砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

Nirvana「In Utero」

2017-08-26 05:23:41 | アメリカの音楽


悲しいときー
悲しいときー

ブログのネタが切れたときー


一体いつのネタをやっているんだ、歳がばれる。
さて(?)音楽には「気分一致効果」というものがある。これは心理学の用語らしいが、簡単に言うと楽しいときは楽しそうな音楽を、イライラしているときにはイライラしそうな音楽を聴くのがいい、ということだ。なんやそれ、当たり前やないの、と思う方もいるかもしれないがそういう人はAltキーとF4キーをそっと押してみてほしい。さよなら。

簡単なアイスブレイクも済んだところで。リラックスしたいとき、楽しいとき、悲しいときにマッチする曲を探すのは比較的簡単だろう。とりあえずEnyaとかJack Johnsonとか湘南乃風など聴いていればよいのだ、タオルを振り回してそのまま大気圏突破すればよいのだ。でもイライラしているとき、例えば泊っているホテルの窓からテレビを投げたくなったり、斧でドアを叩き割って隙間から笑いながら顔を出したり、総武線小岩駅のホームで快速の通過電車を待ったりしているときに、一番おすすめする音楽は彼らNirvanaだと思っている。
他にもPanteraとかMetallica、Slipknotのようなかまびすしいメタル路線とか、Envyや54-71のようなグチャっとした塊のような音楽もいいけれど「怒りを通り越した後の虚しさ」みたいなのは、彼らの方がうまく表現できているだろう、と勝手に思っている。バンド名からしてもそうだろう、Nirvanaって仏教用語の「涅槃」のことなので。何の煩悩も生じえない悟りの境地、静的な世界。バンドの音楽とは対極ではあるのだが。

アルバムのタイトルの『In Utero』、これはご存知のように「子宮の中」という意味だ。前作の『Incesticede』は近親姦を意味するincestからの造語らしいが、今作はより退行した、性的な交わりどころではない、もっと原初的な心持ちで作ったのかもしれない。あるいは「もう生まれたくない」というような気持ちか、さすがにそれは考えすぎかな。

好きな曲をかいつまんで紹介。
M2「Scentless Apprentice」

Nirvana - Scentless Apprentice


初めてこれを聴いたときはとてもびっくりした。『Never Mind』や『Incesticide』にも妙にテンション高い曲はあったけど、あの頃のポップさはいずこへ?と。サビのカートの声が怖い、どうやって出しとるんやこの声。~こんな子宮の中は嫌だ2017~という感じ。なんのこっちゃ。これだけ不協和音を鳴らしているのに曲としてまとまっているのがすごい。
タイトルに「Scentless」すなわち「無臭の」とあるけれど、これは彼らの代表曲である「Smells like teen spirit」の皮肉みたいなものなのかしら。サビではひたすらGo AwayとかGet Awayと歌っている、メディアやレコード会社に対して言っているのかな。

M6「Dumb」
「I think I’m dumb 俺はばかだと思うんだよね」と繰り返し歌う、世界で最もかっこいい自己卑下の曲の一つ。PixiesのDebaserとかRadioheadのCreepも良いですが。

M8「Milk it」
アルバムのタイトルっぽい曲、子宮とミルク。このMilkは「台無しにする」という意味らしいけれど。クリスのベースが格好いい。テンションのロー、ハイのメリハリが効いている彼ららしい曲でもある。そういえば彼らにそういった、静かなAメロ、爆発するサビといった構成の曲が多いのは、Vo/Gtのカートが双極性障害だったことも関係しているのだろうか、さすがにそれも考えすぎか。

Nirvana - Milk It


M13「All Apologies」
アルバム最後の曲。歌詞がいい、後半の妖しいチェロの音色が綺麗。

What else would I be 他にどうしたらいいのか
All Apologies とにかく謝るよ


謝罪から始まる曲である。アメリカ社会では謝ったら負けなのに、いきなり謝っている。圧倒的・・・圧倒的負け確っ・・・!!ざわざわ。それはそうとして。でも謝るしかないけど、どうしようもない俺をありのまま受け止めて欲しい、といった気持ちが見え隠れしているようにも思う。Nirvanaで一番好きな曲。動画はアコースティックライブのもの。

Nirvana - All Apologies (MTV Unplugged)


最後に繰り返されるAll in all is all we areという歌詞が印象的だ。直訳すると「我々はみんなかけがえのない存在」という意味になるのだが、最後に何度も繰り返されると皮肉というか、いっそ「もう人間なんてばらばらで勝手な生き物なんだ」「結局俺もお前もその一人なんだ」という諦観の念のように聞こえなくもない。悲観的過ぎかな。

