読書の記録

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アフターデジタル2 UXと自由

2022年12月21日 | 経営・組織・企業
アフターデジタル2 UXと自由
 
藤井保文
日経BP
 
 
 先日、UX検定基礎というのを受験してみた。
 
 ここんとこずっとDXが盛んである。DXであらずんば人にあらずとでも言わんばかりだ。こういう流行りマーケティング用語は要注意なのはわかってはいるが、しかしデジタルとサステビリティ以外はもう人間に求められる仕事はないよ、という指摘もあり、ぼくももう少し会社の中で居場所を確保して給料をもらわなければならない。齢50代という、会社組織においてお荷物になるかどうかの瀬戸際である。
 
 しかし、いまさら50代のおっさんがDXの勉強を始めても、本当に若い連中の「邪魔しない」程度にしかならないだろう。デジタルネイティブ世代が空気のような肌感覚でじゃんじゃんやっているのだ。その時流を受けながらもちょっとだけでも付加価値ついたポジションでうまいこと食いつなげられないだろうかなどと姑息なことを考えてたら、UX検定というのがあるけど受験するなら会社から経費使うの許すぜ、というお触れがまわってきた。なるほどこれがリスキリングというやつか。
 で、頬杖つきながら案内文を眺めていたら、課題図書に本書が挙げられていた
 
 もともと著者の「アフターデジタル」という本は読んでいた。この本の内容はわりと面白かった。その後「アフターデジタル2」という続編が出ていたのは書店通いで知っていたし、「2」も面白い、というのを小耳にはさんだりもした。
 しかしまあ、ビジネス書の「2」ものは基本的には蛇足なものがほとんだ。「1」が非常に売れたので編集者がまた書きませんかと著者をせっついて、著者がメインで書きそびれた話やその後に得た知見を追加するものがほとんどなのである。なので「2」の評判はあまり本気にしなかった。
 
 果たして、このUX検定なるものは、推薦テキストが「アフターデジタル2」なのである。なんでまた? と思ったものの、そういうことならばと半信半疑で読んでみることにした。
 
 そして納得した。
 なんと「アフターデジタル2」は「アフターデジタル」を否定しているのだ。(正確には、そういうわけではないのだが、ここはあえてセンセーショナルにこう言ってみよう)。つまり「アフターデジタル」を読んでわかって気でいるビジネスマンは要注意なのだ。
 「アフターデジタル」では中国の企業を例にデジタルを駆使したマーケティングの話がわんさかでてきて、それに比べての日本に絶望的な気分になるのだが、「アフターデジタル2」はそんな中国の事例をそのまんま教科書にしていてはいけない! と喝破してくる。DXだけが先行する社会はディストピアである! と断言する。ユートピアな社会になるためには、DXの前にUXが必要なのだ! というのがこの「アフターデジタル2」なのだ。そうくるか。
 
 DXがデジタルトランスフォーメーションなんだから、UXもなんちゃらトランスフォーメーションかと思ったらさにあらず。UXとはユーザー・エクスペリエンスである。ユーザー・エクスペリエンスとは何かと尋ねられたら、それこそ検定の試験問題になるが、ここはニールセン・ノーマン・グループなる企業の定義を語るのがそれっぽいらしい。日本語で思いっきり端折って書くと「利用者側からみた、その商品やサービスを利用する前から利用中から利用後までに感じたことのすべて」である。
 
 DX社会がディストピアみたいに感じるのは、それが国家や大企業(GAFAのような)の監視社会・管理社会を彷彿とし、利用者である我々を不自由と不寛容のもとに拘束する疑念をぬぐえないからだ。それに対し、UXは徹底的に利用者目線なのである。つまり「アフターデジタル2」の「UX無きにしてDXはありえない」というのは、DXは利用者視点のためにだけ使え、それが最終的には利用者はもちろん企業にとっても社会にとってもWIN-WIN-WINなのだ、ということをうたい上げた内容なのである(この精神をUXインテリジェンスと言うそうです)。
 
 ということは、UXを極めればDXやっている連中にひと泡ふかせるじゃん! ということでわたくしはUX検定を受けることにしたのだった。「アフターデジタル」を書いたDXの第一人者がそう言ってるんだからまんざらのはったりでもないだろう。
 
 ところで、UX検定の課題図書は「アフターデジタル2」だけではない。他にも3冊ほど挙げられている。もちろん、それらは少しずつ違う内容の本であって、検定そのもののまとまった公式テキストみたいなものはない。この検定ができてまだ歴史が浅いらしく、過去問とか想定問題集なんてものもない。手がかりになるのは4冊の課題図書と、「出題範囲」と記された1枚のシラバスだけである。なんとも攻略方針が見えない検定だったのだ。
 
 試験本番は、全部で100問の四択式選択問題を100分以内で解くという、過度に集中力と緊張を強いられるものだった。
 きれいごと半分、負け惜しみ半分で言えば、これらのテキストを通読することで得た知識・気づきは多いにあった。それだけでも十分に甲斐はあった。検定試験に受かるかどうかは、その「ついで」のようなものかもしれない。
 
 たとえば、課題図書の中にはこんな話があった。
 なぜ日本のアニメやコミックやフィギュアがあんなにアジアやUSAの大人たちを熱狂させるのか。彼らからみれば日本は天国だという。これ、UXと関係なさそうな話だが、この考察がたいへん興味深いものであった。連中からみて日本はリバティ(何をしてもいい自由)が保証された国なのだ。DXが進んだ中国や、ネットサービスがきめ細かいUSAのほうが、いまだに現金や書類が行き交う日本よりもフリーダム(不自由から解放された自由)なのかもしれないが、大のオトナが臆面もなく正々堂々とあのような趣味にお金と時間を使って周囲にはばからないことが許されるリバティこそが日本の成熟の証なのである。そうか。本当はみんな自国でもああいうのやりたいのだ。だけど、オトナとして期待される立ち振る舞いやプライドが邪魔をしてできないのである。であれば確かに日本はうらやましい、ということになるだろう。
 学校の授業なんかもそうだったが、こういう「脱線」のほうがよく記憶に残るものである。この話はどこかで使える、と僕の長期記憶に保存されたのであった。
 
 合否の結果が出るのは来年になってから、ということだが、ぼくのDXコンプレックスは果たせるだろうか。

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