読書の記録

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悪いヤツほど出世する

2021年10月04日 | ビジネス本
悪いヤツほど出世する
 
ジェフリー・フェファー 訳:村井章子
日経ビジネス人文庫
 
 
 というわけでこちらからの続編。
 
 なんであんなズルいだけの奴が出世するのか、とは古今東西変わらないボヤキのようであるが、けっきょく企業組織や職場というものを「機械」と見るか「生態系」と見るかの違いなんだと思う。組織というのはひとつの最大利益にむかって機械のように全軍一致で歯車がまわるように、あるいはプログラムが走るかのように考えがちだ。組織が機械である限りは世界公正仮説は維持される。しかし実際は一人ひとりの思惑があるものだ。むしろ組織というのは各々のメンバーが生存をかけた生態系なのである。したがって組織の最大利益がリーダーの最大利益になるとは限らないし、リーダーの最大利益とスタッフの最大利益だって一致しない。CEOだってプロジェクトリーダーだって各々のスタッフだって、生活もかかっているしエゴだってあるのであって、いくら会社が業績上げていたって自分が冷や飯くらっていては当人たちには意味がない。また、会社の業績が悪くても自分にしかるべき給料や待遇が与えられればそれが本人にとって「勝ち」ではあろう。こうなってくると個々の振る舞いによる抜け駆け、裏切り、駆け引き、合従連衡がうまれ、世界は公正に閉じなくなる。うまくやり遂げる人もいれば、損を被る人もいる。
 
 したがって「権力」を得る人や「出世」する人というのは、少なからずサバイバル能力がある人であり、サバイバルをするということはこの生態系においては清濁併せのむ生き方をするということでもあろう。組織を「機械」のように順路的にロジック通りに動くと思うこと自体がおめでたいことになる。本書でも前書でも再三述べられている「世界公平仮説」の罠は、組織が「機械」つまり公平なしくみで動いているという錯覚ということである。
 
 
 ただ。昔はもう少し企業の最大利益と社員たちの最大利益は近かったような気がする。それは企業が成長すれば順当に働いた人たちに分配されていたからということだろう。会社の幸せは中間管理職の幸せであり、中間管理職の幸せは現場の幸せというストレートな関係はかつてもっと強かった。
 
 しかしそんな牧歌的な時代はもう後景に去った。内部留保をためて社員に還元されないブラック企業はもはや珍しくなくなってしまった。各々が求める利益がここまでバラバラになってしまったのはやはり余裕がなくなったということなのだろうか。限られたパイの奪い合いのようになって自分の出世と他人の冷遇がバーターになり、ひとつの失敗が致命的な傷になりやすく、常に他人の目線にさらされて一挙手一投足が見張られる。そうなると、組織の最大利益を目指すよりはひとりひとりの生存をかけた戦いのほうが強まり、「機械」よりも「生態系」のようになっていく。外敵という共通の目標がいなくなったあとの組織は内ゲバが始まるのは歴史がいくらでも証明している。
 
 というわけで、明日からは自分の職場を「海の世界」と思うようにしよう。そう。海の中は食物連鎖と弱肉強食であり、怖い鮫から弱っちいエビまでいろいろ存在する。しかし弱者には弱者の戦略がある。群れで大魚を寄せ付けないスイミーみたいなのもいる。イソギンチャクに隠れるニモみたいなのもいる。擬態に化けるのもいるし、大魚の腹にくっついているのもいるし、砂の中にもぐりこんでいるのもいる。大魚は大魚同士の壮絶な戦いがある。それどころか海の上からも敵はやってくるし、逆にそれをカモにするやつらもいる。チラチラ疑餌みたいなのをぶらさげておびき寄せるタイプもいれば、穴の中にひそんでいきなりがぶりというのもいる。まさに生存をかけた戦いこそが生態系。そりゃ悪い奴がサバイバルするに決まってるよね。
 

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