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砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

かめごうら活殺怠慢ウェイ

2025-05-12 17:46:21 | 日記
サボっています。
最近の書き出し、ずっとこんな調子なんですが大丈夫でしょうか。
この人、本当に働いている時間があるのでしょうか。
そんな疑問が頭をかすめますね。
みなさまごきげんよう、お元気ですか。


短くて切ないGWが終わりました。
妻と出かけたり友人と飲んだりした程度で、そんなに遠出することもなく平和に過ごしていました。
ただ、久しぶりに労働に戻ってきたら辛いったらありゃしない。
労働ってこんなに辛かったかしらん。
なにが辛いって、世界はこんなにも明るくて美しく儚いのに、労働に時間を取られ、その美しさを味わえずに死んでいくことが悲しいのです。

そう、世界は苦しいし残酷だけど、同時に美しいのです。
歩きたい道、登りたい山、聞きたいラジオ、読みたい本、泊まりたい宿。
行きたいライブやコンサート、訪れたい場所、会いたい人、話したいこと。
そういったものが人生にはすごく溢れているのに。どうしてこうなのかなあ。
まあ、折り合いを、優先順位をつけていくしかないのでしょうが、この苦しみはしばらく続くことでしょう。
辛いね~。


楽しかったサガフロ2をクリアしてしまいそうです。
初期メンバーでハンの廃墟、最終メンバーで大ミミズの穴でみっちり特訓をしました。
ありがとうランドアーチン先生、青スケルトン先生、キャリアーアント先生。

その甲斐あってクリア後の強化将魔など恐るるに足らず。
魂の歌とガードビースト、マインドスケープにリヴァイヴァ、パーマネンスでバキバキに固めて。
そこから繰り出される「かめごうら焼活殺ウェイ」の前に、アワレにもズタズタにされた敵の姿がありました。
黄金の鉄の塊こと丙子椒林剣で殴られ、敵の生命は裏世界でひっそりと幕を閉じていきました。

あとは強化エッグを倒すだけです。終わるのが寂しいなあ。
4月から楽しみつつじっくりやっていたから、なおさら寂しい気がする。
サウスマウンドトップの戦いは1時間半くらい苦戦しました、これに関してはまったく寂しくないです。
本当にいいゲームだった。


あとは特に書きたいこともありませんが…。
何かよくわかんないけど、最近疲れているんです。
めちゃくちゃ忙しいというわけではないんですが…一体どうしてなのでしょう。
休みがあまりないからなのでしょうか。

人生の有限さは悲しいと思うけれど、いつまでも労働しなくては、と思うと早く楽になりたい気持ちにもなります。
チェーホフ『ワ―ニャ伯父さん』のラスト、ソーニャのセリフを思い出しますね。

「生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ。そして、ワ―ニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。」

そうであってほしいよな、これはマジ。
先日マクベスを読んだのもありますが、人がなぜ悲劇を求めるのか、以前より少しわかる気がします。
「現実が辛いなら、ハッピーエンドだけに触れればいいじゃない!」とも思っていたけれど、悲劇でしか緩和できない苦しみがあると思うのです。

もちろん、悲劇に触れたときの感じようはそれぞれで。
「なんて悲しい話なの!」と涙したり「自分よりもっと苦しんでいる人がいるんだな…」と安堵したり、むしろサディスティックな気持ちが掻き立てられたり。
私の場合はどうだろう、まずは圧倒されて、ぐわーっと色んな気持ちが起きて、それから「辛かっただろうな…」という感情移入の気持ちが湧き上がります。そしてそこに、ある種のカタルシスを感じるように思います。

アメリカのプログレメタルバンド、ToolのVicariousという曲でもそんな歌詞が謳われていますね。

“We all feed on tragedy. It’s like blood to a vampire”
俺たちはみんな悲劇を喰っている。吸血鬼に対する血みたいなもんだ。

