砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

ヘルマン・ヘッセ「デミアン」

2017-11-09 12:09:54 | 海外の小説


「火を見つめたまえ、雲を見つめたまえ。
予感がやって来て、きみの魂の中の声が語り始めたら、それにまかせきるがいい」



このブログまだあったのか…(驚愕)

そんなことはどうでもよくて。しばらく更新に隙が出来てしまいました。書きたいことはあるのになかなか言葉にできないというか、ネタは温めているんだけどじっくり考える時間がないというか、そんな感じで生きています。ぼんやりしていたら11月も3ぶんの1が過ぎようとしています。時間の流れの強烈さ、そして「この期間に、いったい何が出来たのだろう」という焦燥を前にして、私たちはただ慄くだけなのです。

暗い話になってきたから暗い作家でも、ということで今日紹介するのはドイツ文学会が誇るメンヘラロマンチスト(誉め言葉)、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』です。彼の中では、私はこの作品が一番好きかもしれない。『知と愛』とか、『荒野のおおかみ』の混沌とした感じも好きだけど。
ヘッセと言えば『少年の日の思い出』を覚えている方もいるのではないでしょうか。国語の教科書に載っていたあの暗いお話です。蝶や蛾の採集に夢中になっていた「わたし」は、友人の蛾の標本を盗み、羽を傷つけてしまう。あとになって謝りに行くと「そうかそうか、つまりきみはそんなやつだったんだな」と心臓が凍るような、皮肉のこもった侮蔑を投げつけられる。印象深い短編です。
このような「罪悪感」を主題に苦悩する人物を描くことがヘッセは大変に得意です。読んでいてむずがゆくなったりそわそわしたりと、きわめて「なまなましい」ものがそこにはあります。それはきっと、彼自身が相当苦悩していた人物だったからなのでしょう。といったところで簡単に彼の経歴を紹介。

1877年、ドイツ南部のカルフに宣教師の次男として出生。14歳の時に難関の神学校に入学するも、学校から逃亡を繰り返したり自殺企図をしたりする。心配した両親が悪魔祓いを受けさせるが効果は虚しく、ついには精神病院に入院。その後は職を転々としたが、やがて個人的な体験を下敷きにした『車輪の下』を発表し、作家として大成していく。1904年にはスイスに移住。第1次世界大戦の頃(1919年前後)には精神的に不安定になり、ユングの弟子に分析治療を受けています。その時期に書かれたのがこの『デミアン』です。ちなみに人生で3回結婚していて、なかなかの人物であることがうかがえます。

彼の特徴は「あいつらマジでアウフヘーベン」と言いたくなるような、対立物をあれこれ並べて思考するドイツ人特有の回りくどさと、「生命とは何か」「生きるとはどういうことか」と繰り返される内省的な記述でしょう、根暗。そういったこともあって文章に馴染むまでに時間がかかるし、合う合わないがわかれると思います。でもというか、そのような難しさがあっても、長い人生で一度は彼の作品を読んでもらいたいと思うのです。これだけ苦悶している人はなかなかいないでしょうから。そういうものに時折触れるのも悪くないものです。
それから当時ユング派の治療を受けていたこともあって、随所にその影響が色濃く出ています。「魂」の話や中国やギリシャの異教の話は、いかにもユングが好みそうです。物語の概要は、外から押し付けられたものではない、自分のなかに新たな価値判断、基準を生み出していくものです。不良少年に強請られたり一時的に堕落したり、または孤独に蝕まれながらも、やがてはデミアンや音楽家ピストーリウスとの対話を通じて新しい認識を獲得する。「善」や「悪」の価値判断に揺れることもあるが、親の元を離れて一人の人間として立って行こうとするシンクレール青年。そのストーリーはさながら心理療法のプロセスを見ているようでもあります。

彼の作品を読んでいて思うのは、ヘッセのなかには少年の部分が強く残っているということ。不良に強請られて親の金を盗んだ時の「世界は終わった」「もう死ぬしかない」みたいな苦悶。大人になって読むと大げさだけど、もし自分が子どもの頃に同じような体験をしていたら、きっと同じように苦しんだことでしょう。『少年の日の思い出』にも、いわば「子ども時代あるある」が描かれていますが、そういった部分を描写するのが彼は本当にうまい。だからこそ読み手は自分の体験を思い出してむずがゆくなるような、少し苦しいけれど懐かしいような、そういった不思議な感情を味わうのでしょう。人生が「子ども」「思春期」「大人」といった断片がつながったものではなく、一貫して地続きで「自分」という存在が歩んでいくものだ、ということを感じさせます。そのあたりにもユングの影響があるのかもしれません。


冬になる前に、ぜひ手に取って読んでみてもらえたらと思います。読書の秋にはもってこいです、なんせ暗いので。


幼少期あるある、ということで。私も親のものを盗んだことがあります、確か4歳とか5歳の頃に、お金を。それで親にメタクソに怒られたことを今でも覚えています。先日父親を刺し殺す夢を見ましたが、この『デミアン』を読み返したとき、同じように夢の中で父親を刺す描写があってびっくりしました。人間は深い部分でつながっているのかもしれません。これをフロイト的に「エディプス・コンプレックスの表れだ」と解釈するか、ユング的に「集合的無意識」と解釈するか、どちらが正しいかはわかりません。ですが、誰かが自分と同じようなことを考えたり感じたりしているのを知ることは、その内容が破壊的なものであったとしても、どこか勇気づけられるような、親しみを持てるような気持ちになるのです。

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