THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

闇の中に答えがある

2011-11-21 23:27:56 | セッション記録
覚醒した人をyoutubeで見ていた
マインドを超えたところに真実が見えると話していた

「五感の解放・・・

見る時、マインドの介入なしに見ることができればそれは悟りだ
思考も思考に関わることなく
思考が自己から独立しているようにどんな種類の思考も見ることができる
五感がマインドから自由になる
マインドがそこにない時、あなたは実際に生きている」

そしてその後、スーザンボイルの夢破れてを聞いていた

じっと彼女を見ていた

ここのところの私は自分に棘が刺さっていることを知っていた
それは自分で刺したのだが
この棘は自分がどの側面の自分にも真のバイブレーションにならなければ
抜かないと固く決めていた
この棘は私が私を揺さぶり、目を覚ますためのものだった

私は深い眠りの中で小さな揺れを感じていた
大きな揺れが来ない限り、私は私を知ることはできない

私は自分の身に着けた洋服を一枚ずつ剥がしていた
一枚・・・又一枚・・・・
うんざりする程洋服を着込んだ私は
いつのまにか洋服に押しつぶされていた
私は私を見つけられないでいた

自分という今まで身に着けた服が私を見つけるのを邪魔していた

裸になる必要がある

自分という飾りと、自分にかけた期待と、自分と思い込んでいた自分の服を脱ぎ
闇の中へ飛び込んでいった

私が真実を生きるには、闇を知る必要がある
闇には飾らない本物の匂いがある

光の中では光は誤魔化される
闇の中では闇は誤魔化されない


泥にまみれて究極に追い込まれたとき人は本性を発揮する

そう。私は自分が自分で手に追えない領域で、自分の本心と向き合いたいのだ
言い訳も飾りも通用しない領域
その領域で私という存在の本質と真っ向から対面する

生まれる前から設定してきたように、私は幼子になる必要がある
再び自己を取り戻す必要がある

どんな瞬間も自分の声は自分でなくてはならない



スーザンボイルの姿を見ながら、私の中に何かスイッチが入っていった

彼女と覚醒したマスターは同じだった

馬鹿と呼ばれるくらい自分を生きて
我を忘れて、格好悪くても何も分からなくても自分の人生を生きること
それを懸命に生きること自体の中に
覚醒はある

始まりの瞬間と呼ばれる
創造主(神)はすべてを一瞬にして創りあげた
聖なる闇と聖なる光を・・・・
欠けているものは何もなかった

聖なる闇と聖なる光・・・・

私は聖なる闇の中に聖なる光を見る
聖なる光の中に聖なる闇を見る

そして聖なる光の中に光を
聖なる闇の中に闇を見よう

そのままの姿で変えることができない
存在の実存そのものへ・・・


「スピリチュアルになるのではない
人間になるんだ」

師の言葉が闇の中で聞こえていた

「暗闇の中の仏陀を見たことはあるかい?
暗闇の中に佇む仏陀は本当に美しいんだ」

師よ・・・私は人間であることを選んでいます

























人生に身を投げる

2011-11-15 21:39:15 | セッション記録
「すべての瞬間に身を投げなさい
そうすることであなたはあなた自身の人生を最大に生きることになる」

マスターの言葉は私の魂を揺さぶる

マスターが歩く時・・・風が流れ、時が止まる
その一瞬一瞬のしぐさ、手の動き、視線、呼吸の一つ一つが
スローモーションで流れていく

存在のすべてが私の中に浸透している

今も感じる
マスターの匂いが私を包み、私は存在そのものになる

マスターと私に境界線はなく、永遠の恩寵と呼ばれる領域へ飛ぶ

マントラが響き渡る
「ブッダム・・・シャラナム・・・・・・・」
私はあなたの御許にひざまずく・・・・・・


今日はあの妙な感覚が私に訪れていた
この次元とあの世の領域の二つを行き来する感覚だ
私の存在はこの世に存在していない

どこにも私の形を探すことは出来ない
なぜなら私はここに存在していない
幻想の中で幻想を生きているにすぎない

そしてもう一つは
神の戯れの中で私はここに、ただある



ここのところ様々な予想外のトラブル、出来事を目の当たりにする

私達は知りたがる
未来の私はどうなるのか?と

私のところに舞い込んでくる依頼も
未来を知りたいという依頼が多い
予想外のトラブルにどう対処すればよいか?ではなく
トラブルが起こらないために助けてくださいというものが殆どだ

