読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

人生一般ニ相対論

2012年10月13日 | エッセイ・随筆・コラム

人生一般ニ相対論

須藤靖

 

hirax.netというサイトがある。その筋では、たいそう知られたサイトで、運営しているのは平林純さんという方である。

今現在は、リンク先のような体裁だが、以前は「できるかな?」というタイトルのサイトだった。いわゆるテキストサイトである。10年以上前から存在していたから老舗といってよい。

で、その内容が凄かった。

インターネットとかWWWの普及がもたらした恩恵は数限りないが、僕はそれこそ10年以上前にこのサイトを見たとき、こんな充実して奥が深くてためになって希望がわいてめちゃくちゃおもしろいコンテンツがタダで見れるなんて、インターネットってすばらしい! と本気でそう思った。

この「できるかな?」というサイトは、あえていえば、理系の実践術を持つ管理人が、そのメソッドで文系の感受性の世界をより味わっていく、というものだった。

本職はどうやら光学機械メーカーの研究職とのことだが、その知識をもとに自作のソフトをプログラミングまでして、それでモネの絵画や夏目漱石の小説の謎に迫ったり、人の恋の駆け引きをグラフ化したりするその奇抜さと、意外にも詩的なその結末に僕は魅了され、更新が待ち遠しくて毎日チェックしていた。

やがて、平林氏本人とこのサイトは有名になり、何冊も書籍化されたり、氏はテレビ出演(「世界一受けたい授業」でも出演されていた)していった。

 

この「理系の方法論で文系的な世界を語っていく」というスタイルは他にも例がないわけではなく、古くは寺田寅彦がいるし、ロドリゲストというトップクラス集団による「物理の散歩道」シリーズは聖典扱いされている。僕個人的には、似非科学研究会の「魅惑の似非科学」という本もかなり気に入っている。(これもWEBサイトが先にあってそれが書籍化されたもの。サイトはもう何年も更新停止中・・)。

 

要するに、僕はこの手の切り口にヨワいのである。高校生時代、得意科目が地学と日本史と数学、苦手な科目が国語(読書は好きだったが国語は全然ダメだった)と英語というつぶしの効かないバランスの悪さをつくりだしてしまい、結局は地学以外の理系はダメということから文系コースを進み、数学が文系数学でとまってしまい、大学はけっきょく文系の学部で、しかし最初の勤め先がわりと統計解析系というこのどっちつかずの背景がもたらすコンプレックス、つまり、理系的世界にアコガレはあったのにとうとうそれを身につけることなく、現実的には人文系を好む、というこのコンプレックスが、この類の本に半ば嫉妬に近い感情も含めながら、むさぼり読んでしまうのである。理系的な視線を持つ人が、感受性豊かに文系的な美学を開陳していく様にうちのめされるのである。

要するに文理のハイブリッドなのだが、21世紀になって10年以上たった現在でも、類書は決して多くない。なかなか良書に巡り合わない。

 

という長い前ふりで、人に教えられて手にとったのが本書である。著者はT大(だってT大って書いてあるんだもん)の宇宙物理学を専攻とする人である。久々の大ヒットで、続巻にあたる「月とクロワッサン」も一挙に読んでしまった。

いわゆるお笑いエッセイではあるのだが、しかし夢を持つっていいな、と素直に思える内容である。科学的態度とは「謎を解き明かす」のではなく、「誰も気づいていなかった新たな謎を発見することである」という指摘はロマンあふれているし、そして謎が溢れているこの世の中はなんて楽しいのだろうという著者の態度に感服する。

 

こういう人生観を持つには、やはりささいなことでもおや? と思い、そして探究してみる強い好奇心がやはり必要である。海底人の世界観に思いをはせ、40代以上の女性はみんなとっさにピンクレディのふりつけができるという現象にある普遍性を感じとる。パリパリとサクサクのニュアンスの違いをいかに外国人に説明するか。指をつかって1、2、3と数えるやり方が諸国で異なるのはなぜか。幸せとは何かという哲学知を数式で溶いてみるとどうなるか。これすべて好奇心のなせる技である。幸せとは何かを数式で表すと、その結果必然的に、人生とは必ずプラスでなければならない、と結論するあたりはもはや福音である。

 

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」という川柳がある。ファンタジーもつきつめると案外つまらんものよ、という意味だが(はて、本当にそうか?)、むしろ今の時代に必要な感受性は

枯れ尾花を幽霊に見えてしまう人間に乾杯!

ということだと思う。妖怪が信じられない社会でうつ病が社会問題になるのは当然なのである。

本書をはじめ、僕がここであげてきた内容は、このろくでもない世界を幸福に生きていくための理系的思考による人間賛歌でもあるのだ。

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 災害と妖怪 柳田国男と歩く... | トップ | ピカソは本当に偉いのか »