THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

福島と金沢の縁

2011-11-02 09:23:01 | セッション記録
子供は親の後を行くと言うが、私の母親は16歳で私を生み、
私が結婚をして金沢に来たのは20歳
4人の子供のうち、2番目に生まれた長女は現在20歳・・・
今月、山形へ嫁ぐことになった

彼女の幼少期は動物が大好きで、動物と話が出来た野生児だった

近所に「シロ」という大きな秋田犬がいたが
彼女は常に犬小屋に裸足で脱走していた
行く場所は決まっている
気づくと「シロ」の背中で昼寝をしていた
口の周りはドックフードが散乱していた
彼女は自分が犬なのか、人間なのか区別をしていなかったのだろう
近所には沢山の犬と猫がいて、飼い主が分からないものもあった
でも彼女の手にかかると、すぐにおとなしくなるのだから
彼女には動物の心が分かる不思議な力があったのだろうと思う

私の前世がホースウィスパラーなのだから彼女の力がなぜあるのかは納得できる

野生児という言葉は今はあまり好まれないが、彼女は本当に天真爛漫で
人間という枠を超えていたのだと今になって私は思う

結局彼女の裸足好きは、中学まで続いた

生まれてくる前から、私とは早く離れることを意図していたのだろう
旦那さんになる人とは、去年から仙台で一緒に同棲をしていた

彼は仙台のJRに勤めていて、彼の履歴も彼女と同じように
ソウルグループだと分かるとんでもない話が幾つも転がっていた
彼も又彼女と同じように、純粋にただ自分であり続けている
そして決まって目立つような野生的なところが
兄弟の犬が身を寄せ合っているかのように
魂のグループであることを証明していた


震災の少し前、二人は仙台から山形の彼の実家に引越しをしている
彼のお父さんに聞いたら、それは突然大きなトラック2台でやってきて
引越しが始まったのだと話してくれた
彼女達らしい引越しとなった

その後すぐに震災があった

彼女達が住んでいたところはタンクローリーが濁流に流されていたんだと
彼のお父さんが語ってくれた

私は仙台の子供の家を訪ねたことがある
海が近くにあって家中が湿気でカビだらけだった
水平線と地上があまりにも平らなので、水害が心配で
早く引越しをしたほうがいいと言っていたが
マンションに引越しをするよりも、山形の実家で
両親と一緒に住むということを決定した結果
助かったのだ


DNA、肉体感覚意識エネルギーは、同じ魂と結合することは少ない
肉体感覚意識は直系の血族に転生する

私は私のルーツを知らない
3歳の時から親と離れていて、その後再開した後も
血族のことは話をしたがらなかった

私はなぜ自分が金沢で生まれていないのに
ここで育った場所よりも長くいるのか?
その理由を知りたかった
そしてなぜ子供が山形へ嫁ぐのか・・・・

2泊3日で計画された両親との挨拶は
10月30日から11月1日までの期間となった

私は彼の運転で車で山形まで行く事になった
何よりも部外者である彼が行きたがった場所でもあった

東北自動車道は福島県を通り、宮城県、そして山形県へと入る
30日の朝、車は福島県を通り、会津磐梯山を目の前に映していた
霧が深くたちこめ、山の上の雲の中から、地上を見下ろしているかのような錯覚にとらわれていた

何とも言えない懐かしい感覚・・・
この山に呼ばれたとはっきりと感じていた
歓迎された
そのフィーリングは私と彼を包んでいた

その時、彼が不思議な話をしてくれた
テレビで放映していた金沢と福島の縁の話だった

大昔、福島県は大きな飢饉に見舞われ沢山の農民が亡くなった
農地はそのままにしておくと腐る
そこで加賀藩と連携して、集団で加賀から福島への移動があった
幕府には内密にしていたという
移動してきた人々は、内密に代々の子孫に伝えていた
ちょうど富山県の高岡市の、あるお寺に文献があって
そのことが書かれてあったということだった

私の父の実家は福島県の地主だと聞いたことがある
今私が金沢にいるのは、もしかしたら福島に移動した家系の
血を金沢に再び戻したのかもしれない

何かの約束があって・・・・

この件に関してリーディングをする気持ちに私はなれなかった
まだ時間が必要だと思っていた

これは父と私との間で行われる話あいのもとで解決したい
そんな思いがリーディングしない決意を私にもたらしていた

真実は順番に行われる必要がある

子供の懐かしい写真を見ながら、私は子供とお別れをしていた


途中通った宮城県に入った瞬間、哀しみが流れ込んできた
それは言うに言えない切ない感情
泣いてしまいそうだった
福島県も被災しているのに、その感情は現れなかった

それは山形県に入ってしばらくしても消えなかった
震災の哀しみが私のハートを強く震わせていた
沢山の存在が私の中に入り、私はその哀しみに押しつぶされそうだった
痛みが胸を貫いていて、お別れをする哀しみと2重になって私を振動させていた

目を閉じ、彼らの魂と共に哀しみを感じていた
それがそこで亡くなった魂達への祈りになることを知っていた



娘と旦那さんとそのお父さんが迎えてくれた

彼のお父さんに今回初めて会ったが・・・
本当に深い縁を感じた人だった
顔に優しさがにじみ出ていた

なんだか私はもう我慢できずに泣き出してしまいそうだった

生きるということの深さと切なさを同時に感じていた

私はここへ呼ばれてきた
本当に心からそう思っていた


野生児とのお別れ・・・
私に母という喜びをもたらしてくれたことへの感謝
ナメクジを食べてしまって困ったこと
幼稚園の外のトイレの扉が閉まり、誰も見つけてくれなかったこと
ボロボロのズボンを履いて屈託のない笑顔で手を振っている姿
登校拒否で私を困らせた中学時代
すべてが私への人生の贈り物だった

彼女の笑い声が周りに響いていた

山形の地で、小さなあどけない彼女が永遠に変わらない小さな姿でいる
そう私には映っていた



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