(出来事)は、自分を次に移行させるために設定してくるものであり
それを回避してしまうことによって課題が終了しないことがある

最高に体験し終了させる為には、起きてくることを回避するのではなく
その事柄に自分の全部を投げ精一杯生きることだ

私はよくこんな話をする

「ネガティブが悪いのではない
コンプレックスが悪いのではない
自信がない
自分が嫌い
私は出来ない存在だと思っている
そのどれもが悪いのではない
みんな問題を持っている
重要なのは、その問題をどう扱い
自分がどこへ向かいたいのか?
あなたの人生に対する取り組み方、生きる姿勢が問題なのだ」と

問題はどうありたいか?
その意思が重要なキーになる
ものすごいサバイバルの環境で育って、虐待を受けた人生でも
その後どう反応し生きるかは完全に各自の自由意志に任されている
そして愛情たっぷり整えられた人生でも、人をコントロールし変えることで
欲求を叶える人生もある
そして大抵、自分自身に向き合うことはせず、
相手や環境を変え整えることに殆どのエネルギーを費やしている

私の師はいつもこう言っていた
「この世界は能力ではないのだ
どうありたいか?完全に意思の問題だ」と

サッカーの本田選手がテレビでこう言っていた
「僕が目指す僕は遠いところにあって
僕はまだ到達していないと思っている」

彼は自分を知っている
彼は止まっていない


私達は自己の最高の放射をするためにここに存在する
だとしたら、他人や環境が自分に影響を与えるなどという事に関わっている暇はない

あなたがあなたとしてどう表現したいのか?
あなたは見つけなくてはならない

自分とは何なのか?

そして世界とどう関わっていくのか?

あなたの考えは瞬時に音になり地球全体に放射される
あなたのすべての思考や感情、行動が、地球というスピリットに
音を発している

あなたの中の真の音の一つ一つを発するまで
旅は続く

あなたはあなた以外のものになることはできない
あなたから逃げることはできない

師はこう言っていた
「自分の家族の未来は見ないんだ
サプライズとしてとっておきたいからね・・・」

生命の声は言う

「その人が悩み考え抜いて出す選択肢に
誰にも踏み込むことはできない
それはたまたま誰かの生き様であったり、言葉や
感情が私をそうさせたのだと言うが
それは違う
どんなことをしたとしてもあなたはそれを選ぶのだ

あなたの人生の責任はあなたにあり
転ぶこと、苦しむことを通して
体験して何かを掴んでいくプロセスの中に答えがある

思いっきり転びなさい
思いっきりもがきなさい
全部を今に・・・そして全身でこの瞬間に生きなさい
そこにはどんな瞬間にも神の恩寵があるのだから・・・・」

「ブッダム・・・シャラナム・・・・・・」

私は存在と共にあった
彼の息と・・・私の息が一つになり
私は永遠の今に存在していた

私は風になり、地球のスピリットの音そのものになり消えていった
遠く、果ての一点でもなかった





























福島と金沢の縁

2011-11-02 09:23:01 | セッション記録
子供は親の後を行くと言うが、私の母親は16歳で私を生み、
私が結婚をして金沢に来たのは20歳
4人の子供のうち、2番目に生まれた長女は現在20歳・・・
今月、山形へ嫁ぐことになった

彼女の幼少期は動物が大好きで、動物と話が出来た野生児だった

近所に「シロ」という大きな秋田犬がいたが
彼女は常に犬小屋に裸足で脱走していた
行く場所は決まっている
気づくと「シロ」の背中で昼寝をしていた
口の周りはドックフードが散乱していた
彼女は自分が犬なのか、人間なのか区別をしていなかったのだろう
近所には沢山の犬と猫がいて、飼い主が分からないものもあった
でも彼女の手にかかると、すぐにおとなしくなるのだから
彼女には動物の心が分かる不思議な力があったのだろうと思う

私の前世がホースウィスパラーなのだから彼女の力がなぜあるのかは納得できる

野生児という言葉は今はあまり好まれないが、彼女は本当に天真爛漫で
人間という枠を超えていたのだと今になって私は思う

結局彼女の裸足好きは、中学まで続いた

生まれてくる前から、私とは早く離れることを意図していたのだろう
旦那さんになる人とは、去年から仙台で一緒に同棲をしていた

彼は仙台のJRに勤めていて、彼の履歴も彼女と同じように
ソウルグループだと分かるとんでもない話が幾つも転がっていた
彼も又彼女と同じように、純粋にただ自分であり続けている
そして決まって目立つような野生的なところが
兄弟の犬が身を寄せ合っているかのように
魂のグループであることを証明していた