全体を通して「漠然とした罪悪感」って感じの歌が多いように感じる。嫉妬、怒りや憎しみを通り越したあと、しばしば湧き上がってくる感情は「罪悪感」とか「虚しさ」だと思うのだけれど、そういった部分を歌っているのだろうか。どうせ俺が悪いんだろ、でも俺にはもうどうすることもできないんだよ、とばかりに。この辺の世界観は、RadioheadのNo Surprisesとかと近い気がする、曲調は全然違うけど。

アルバム全体に流れているヒリつくような緊張感は、きっとプロデューサーのスティーブ・アルビニの力が大きいのだろう。彼はこういったグランジやパンク、オルタナ系の音楽を手掛けたら、だいたいの割合でめちゃくちゃいい作品に仕上げます。Super ChunkとかMelt Bananaとか、それからPixiesも。個人的にはブライアン・イーノと同じくらいすごいプロデューサーだと思っている。


余談ですけど、どっちかって言うと北欧メタルよりもアメリカメタルの方が、怒りや憎しみのようなネガティブな感情を多く含んでいるような気がします。今の大統領もあんなだし、アメリカ人はそんなにイライラしながら暮らしているのかしら。経済格差が大きく、嫉妬や羨望の感情を抱きやすいからなのでしょうか。そう考えるとアメリカ人って大変だな。カートがショットガンで頭を打ち抜いた気持ちも今ならわかる気がする。

Syrup16g「Hell-See」

2017-08-18 17:13:04 | 日本の音楽


先日ブログを読んでくれている友人に会ったので感想を聞いたら、ひとこと「長い」と言われました、OMG。

それはそうと。
実家に帰っているあいだ、暇だったんでギターで念仏にコードつけて弾いてみたんです。日本の音階って基本的に短調、すなわちAmとかEmとかDmとかで暗い感じになるので、古くからある民謡(通りゃんせ、子守歌など)はどうしたって陰気ですよね。それが嫌でDmaj7とかD/F#などのコードを入れてみたらこれはもう念仏ではない、という感じになりました。自分が根暗なのは念仏のせいだな、きっと。


さて、根暗な人が聴く音楽ということで今日はSyrup16gの『Hell-See』を。もうこのタイトルがすごいですよね、「健康」Healthyと「地獄を見る」Hell Seeをかけている、これはダサい(注 褒め言葉)。ちなみに同じ具合にHellとHalloweenをかけた名前のジャーマンのメタルバンドもいましたが、そっちもしっかりダサいです(注 褒め言葉)。

『Hell-See』は彼らがメジャーデビューしてから3枚目のアルバムになります。リリースは2003年。きわめて短期間で制作されたこともあり、曲構成はシンプルだしうまく力が抜けていて、彼らのなかでは淡泊な方でしょう。でもそれくらいがちょうどいいというか、他の作品を通して聴いたらわかると思うのですが、ずっと根暗な音楽を聴いていると疲れるので。
本作はたとえて言うなら「優しい味のラーメン二郎」みたいなものだと思います。他のアルバムは暗くて重いのが多いけれど、『Hell-See』はわりにさっくり聴ける、そういう感覚があります。「吐く血」「ex.人間」などの暗い曲もありますが、こういった曲はまあメンマやチャーシューみたいなものだろう、と。たぶん。


好きな曲。まず1曲目の「イエロウ」、下のリンクはライブ動画なので音質荒め。

syrup16g - イエロウ


7拍子のギターのリフで始まる勢いのある曲。とはいえ歌詞はまったく勢いがなくて、むしろ全力で後ろを向いています。

さっそく矢のようにやる気が失せていくねぇ
あっそうって言われて今日が終わる


なんだこれは。この曲はベースとドラムが格好いいです。タイトルの「イエロウ」は黄色ではなく、「家籠り(いえごもり)」を音読みしているのだと思いますが、掃除炊事洗濯が趣味だという話をしている、つまりニートのことですね。朝仕事に行く前に聴くとやる気が出る曲です。「仕事しようよ」という歌詞も出てきます、やかましいわ。


それから9曲目の「ex.人間」、Youtubeのサムネがやばい。
syrup16g - ex.人間


淡々としたリフ。そこにベースがユニゾンするのが良いです。
全体的にごく当たり前の人のことを歌っているようですが、気になるのはサビ(?)の歌詞。

きてるねぇ のってるねぇ
やってるねえ いってるねぇ
急いでいるし わかってるんだ 3つ数える間に消えろ


ここだけ意味が分かりません。それまでは「道だって答えます、親切な人間です」とか「でも遠くで人が死んでも気にしないです」とか歌っているのに、この部分はどうしたんだろう。あれこれ考えてみると、自分にまとわりついてくる幻覚や妄想、あるいはうつ状態の時に現れるネガティブな思考、そういったものをどうにかして打ち払おうとしているのかな、という気がします。考えすぎかもしれませんが。無性に蕎麦を食べたくなる曲です。