この曲も好きですが、年を取るとますます歌詞がしみるなあ。
興味本位の野次馬根性で悲劇を消費する場合はともかくとして。
少なくとも、悲劇に触れることで自分の抱いている苦しみが、いくぶん緩和されることがあるようにも思います。
人生、辛いよな。ブッダは正しい。

…みたいにわかったようなこと書いてきたけど、今調べたらこれ全部アリストテレス先生が『詩学』で言っているらしいです。ダサ、受け売りじゃん。
しょうがないから『詩学』読むかあ、帰りに本屋寄ろう。

もうすぐ消滅するというGoo Blogのウェブサイトについて

2025-04-18 17:22:36 | 日記
このブログも消滅するのですね。
Goo Blogは2025年11月18日にサービスを終了するらしいです、寂しいものです。
妻が手伝ってくれるので、ブログの記事はおいおいnoteにお引越しするかと思います。
…長い間、くそお世話になりました!!!



なぜブログを始めたのかというと、ある時期とにかく仕事が暇だったのですね。
それがしんどくて、本当にしんどくて。大いなる虚無に陥っていたこともあり、艱難辛苦のなか、辛酸を嘗める苦しみの渦中で、虚無に対して徒手空拳で立ち向かうこともできず。
そこで編み出されたのが「ブログを綴る」という現実逃避なのでした。やったね。

現実逃避は昔から得意でした。
定期テスト前にはしばしば部屋の模様替えをしたり、物語や小説を読みふけったりしていました。
受験勉強のときも、塾のPCに入っていたソリティアと戯れ、音楽を聴きながら近くの墓地をよく散歩して。
修論がしんどかったときは、大学近くの土手をうろうろしていました。
まったく作業が進んでいないのに、夕暮れだけはとても美しかったな。
そして本当に苦しかったなあ、留年しなくてよかったよ。

また、昔から文章を書くのも好きだったのもあり、ここまで長く続けることができました。
本当にありがとうございました。


それはそうと。
2017年4月からこれまで、だいたい140個の記事を書いてきました。
最近は仕事が忙しかったのもあり、月1くらいのペースになってきていました。

ブログを立ち上げたのが4月27日なので、もうすぐでちょうど8年です。
いったいこの8年間、私は何をしていたんでしょう。
ピアノを弾き、酒を飲み、本も時々読み、ゼルダをやり。
旅行に行き、琵琶湖を2回も周回し、大好きだった祖父の死を悼み。
ともかくも、虚無に負けることなく生きてきました。
それだけでも頑張ったと言えます。

昔は自分の好きな音楽、本を知らしめたいパッションがありましたが、前回少し触れたように、ここしばらくは新しい刺激に触れられておらず。最近はもっぱらサボるために書いていることが多いですね、近況をただだらだらと書いているだけです。
それもまた一興、ウホホ。ウホウホ。


そういえば、肩こりがしんどいです。
鞄に入れているTOEICの文法テキストが、心だけでなく身体にも重くのしかかっています。
勉強が楽しくないわけではないんですが、発展編難しすぎワロタという気持ちになっています。
また、語学はこつこつと積み重ねるのが大事で、やってすぐ伸びるものでもなく…。
音楽も一緒ですね、繰り返しのなかで徐々に身体にしみわたっていく。
この苦しみは仕方ないけど、できるかぎり楽しみつつで勉強したいですね。

そういえば昨日オージーイングリッシュのポッドキャストを聞いていたら、Kick the dogという表現を知りました。誰かがおならをしたときに使うみたいです。折角覚えたけど使うことはなさそう。しかも絶対TOEICには出ないと思うのです。

TOEICの世界では、ネガティブなことがほとんど起きません。
旅先の忘れ物が届くし、特別なクーポンを使うといい割引が使えるし、事故が起きてもせいぜいフライトがキャンセルになったり電車が遅れたりする程度なので、誰かが会議中に屁をすることは起こりないのですね。


