読書の記録

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モノローグ書店街

2021年04月29日 | コミック

モノローグ書店街

小坂俊史
竹書房

 4コマ漫画の大御所にして天才にして鬼才と言われるいしいひさいち御大が認める4コマ漫画家が小坂俊史である。(本作に出てくる「ポリバケツができるまで」がいしいひさいちの「ゴムホースができるまで」のオマージュであることを私は見逃さない!)昨今4コマ界を席巻する「日常系」や「美少女系」とは一線を画す作風であり、もはや孤高の感まで漂わせつつある。とくに「モノローグ系」と呼ばれる一連の作品は他の例をみないものである。

 さて、本作は書店に勤める何人かの書店員を主役にしたものだ。大手チェーン系、町の小さな本屋さん系、24時間開店系、古本屋系、空港内書店系、地方の個性店系といろいろ出てくる。店員のプロフィールも様々で、本が大好きな店員もいれば、自分はまったく本を読まないギャル系のバイトもいれば、誰が何の本を買ったか全部覚えているベテラン店員もいれば、みずから古本屋を開業したおっさんもいれば、実は小説家志望の店員もいる。「本」というものを出発点にいくらでも世界は広げられそうだ。この拡張性の広さこそ「本」の力だろう。とはいってもこの「モノローグ系」、実はつくるのはたいそう大変であることをかつて何かの作者コメントで見た覚えがある。

 しかし、世の中にはほとんど本を読まないという人種も少なからずいて、そういう人から見ればこの作品はまったく異世界のニッチなものとしてうつるのだろう。大人の半数が1か月に1冊の本も読んでいないというデータもある。

 僕はこんなブログを10年以上もちんたら続けているくらいだから本は読んでいるほうに属するはずだが、それでもけっこうムラがあって、1か月に5,6冊読むこともあれば、1冊に満たない月もあったり、新作を読む気力がなくて過去に読んだ本の再読に浸ることもある。ここ数か月ペースはダウン気味である。

 ただ、本屋さん通いはかなり長いこと習慣化している。現在の世の中であるから、Amazonで注文したり、あるいは電子書籍で購入こともあるのだが、それはそれこれはこれで、本屋さん通いそのものは週に1回は行っている感じだ。それも大学時代から続いている習慣である。

 というわけで「本を読む」のと「本屋さんに通う」は近接はしているけれど別個の趣味だという気がする。僕は「本を読む」のと同じくらい、あるいはそれ以上に「本屋さんに通う」のが好きである。というわけで、ここから先は僕の「本屋さん通い」の話(モノローグ)である。


 もちろんどんな本屋でも良いわけではない。家の近くにどんな本屋があるかというのは実はぼくにとって重要な問題である。これまでも引っ越しのたびに確認するのは近所にいい本屋(つまり通いがいのある本屋)があるかどうかということだ。

 このマンガのように、本屋にもいろいろなタイプがある。まちの小さな本屋もあれば、何フロアもあるような大型書店もある。マーケティングデータをフル機能させて売れ筋ばかりをおさえているような本屋もあれば、店長の裁量によるユニークな品揃えのところもある。

 「通い」の身として個人的に手頃なのは、ビルのワンフロアをすべて使っているくらいの広さで、人文系の品揃えに多少の個性があるところだ。しかしこういうのは意外に少ない。駅ビルに入る本屋は売れ筋重視のことが多いし、繁華街の本屋はビジネス本は充実していてもそれ以外はあまりたいしたことがない場合が多い。せっかくいいところを見つけたと思ったら数年後に閉店してしまったというのも1回や2回ではない。けっきょく、そこそこ気合と期待をこめて本屋詣をするときは電車に乗って都心の大型書店に行くことになる。

 そうまでしてなぜ本屋通いをするのか。習慣だから、何か本を買うアテがなくてもいく。むしろアテがないことのほうがずっと多い。むしろアテがあるときはAmazonに頼ってしまうことだってある。つまり、本屋に通うというのは「何か面白いものに巡り合うかもしれない」というセレンディビディの期待があって通っているわけだ。

 このセレンディビティこそが実は今日において重要で、昨今のデジタル技術革新は検索と行動履歴によるチューニングで自分自身が能動的に気になったものの関連情報ばかりが与えられてくるようになった。「検索」という行為がまず能動性を試されるものだし、SNSの情報もまずは自分の気になった人というバイアスが働くし、ニュースアプリも自分が踏んだ記事の嗜好性のものが次からも優先的に表示されるようになっている。Amazonで本を注文すると、その本の関連本や、「その本を買った人が他に買った本」が画面に出てくる。それはそれで思わぬ発見がないこともないがたいていは食傷気味になるというか、たいしてピンとこないことのほうがずっと多い。

 そんなわけで、自分が想像もしなかったような、あるいは想定しなかったような、興味など持たないようなものまで含んで何かの情報に出くわす機会というのは、むしろこちらから積極的につくらないとならない。
 それでこういうことに意識的な人は、毎日数紙の新聞を読むとか、様々なタイプのインフルエンサーや有識者をマークしていて毎日チェックするとか、それぞれのやり方をとっているっぽいが、僕の場合はこれが本屋通いということになる。犬も歩けば棒にあたるである。学生時代からこれを続けているから、僕の場合、世の中のウォッチというのは基本的に本屋を通してこれまでやってきていたということになる。

 定期的に通っていれば、だいたい平積みの様子で世の中なにが話題かがおおむねつかめる。ビジネスコーナーを睥睨すればなにが最近のキーワードか確認できるし、社会の空気とか今なにが人々の重圧になっているかとかもわかる。季節性のトレンドもわかる。人文思想系、サイエンス系、学芸系、芸術系もさあっと眺めてトレンドをチェックする。文庫の新刊も見逃さない。そして気になるものがあれば手に取ってぱらぱらっと見てみるし、ピンとくるものがあればお買い上げとなる。そしてたまに書店のほうで何かをテーマにフェアがあったりすると、そうかこんな世界の切り取り方があったのかと多いに学ぶところがある(そういう意味で店長との相性はとても大事である)

 そんな感じでの本屋通いなので、何も買わずに手ぶらで出てしまうことも多いことを白状する。世の中のスキャニングが目的みたいなものだから、本を買うのは3回の来店で1冊といったところかか。本屋さんからみれば、あまり上等な客ではないかもしれない。

 というわけで、単なる本屋通いが趣味の人の勝手な言い草を述べてきたが、これだけ本屋通いをしてきたわりに本屋や書店員がどんなインサイトでどんなつもりでやってきていたのか今まであまり考えたことがなかった気がする。本の流通の仕組みというのもいまいち理解していない。本屋さんの売り上げはマンガと雑誌で決まり、それ以外はお情けなのだという話を聞いたこともある。それならばマンガの電子書籍化と雑誌の衰退はさぞかし大打撃だろう。
 今回のこの書店員マンガ、読めば本屋に行きたくなること確実だし、書店員を見つめる目も少しは変わりそうだが、白状すると実はこれ自体はAmazonで買ってKindleで読んだものだ。読み終わったところで初めてその倒錯に気が付いた。ちょっと心が痛む。


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