読書の記録

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ナッジ?・インバウンド再生・ドローダウン・戦争と指揮

2021年05月06日 | 複数覚え書き
ナッジ?・インバウンド再生・ドローダウン・戦争と指揮
 
うまくおちなかったのでここでまとめて4冊。いずれも専門分野の本だ。
 
 
ナッジ? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム
 
編著 那須耕介・橋本努
勁草書房
 
 本書は「ナッジ」がはらむ「リバタリアン・パターナリズム」の是非についての論考アンソロジーである。つまり、読者としては「ナッジ」と「リバタリアン・パターナリズム」について最低限の知識があることが大前提となる。しかし、「ナッジ」という概念はどれくらい人口に膾炙されているのだろうか。まして「リバタリアン・パターナリズム」なんてどのくらいの人が知っているのだろう。
 そういう意味では人を選ぶ本というか専門書の類のはずだが、そのわりにタイトルや装丁がカジュアルで、入門書みたいな印象を与える。それに、中身を読んでみたら寄稿されている論文はどれもわりと読みやすかった。全体的には専門書というよりは啓発書なんだろうと思う。巻末にガイドブックもついている。
 
 こういう顔つきをしている本は初心者むけだという社会的因襲を逆手にとり、いつのまにかポリティカルな議論に巻き込ませる。まさにナッジにおけるリバタリアン・パターナリズムを実践した本である。
 
 
インバウンド再生 コロナ後への観光政策をイタリアと京都から考える
 
宗田好史
学芸出版社
 
 コロナによってあれだけひしめいていた外国人観光客がまったくいなくなった。外国人観光客の増大による影響はポジネガどちらもあったように思うが、本書はネガ、とくに「オーバーツーリズム」に焦点をあてている。オーバーツーリズムというととにかく外国人観光客による混雑やマナーの問題にフォーカスされされがちだが、その根源を見定めていくと粗悪な旅行業者の存在が見えてくる。彼らのやり方は「薄利多売型」で、地元生活者や地域経済を軽視したビジネスモデルなのである。
 著者としては、そうではなくてむしろ厚利少売型のビジネスモデルこそが持続可能な観光都市のありかたであると説いているわけだが、そこで本書がインバウンド再生として参考にするのはイタリアと京都だ。どちらも良くも悪くも観光客にさらされた歴史を持つ都市だけに試行錯誤の経験値にあふれている。共通するのは観光への経済的依存度は強くとも、その文化を守るための誇り高き固辞の態度である。イタリアにおける、たいして歴史も美術も勉強していない中国人観光客のために郊外にアウトレットモールをつくってそっちに誘導し、市内には足を入れさせない、という観光導線設計はそこまでやるかという気もするが。
 
 
ドローダウン 地球温暖化を逆転させる100の方法
 
ポール・ホーケン 編著 江守正多 監修 東出顕子 訳
山と渓谷社
 
 パリ協定によって2050年までに二酸化炭素の排出量を実質ゼロにしなければならなくなった。そんなこと本当にできるんだろうかと思うが、日本政府は2030年までに46%の二酸化炭素削減目標を発表した。この数字の根拠については小泉進次郎環境大臣が「目の前にイメージが浮かんだ」と抜かして周囲を煙に巻いたが、本当のところそんなわけあるはずがなく、何かしら言えない事情があるのだろう(アメリカに言われたとかかな)。こういうときに茶番にしてしまうのは政治家の仕事のひとつなのかもしれない。
 それはともかく、大事なのはじゃあどうやって削減するのか、という方法論だ。二酸化炭素をそこまで大削減するにはかなりの大仕掛けが必要に思うのだがいまひとつ展望が見えていなかった。太陽光パネルや風力だけで達成できる気もしないし、最近は水素がどうのこうの電気自動車がどうのこうのと宣伝されているものの、それがどのくらいのインパクトを持つのかがどうもよくわからない。
 そんなところに、ここに100の方法が紹介される本が現れた。太陽光発電や電動自転車といったものから、都市部においてはエネルギー制御された都市、緑地化する壁と屋上などがあり、農村においては森林を温存したままの牧畜、多年草を中心とした畑作なんてのがある。はてには途上国における女児の教育や先住民による土地管理というようなものも含まれる。要するに人の営みをまるごと刷新するということである。
 めちゃくちゃ気合が入った本だが、こういう本を東洋経済でも日経BPでもなく、山と渓谷社が出してきたことにメッセージ性を感じる。
 
 
戦争と指揮
 
木元寛明
祥伝社
 
 著者は、もともと自衛隊の上級職まで上り詰めた人。そういう意味では国防とか戦争とか政治というものに対しての価値観が一般の生活者とちょっと違うかもしれない。内容的には「ランチェスター思考Ⅱ」とかとか、「知的機動力の本質」ともかぶってくる話だ。
 「ランチェスター思考Ⅱ」にもさりげなく出てきていたが、全体時間の最初4分の1を立案に使い、残りの4分の3を準備に使うという「3:1」時間ルールなんてのは、かなりひろく敷衍できる考え方だと思う。中央本部が4分の1を使い、残りの4分の3を各地方本部にあずけ、その地方本部がそのまた4分の1を立案に使い、残り4分の3を現場統括に預け、現場統括がそのまた4分の1で算段して残り4分の3を各支部隊に預け・・というフラクタル構造になる。
 
 

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