サガフロ2リマスターが出ました。
浜渦さんの音楽最高か。シナリオもとてもいい。
今はデッドストーン狙いで青スケルトンを狩りまくっています。
石甲の胸当ては1つ出たんだけど、肝心のデッドストーンを全然ドロップしません。
タイラーさんのHPがもうすぐ700超えてしまうのですが…。
まあ、稼ぎ自体は好きだからいいのです。サガフロ1でも繰り返しジャンク品を漁り、高周波ブレードをたくさん売却して、ゼロソードとリーサルドラグーンを人数分揃えていました。うう、懐かしすぎて目からメイルシュトロームが。


そんなこんなで何とか生きています。
最近急に胸が切なくなることがあるんですが、なんなのでしょうね。
人生のスピードが速いぜ。
僕はついていけるだろうか。Goo Blogのない世界のスピードに。

恐怖!放恣佚楽の新人教育!!

2025-04-03 17:58:54 | 日記
怖いか…?
新人教育の合間にブログを更新する、社会人としての私の心構えが…。



年度末でばたばたしていました。
熱が出て体調を崩したり、ヘルニアが悪化したりと盛りだくさんでした。
少しずつ日常が取りもろされてきています。

妻がTOEICを受けるので、一緒に勉強をしています。
大学生のとき、京都の友人のところに遊びに行って、そいつがTOEICを受けるので「お前も受けようぜ!」とノリで申し込まされたことがあります。
しかし勉強が面倒で結局受けなかったのですね。
なので、受験するのは今回が初めてです。

大学受験のときは英語が得意だったと記憶しているのですが、すっかり錆びついており。
先日問題集を買って解いたところ、リスニングが全然だめでした。特にオーストラリア人の発音が苦手でした。
オージーイングリッシュに慣れるため、ここ数日メルボルン在住の方のポッドキャストを聴いています。

どうしてなかなか、これが面白くて。
いわゆるオーストラリアの独特の発音だけでなく、オージーイングリッシュで使われる単語や表現、スラングなんかも紹介してくれるのです(スラングは絶対TOEICで出ないけどな、私はいったい何を対策しているんだ)。
また、トークの合間に「今メルボルンの公園にいて建物が見えて、その建物は○○で」とか、「今日は夏の終わりの美しい日で、とても過ごしやすい気温でもうすぐ日没なんだ」とか、何気ない話も聞いていてわくわくして。メルボルン、行きたいなあ。Betty’s BurgerのDeluxe SetやLUNEのクロワッサンを食べたいなあ、と思ったり。
ポッドキャストを配信している方もフランス語やポルトガル語を勉強していて、「多言語を流暢に話せるやつ、マジ羨ましいぜ!」と言っており、結局みんな同じことを考えるんだなって感じてます。


リーディングも全然時間が足りませんでした。
センター試験のときみたいに普通に解いて時間が余る、みたいなことはなく。
しかも途中で問題飛ばしていたし。ぐぬぬ、ちゃんと勉強しなくては。

そんなわけでハリー・ポッターを原著で読んでいます。
ククク、怖いか…?的外れなTOEIC対策をする私が…。
そんなことはどうでもよくて。
妻が海外の古本屋で買ってきたのを、今は私が読んでいます。
ようやくホグワーツから手紙が届くところまで来ました。


ハリー・ポッターと言えば、親戚のおばさんから中学のときに『賢者の石』『秘密の部屋』をもらって、そこからずいぶんのめり込みました。特に『アズカバンの囚人』が好きで、何度も読み返しました。
しかしながら『不死鳥の騎士団』以降、キーパーソンが死んだのがショックで、少し離れてしまって。

その後、ずいぶん時間が経ってから、大学院の友人が「なぜ最後まで読まないの?」と言ってきてムカついたので、ちゃんと最後まで読みました。そのため、『不死鳥』までは繰り返し読んだことがあるのですが、それ以降はたぶん1回しか通読していません。
また読み返したいなあ。


