極め勢朝通信2012年4月22日 日曜日
『真:彦六伝説』※一度倒れて入院した際に【九蔵】(現・好楽)師が見舞いに来て
「師匠死んじゃやだ~死んじゃやだよ~」と泣きじゃくるから、
引き離して室外に出した瞬間の一言
『あんなに~泣かれたら~死ななきゃ~いけないかい!?』
※【彦六】になる前の【八代目正蔵】時代に、楽屋で【馬楽】師と並んで座っていると、
前座が「馬楽師匠に女性からお花が届いてます」すかさず
『そりゃあ~先代への~間違えじゃあねえのかい~』
{【彦六】の前が【正蔵】で、その前は【馬楽】でした}
※【馬楽】の頃は、喧嘩っぱやく、何かと突っかかるから【トンガリ馬楽】と
あだ名されたお兄ぃさんで【キリスト教の屋根】(トンガってるから)とも
呼ばれていたそうです。
※お気に入りの弟子【照蔵】(現・春輔)さん連れて、浅草のサウナへ行って、
稲荷町へ帰宅…家に居た弟子に『今しがた~浅草のサウナで~
裸で涼んでいたら~ロセン(男性自信)をいじる野郎がいるから~
【照蔵】の仕業かな~と思って我慢してたら~全然知らねぇ野郎で~
どやしてやった!!』{どんな師弟関係だったのやら!?}
※落語が主題の映画が流行った頃、映画関係者が稲荷町のお宅に来て
「映画を撮るので、是非とも師匠のお長屋を、撮影にお借りしたいのですが」
の申し出に、ご満悦の師『ハイハイ~喜んでお貸し致します~で~何てぇ題名ですか?』
「〔落語野郎貧乏長屋は花盛り〕です!」『とっととけぇれ!!』
※弟子が留守番していると、電話がかかってきたので「ハイ!正蔵です!!」
『正蔵は俺だ~!!』{ちゃんと「正蔵宅です」と言いましょう}
※晩年になっても、若い女性を真剣に口説いていたそうです…それも泣き落とし
『あ~た~し~が、これ程た~のんでいるのだから~一度だけ~でも~』(爆)
※【彦六】師が【先代小さん】宅へ電話を入れたところ、
弟子の交換ミスで二度切れてしまった事があったそうです…
電話が切れた直後【小さん】師の姿が見えなくなったので、
弟子が「散歩にでも行ったのか?」と思っていたら…何と【小さん】師は
〔目白〕から〔稲荷町〕まで足を運んで「電話を二度も切って、あいすいませんでした!!」と
詫びに出掛けていたそうです{凄いぞ永谷園!剣道七段、流石の足さばき}
※あの〔くいしん坊万才!〕第一回目のレポーター(1974年10月2日)は
【八代目正蔵】師だったそうです…{【しょうぞう】から
【シュウゾウ】(松岡修造)へ30年の万才リレー!?}