読書の記録

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ノモンハンの夏

2021年07月21日 | ノンフィクション
ノモンハンの夏
 
半藤一利
文芸春秋
 
 
 学校の教科書なんかでは「ノモンハン事件」と書かれることが多く、その名称から局所的な小競り合いの印象が強いが、その実態は完全な戦争であった。
 また、かつてはこの戦争については、日露戦争勝利の記憶を残して油断していた旧兵器の関東軍に、近代化したソ連の大軍が圧勝した戦争と見立てられていた。かの名著「失敗の本質」でも最初の事例としてとりあげられている。
 
 その後の研究や情報開示で、ソ連側もかなり甚大な被害を出しており、その損失度で言えば五分五分とまでされるようになった。むしろ兵力的には大きく優勢のはずだったソ連軍がここまで被害を出したのは日本側の前線兵士の超人的な奮闘があったのは事実だろう。もっともこの戦争によって日ソどちらが最終的に果実を得たかというとやはりこれはソ連だろう。もともとこの戦争のきっかけは、あいまいだった国境線の裁定をめぐるものであった。結果的には和平調停の後にソ連の言い分が通った形で最終決着している。
 
 日本軍敗退の理由としては、統帥を無視した関東軍の暴走とか、日本陸軍参謀本部の優柔不断な態度とか、補給と兵站の軽視とか、そもそもの慢心とかいろいろ言われている。ひとつひとつその通りな気がするし、本書における著者の関東軍司令部なかんずく辻正信や参謀本部に対しての罵詈雑言も、むしろくどすぎるほどだが、本書の構成から見えてくるのは、この戦争ないし小競り合いの大局的な位置づけを日本とソ連はそれぞれどう見たかという点で余りにも大きい根本の差があるように思う。結局のところはスターリンという巨魁に、時の総理大臣平沼麒一郎も陸軍大臣板垣征四郎も海軍大臣米内光政も、もちろん陸軍参謀本部も関東軍も完全に遊ばれた感じがする。地球儀を前にしたスターリンのシナリオ通りなのであって、彼がナチスドイツならびに世界に仕掛けた究極の腹芸「独ソ不可侵条約」という世紀の離れ業を成立させるための一演出なのである。
 こんな独裁者がいる国と戦争するのは心底イヤだと思うと同時に、クラウゼヴィッツが言うように、戦争は「政治」の一手段でしかない、というのをまざまざと感じる。そもそもノモンハン事件は、日本サイドとして何をどうしたかったのか、どういう布石をそこに求めたのかが最後まで意味不明なままだった気がする。(「失敗の本質」では関東軍の「火遊び」から始まったと描写されている)

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