最近このブログをお読みの方はお気づきかもしれませんが、本の話や音楽の話が減少しつつありますよね。
英語の勉強やらなんやらで、新しい刺激を摂取することが難しくなりつつあります。
わかりますか、これが社会人になるということです。
手あたり次第に本を読んでいた学生の頃が恋しいよ。
あの頃のような情熱も気力も、今はないけれども。
異国の地に迷い込んだ千尋のように、身体が消えつつあるような気すらしますね。
新人の方には是非、私の屍を越えて生きていって欲しいなと思います。

次やったら殴る

2025-03-07 15:43:08 | 日記
疲れましたね。

頑張っても報われないことが続きます。
かといって、「努力など所詮無駄無駄無駄ァ…」と冷笑主義に浸りたいわけじゃないけどね。
報われない場合があること、数学の勉強を通じて知っていたはずなのになあ。
実際に報われないことに直面すると悲しいね、軽微な傷つきをいくつも抱えています。


楽しみだったポゴレリッチのコンサートも終わり。
目標にしていた高尾~陣馬縦走の往復、自転車での熱海デスロードを達成してしまい。
さしあたり、挑戦したいこと、成し遂げたいことが無くなりました。

ウソです、厳密にはあります。
抄録を書いたり来年度のことを考えたり、なにより確定申告をしなくてはなりません。
また、今週末に研修で地方に行くので、新幹線の予約をする必要もあります。
とりあえず宿だけは押さえたけど。

しかしながら。
「これが楽しみ~!」「待ち遠しい~!」というものがありません。
5月にあるベルリンフィル来日公演行こうかしら悩んでいたら、悩んでいるうちにチケットがどんどん無くなり。
気づいた時にはS席2万5千円しか残っていなかったので、気を失ってしまいました。

来年度はどこで長めの休みが取れるかなあ。休みたいよ。
休んで、絶対に何かしたいわけじゃないんだ。
純粋に仕事から距離を取りたいんだ。


2月はあんなに初音ミクのフィットボクシングを頑張っていたのに、最近サボり気味です。
酒を飲み、布団に包まり、怠惰な日々を過ごしていて。
なんだかやる気が無くなっちゃった。


こうした無気力は、たぶんストレスのサインだと思うんですよね。
些末な書類仕事、苦しい確定申告、悲しい年度末、ちりも積もればオリンポス山。
あと純粋に寒いです。もういい加減、寒いのに飽きたよ。
頑張って先に先に楽しみを作っていこう。

かかってこいやストレス、ボコボコにしてやんよ。
酒の力なんて借りなくても、お前なんて素面で十分だからな。
本当だからな。次やったら殴るからな。

ぶちのめすぞ

2025-01-28 17:59:28 | 日記

やってられないのでブログを書きます。


詳述すると職場からの特定が怖いので、少し曖昧に記述します。
Mother-in-lawと一緒に旅行に行きました、少し長めの旅行です。
今までも一緒に登山したり麻雀したりと交流はあったのですが、それでも旅行となるとさすがに疲れました。
途中で妻も加わってくれたので、それでかなり楽になりました。
Mother-in-lawもきっと私に気を遣って疲れたと思います、お互い様ですね。



長めの旅行は楽しかったです。
お金はかかったけど、手っ取り早く非日常を味わえました。
今まで勉強してきた中国語、英語を両方役立てることもできましたし。

しかしながら。
いざ使う場面になると“Can I use my 信用卡 吗?(クレジットカードは使えますか?)”と、ごちゃまぜになったわけのわからない文を繰り出してしまいました。
お相手の中国人も「こいつは何なんだ?」みたいな表情を浮かべていました。
私もそう思います。私はいったい何なんだ。

中国の方たちですが、困っているところで乗るバスを案内してくれたり、にこやかに対応してくれたり親切でよかったです。
しばらくサボっていますが、もう少し中国語の勉強を頑張らないとなあ。


仕事が押し寄せています。
正直、仕事自体はそこまで嫌ではないんです。
ただ、自分の持っているこの有限な時間、死ぬまでの短いひととき、その大半を仕事に費やしていることに、ふとつらい気持ちになります。

ラジオを聞きながら近所を散歩したり、カフェで本を読んだり、自転車で遠くまで行ったり。
ちょっと地味な温泉に行ったり、川沿いで夕暮れを眺めたり。
自分には、そういう時間がもっと必要だと思うわけです。
ウオオー、わがままは言わないから週3の労働で月100万円くれーッ!!
アウウウオアー、年2回でいいから3週間くらいの休暇をくれーッ!!!!!


