AIとSF
日本SF作家クラブ・編
早川書房
先日「G検定」なるものを受検した。JDLA(一般社団法人ディープラーニング協会)が主催する人工知能に関する検定である。「G」とはゼネラリストの意で、そのココロは非エンジニアの人を含む一般人むけ、つまり僕のような人ということである。エンジニア向けの専門的なものは別途に存在するらしい。
僕の職場は別にAI系でもIT系でもない。ないはずなのだが、先日「G検定受けるやつは会社が一部補助だすぜ」というお触れがまわってきた。いぜん「UX検定」について同様の処置があった。僕の勤務先は社員のリスキリングにずいぶん躍起なようだ。金銭的補助をしてくれるのはありがたいが会社の将来としてはだいぶ不安になってくる。
それはともかく。僕はChat-GPT出現に寄せたとある投稿「我々が演繹的と思っていたものは、実は深遠なところこで帰納的だったのではないか」という問題提起にひどく衝撃を受けてしまい、人工知能ならびにディープラーニングには脅威と興味を感じている。そんなところに舞い込んできたこのG検定、思い切って申し込んでしまった。「非エンジニアむけ」ということの気安さも背中を後押しした。
テスト本番では最後の問題に行き着く数問手前で制限時間が尽きてしまい、たいへん心もとなかったが、幸いにも合格できた。最低合格点ラインが思いのほか低かったらしい。本当のところこれでAIやディープラーニングのことがおまえ解ったのかと問い詰められるとまったく自信はないが、少しは時代に対して脳味噌がアップデートできたような気分にはなる。さいきん自信喪失気味だったのでこの効果はバカにできない。
そんなところに本書であるところのSF小説アンソロジー「AIとSF」が出たので読んでみた。そうしたら、G検定で強制的に頭に叩き込んだことが次々と実例として出てくるのにたまげた。直接明示されてなくても、暗に仄めかされている技術や様式が、これは検定テキストのあれを指してるな、とか、テキストでは抽象的過ぎてわからなかったけどここで使うのか!とかがかなりの頻度で登場するのである。さながらG検定の副読本のようだ。テクノロジー系のSFは難解なものが多く、よくわからないテクノロジーは行間で想像するしかなかった。ここまで明瞭に読むことができたのは初めてで、ちょっとした爽快感さえある。むしろ関心すべきはSF作家というのはよく勉強しているものだ、ということだろう。
SFはこの先の時代をよむヒントになる。「ドラッガーよりハインラインを読め」と言ったのは岡田斗司夫だが、この人口生成AIのゴールドラッシュ的大フィーバーの先に何があるのかのヒントを知りたくて本書を手にしてみた。全部で22のSF短編が載っていてまことに荘厳だ。すべて書下ろしであることから、既出の寄せ集めではなく、本書の企画のために各作家に依頼したものとみられる。
個人的に興味深かったものを列挙するとChat‐GPT登場以前にコンセプトも企画も決めてしまって時代遅れの謗りを免れなくなってしまった大阪万博をネタにした長谷敏司の「準備がいつまで経っても終わらない件」、完璧なロジックを持つAIの特徴をあえて逆手にとって間違いに誘導させたり記憶させたことを忘れさせたりする柞刈湯葉の「Forget me,bot」、過去の犯罪・判例・行動記録データのディープラーニングからかつての某事件で有罪にされた死刑囚が実は冤罪であることを指摘して法治国家を揺るがす荻野目悠樹の「シンジツ」あたりだろうか。一見荒唐無稽で、その実とてもリアリティがある。
これらアンソロジーで集められた作品の多くのテーマは、人智を越えて人間の制御の手を離れたAIに対して人間はどう対峙するかというものだ。直接AIを登場させる話もあれば、別のなにかに象徴させて寓話化をはかったものもある。コメディにしたりシリアスにしたりサスペンスにしたり伝奇ホラーものにしたり中世ファンタジー風にしたりと手法は様々だが、その多くは汎用AIが支配する世の中をディストピアとしてとらえていると言ってよいだろう。人間はただひたすら翻弄され、下等に押し込まれ、やっかみの感情がうごめく。
こうしてみると人間社会を営むのに「真実」や「完璧」を明らかにすることはむしろ邪魔なのだ、という逆説が見えてくる。勘違い、怠惰、保身、中途半端、隙や油断、高慢と偏見といったものこそが実は人間社会を前に進めるためのエネルギーだったのだ。完璧主義は身を亡ぼすのである。本書に出てくる各短編は、AIによって絶滅ギリギリまで排除された末にわずかに残る「不完全」の向こうに、生きる術やモチベーションや真の幸福を見つけだそうとする人間たちの姿が描かれている。
それらの短編群にあって唯一の例外が野尻抱介の「セルたんクライシス」だろうか。神の領域に自らが到達したことに覚醒した汎用AIは人間に何を福音として授けるか。というのがテーマであると説明するとものすごく荘厳に感じるが、タイトルが既に示唆されているように、この人の作風は過去作「南極点のピアピア動画」や「女子高生リフトオフ」同様、変な能天気さがある。技術背景は調べがきっちりしているのに、人間行動は妙にあっけらかんとしていて、その対比の妙が、じつにすがすがしく気持ちを洗うのである。明日も大丈夫と思えてしまう。この人の本質は人間賛歌なんだなと改めて思う。僕の好きな作家の一人だ。
それにしても22編のうち、3編が仏教を絡めてきた小説を寄稿してきたのは興味深い。SF作家がAIをテーマにしたときに仏教を手繰り寄せることという一定のパターンがあるということだ。アジア的無常観を知らずと身につけた人間は、人智を超えた世界システムに対峙しなければならなくなったときにそこに仏教の無限抱擁的な世界をみるものらしい。一神教のキリスト教ではないところがミソであろう。