、都心からの距離が国道16号線くらいまでのエリアになると、都心までは片道1時間かかる。毎日の通勤通学の往復をこれに費やす。
 これはやはりしんどい。1時間くらい普通でしょ、とかつては言われたが、それがどれだけ我々の時間と体力その他を奪ってきたかは、コロナでリモート生活になってからみんな気づいたことである。
 
 もともと、こんな都心から離れたところにニュータウンや住宅地が造成されたのは、ちょうど団塊世代が働き盛りになった時代に、都心では地価が高騰しすぎて買えなかったからである。自然に近い方が子どもの教育によいとか夢のマイホームとかいろいろ喧伝されたが、その実態は「都心で家が買えなかった」を糊塗したに過ぎない。鉄道会社は郊外と都心の往復という需要を創出することでビジネスモデルとしたし、国策としても日本住宅公団がこの地に住宅を大量配給するようになった
 したがって、地価の下落とともに、遠い郊外からの都心回帰が始まった。ライフスタイルから考えればそれは当然の帰結である。郊外に残ったのは「現状維持」をよしとするメンタリティの者ばかりになった。
 
 かくして、国道16号線沿いはますます「産業道路」のダイナミズムとしての側面が強くなり、関東外縁部の郊外を象徴するような光景がより先鋭化していくようになった。
 
 国道16号線に罪はないのかもしれない。ヒト・モノ・カネ・情報が行きかうところには化学変化が起こる。「道」とはそういうものだ。
 関東外縁の古層には、人々の生活の歴史と文化が積み重ねられている。それは固有に彩られたものだった。戦後にこれらのエリアを横に数珠つなぎにする産業道路ができた。そのダイナミズムは、過去の蓄積をなぎ倒す均質性と合理性をもたらした。
 
 しかし化学反応はまだ終わっていない。とくにコロナがもたらした人々の価値観変化は、パラダイムシフトをまねく可能性もある。東京都から、埼玉県や千葉県や神奈川県への人口流入の増加が数字として出始めている。
 鉄道のほうも、各社の相互乗り入れや、バイパス型の新線開発が相次ぎ、郊外における利便性がふたたび動きつつある。
 
 関東外縁部の歴史はまだ動き続ける。

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