先日は高尾山~陣馬山を縦走しました。だいたい18kmの道のりです。
朝9時半、高尾山口から稲荷山コースを登り始め、10時半に高尾山頂に到着。そのまま出発し、12時に景信山に到着。そこでなめこうどんを食べて30分休憩した後、陣馬山には14時過ぎに到着しました。このペースなら、もう少し朝早く出発すれば高尾~陣馬~高尾の往復ができそうです。いずれチャレンジしたいですね。

今回の縦走では、ゴールを陣馬山にしたのが良くなかったです。
陣馬高原下のバス停は1時間に1本しか来ないし、私が到着したときにはバスが4分前に出発してしまっていて。ただ待っているのもつまらないので、それから1時間くらい歩いた先にあるバス停まで行き、そこでバスに乗りました。車内は登山客でごった返し、まったく座れませんでした。うるるん。藤野の方に出ればよかった。


急に話が変わります。
ふと「誰かに優しくしてもらいたい」という気持ちになります。
ふだん誰からも認めてもらえていないとか、褒められないとか、孤独に生きているというわけではないのです。
なんなら妻はわりあい褒めてくれます、「働いてえらい」とか「運動してえらい」とか…たぶん私に対する期待値が低いのでしょうが、ありがたいかぎりです。

しかしながら。
それでも「誰か優しくしてくれ!」「俺に関心を向けてくれ!」という気持ちに襲われることがあって。おいおい、もういい年齢なんだぜ。いつまで思春期ボーイをやってんの?って話ですよ。狂ってる?それ、誉め言葉ね。

それはさておき。
どうしてこのような気持ちになってしまうのか。

もともと自分が寂しがり屋で、そういう性格傾向なのもあると思います。
昨年も妻がいないなか、思い出の琵琶湖一周をしたところ爆裂センチメンタルになりました。

それに加えて、仕事柄、職場のなかに渦巻く転移を引き受けているとも考えられます。
強烈にケアを求める対象に、絶え間なくケアを提供している人たち。その人たちをケアするというか。
人に優しさや関心を振りまく、ケアを振りまくのが業務みたいな部分もあります。
こうして文字にしてみると、なんだか自分がペテン師めいた業務をしているのでは…?これは本当に誰かの役に立てているのだろうか…?と疑問に思わなくもないですが。
何年もペテン師業務を続けてきて「まあ、これはこれで何かにはなっているのだろう」という感触も若干持てるようになってきました。


漠然とした話でわかりづらくて恐縮なのですが、わかりやすく誰かの役に立つことが、必ずしもいいことではないんですよね。もちろん、それが必要な場合もありますが。
たぶん私のように「あれ、このまま仕事の時間で人生が占められるの、つらいかも」「褒められなさすぎワロタ」みたいな気持ちになっている人って、たくさん巷にはびこっているのだと思うんです。

「こうしたら楽になれるよ!」「筋トレがすべてを解決!」みたいなアンサーで救われる人もいると思うのですが、そうでない人たちと一緒にうんうん頭を悩ますのも、それなりに意味があるのかなって。
そもそも意味があるってなんだよ、ぶちのめすぞ。
かかってこいよ資本主義、効率主義、成果主義、エビデンスベースド!!


とにもかくにも。
週6日労働したり、Mother-in-lawを異国でガイドしたり、高尾~陣馬を縦走したり。
私は頑張っているんですよ、でたらめな中国語を喋るものの、頑張っているんです。
ウオオアウオアウオー、俺を褒めてくれー!!