読書の記録

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家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

2020年12月13日 | エッセイ・随筆・コラム

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

岸田奈美
小学館

 

 かなわないと思う。

 こういう文章書ければなと思っても、著者の人生にふりかかってくる「一生に一度しか起こらないような出来事が、なぜか何度も起きてしまう」苦労や苦悩と、それをばねにする強靭な精神と半端なき行動力。それからそれをユーモアにくるめながら読ませてしまう達者な文章力には、ひれ伏すことしかできない。

 

 話がまったくそれるけど、盲目のピアニストというのが存在する。日本人では辻井信行氏が有名だが、梯剛之氏はそれより以前から活躍しているし、世界を見渡しても古今東西存在する。ピアノを弾いて一流の芸術家として大成するには様々な要素が必要ではあるが、音に対する鋭敏性に関しては盲目のピアニストのそれは半端ない。もちろん世界レベルの第一級のピアニストや往年の大ピアニストは目が見える人がほとんどだけれど、盲目のピアニストが弾く、ピアノの音のあまりにも研ぎ澄まされた響きの妙は神の領域である。辻井氏のピアノの音をじっくり聞いてみてほしい。

 盲目の人がピアノを修得するにあたっての苦労たるやとんでもないものであることは想像に難くない。畏敬というか奇蹟をみる思いがする。そしてそれを克服した彼らの演奏を虚心坦懐にきいてみると、とにかく音の細やかなコントロールがものすごい。ここまで微妙に指先の筋肉の動きを制御するかと驚愕する。彼らは視覚情報が制限されるだけあって耳から入る情報処理能力がものすごく発達すると言われている。彼らの生活の万事が耳への鋭敏性を鍛える。その耳を頼りにした彼らの音づくりは、健常者の神経がそもそも太刀打ちできるものではないのだ、

 つまり、目が見えないという人生を歩むことが、聴覚を徹底的に研ぎ澄まし、音づくりの感受性を超人的なレベルにもってゆき、類まれな演奏になっていく。音楽というのはサウンドをコントロールする時間芸術だから、これを司るものとして、従来目が見えない人には、もう絶望的にかなわないのである。何がいいたいかというと、盲目の人生がこの音の奇蹟をつくるのだ。

 

 本書を読んで思いだしたのが、この「目の見えないピアニストにはかなわないんだよな」ということだった。

 著者がこういう文章を書けるのはもちろん、父をはやくに亡くし、母が下半身不随で、弟が障がい者という、背負った人生そのものにあるわけだけれど、真に大事なのは、そういった境遇によって鍛えられた彼女の感受性であろう。社会や人に対してのまなざし、心がキャッチするアンテナ、体についた条件反射、こういうときはどうしてやろうかという胆力、こういった彼女の「心身」についた感受性と美学こそがこの文章を成らしめている。もちろんここには著者の家族のあいだにあるお互いをリスペクトする感受性も大いに含まれる。

 ということは、このような文章を僕が書きたいなと思っても書けるわけがないのである。彼女に比べれば圧倒的にぬるい世の中に浸かっていて感度も鈍っている僕に書けるわけがないのである。土台が違うとはまさにこういうことである。

 

 だと思うけれど、そのことを承知の上で、とはいえ著者の文章はやはり巧い。

 以前、ノンフィクション作品には、「題材そのものが稀有で、作品の価値を決めているもの」と「題材そのものは地味だけど、圧倒的な筆力で読み手を引き込ませるもの」の2種類があると書いたことがある。その意味では、本書は「題材が稀有」で「圧倒的な筆力」のハイブリッドだと言えよう。決して厚い本ではないけれど何度も笑い、そして涙し、読後は幸福感があった。完全に著者の術中にはまったわけである。せめてこの文章の謎くらいには迫りたい。

 著者の文章をあらためて読み返してみると、ひょうひょうと書いているように見えるが、かなり練られている。超絶技巧と言ってもよい。なんとなく、古典落語あたりに通じるプロットの技を身につけているなとか、講談なんかにみられる文節リズムの采配をわきまえているなとは感じる。ボキャブラリーが豊富なのと、連想や引用が人一倍広いなとも気づく。「100文字で済むことを2000文字で伝える」のは才能だとは思うけど、文章に冗長さをいっさい感じさせないのは、技術がしっかりしているということだ。これが意味しているのは、著者はこの家族とともに格闘しながら、その一方で相当なインプットをしてきたという驚異的な事実である。おそるべきガッツだ。「ガイアの夜明け」に取材させるために番組のプロットを学ぼうとしたあたりにもそれは表れている。1991年生まれというからまだ20代。僕よりも二回り下の世代だ。これこそが自分ももっと頑張らねばなと素直にこうべを垂れたくなる福音なのだった。


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