震災の少し前、二人は仙台から山形の彼の実家に引越しをしている
彼のお父さんに聞いたら、それは突然大きなトラック2台でやってきて
引越しが始まったのだと話してくれた
彼女達らしい引越しとなった

その後すぐに震災があった

彼女達が住んでいたところはタンクローリーが濁流に流されていたんだと
彼のお父さんが語ってくれた

私は仙台の子供の家を訪ねたことがある
海が近くにあって家中が湿気でカビだらけだった
水平線と地上があまりにも平らなので、水害が心配で
早く引越しをしたほうがいいと言っていたが
マンションに引越しをするよりも、山形の実家で
両親と一緒に住むということを決定した結果
助かったのだ


DNA、肉体感覚意識エネルギーは、同じ魂と結合することは少ない
肉体感覚意識は直系の血族に転生する

私は私のルーツを知らない
3歳の時から親と離れていて、その後再開した後も
血族のことは話をしたがらなかった

私はなぜ自分が金沢で生まれていないのに
ここで育った場所よりも長くいるのか?
その理由を知りたかった
そしてなぜ子供が山形へ嫁ぐのか・・・・

2泊3日で計画された両親との挨拶は
10月30日から11月1日までの期間となった

私は彼の運転で車で山形まで行く事になった
何よりも部外者である彼が行きたがった場所でもあった

東北自動車道は福島県を通り、宮城県、そして山形県へと入る
30日の朝、車は福島県を通り、会津磐梯山を目の前に映していた
霧が深くたちこめ、山の上の雲の中から、地上を見下ろしているかのような錯覚にとらわれていた

何とも言えない懐かしい感覚・・・
この山に呼ばれたとはっきりと感じていた
歓迎された
そのフィーリングは私と彼を包んでいた

その時、彼が不思議な話をしてくれた
テレビで放映していた金沢と福島の縁の話だった

大昔、福島県は大きな飢饉に見舞われ沢山の農民が亡くなった
農地はそのままにしておくと腐る
そこで加賀藩と連携して、集団で加賀から福島への移動があった
幕府には内密にしていたという
移動してきた人々は、内密に代々の子孫に伝えていた
ちょうど富山県の高岡市の、あるお寺に文献があって
そのことが書かれてあったということだった

私の父の実家は福島県の地主だと聞いたことがある
今私が金沢にいるのは、もしかしたら福島に移動した家系の
血を金沢に再び戻したのかもしれない

何かの約束があって・・・・

この件に関してリーディングをする気持ちに私はなれなかった
まだ時間が必要だと思っていた

これは父と私との間で行われる話あいのもとで解決したい
そんな思いがリーディングしない決意を私にもたらしていた

真実は順番に行われる必要がある

子供の懐かしい写真を見ながら、私は子供とお別れをしていた


途中通った宮城県に入った瞬間、哀しみが流れ込んできた
それは言うに言えない切ない感情
泣いてしまいそうだった
福島県も被災しているのに、その感情は現れなかった

それは山形県に入ってしばらくしても消えなかった
震災の哀しみが私のハートを強く震わせていた
沢山の存在が私の中に入り、私はその哀しみに押しつぶされそうだった
痛みが胸を貫いていて、お別れをする哀しみと2重になって私を振動させていた

目を閉じ、彼らの魂と共に哀しみを感じていた
それがそこで亡くなった魂達への祈りになることを知っていた



娘と旦那さんとそのお父さんが迎えてくれた

彼のお父さんに今回初めて会ったが・・・
本当に深い縁を感じた人だった
顔に優しさがにじみ出ていた

なんだか私はもう我慢できずに泣き出してしまいそうだった

生きるということの深さと切なさを同時に感じていた

私はここへ呼ばれてきた
本当に心からそう思っていた


野生児とのお別れ・・・
私に母という喜びをもたらしてくれたことへの感謝
ナメクジを食べてしまって困ったこと
幼稚園の外のトイレの扉が閉まり、誰も見つけてくれなかったこと
ボロボロのズボンを履いて屈託のない笑顔で手を振っている姿
登校拒否で私を困らせた中学時代
すべてが私への人生の贈り物だった

彼女の笑い声が周りに響いていた

山形の地で、小さなあどけない彼女が永遠に変わらない小さな姿でいる
そう私には映っていた



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