13曲目「シーツ」
白身魚の煮つけのように淡泊な曲。でも歌詞が良いです。死にゆくのを病室で待つ、といった情景なんでしょうか。そう考えると「いつか 浴びるように 溺れるように飲みたいよ」とか「風のように 鴎のように 飛びたいよ」という歌詞は、かなわないとわかっていることを願う状況のようです。切ない。


ほかにもM7「(This is just not) song for me」の、彼らにしては珍しくキラキラして明るい感じ、M14の「吐く血」の妙に明るいギターリフをバックに、いなくなった具合の悪い女(たぶん摂食障害)について思いめぐらせる歌詞。それから終わりにふさわしい曲「パレード」と好きな曲はたくさんありますが、とりあえず聴いてもらった方が早いかと。今までの作品に比べて、ベースとドラムの絡みがいいです。スリーピースということもあってか、ギターはそこまで前面に出てきませんが、それくらいがちょうどいいようにも感じます。Syrup16gを初めて聴く方にも比較的おすすめだと思います、聴きやすい曲が多いので。優しい味の二郎なので。


昔はよく聴いていたんですけど、このごろ彼らの作品をあまり聴かなくなりました。「俺生きてる価値ないわー」とか歌っているのを聴いても、共感するというより「いやいや、そんなこととっくに知ってるから!もういいから!」と思ってしまう。根暗になり過ぎたのかもしれません、これも念仏のせいだな、きっと。とはいえ、この『Hell-See』は大好きなアルバムなのです。

川上弘美「真鶴」

2017-08-10 22:55:46 | 日本の小説

久しぶりにいわゆる「聖地巡礼」をした記念に、今日は川上弘美の『真鶴』を。
これまで聖地巡礼をしたのは、タブッキの『レクイエム』でリスボンを、漱石の『こころ』で雑司ヶ谷、小沢健二の曲で尾道、キリンジの曲で江古田のプアハウス、小津安二郎の映画で鎌倉を訪ねたくらいである。あれ、結構行ってるな。




実際の真鶴は美しい町であった。

『真鶴』は不思議な作品、そして川上弘美のなかでもっとも具合の悪い作品であると思う。文章自体は断片的でありながらも、そのリズムは流れるように整っている。具合は悪いが、個人的には彼女の作品では一番好きだ。『神様』『古道具屋 中野商店』のふわっとした日常と非日常のあいだも、『ニシノユキヒコの恋と冒険』『センセイの鞄』のような恋愛の話も良いけれど、彼女の本当の魅力は心の奥深く、どろどろとした部分を描くのがとても上手なことだと思う。

村上春樹はそういった部分を、人間の心の揺れ動きを比喩や突飛なストーリー展開で描く。井戸に入ったりギリシャに行ったりハワイで女を追いかけたり、やれやれ。しかし川上弘美は、それを比較的「そのまま」の形で描いている。
これはもちろん、並大抵のことではない。そしてそれが説得力を持っているから不思議なのだ。しかし説得力を持っているということは、そのまま情感が伝わってくることになるから、読み手はとうぜん苦しくなる。とりあえず心に余裕があるときにでも読んでみてもらえればと思うのだけど、以下に印象深い箇所をいくつか紹介したい。

まず書き出しがすごい。

「歩いていると、ついてくるものがあった」

なんじゃこりゃ。読者は「えーと、一体なにが?」という気持ちになる。しかしその後もついてくるものの正体は判然としない。男なのか女なのか、大人なのか子どもなのか、そもそも人間なのかわからないまま、それはどこかに消えていく。このあたりから「なにか得体のしれないことが起こっておる!」という気持ちにさせられる。

続いて主人公の京(けい)が初めて真鶴に行ったあと、母からどうだった?と聞かれる場面。
「つよい場所だった」京は答える。真鶴は昔ながらの森林、そしてずっと昔から変わらぬ海がある町だ。人間のこころの深い部分に働きかけるにはうってつけの場所であるし、そういう意味では彼女が「つよい」と形容したのも頷ける。
しかし現実の真鶴は作品で描かれているほど、不穏な場所ではなかった(当たり前か)。長いこといたらまた印象が変わるのかもしれない。春先や秋の終わり、あるいは冬に海が時化になっている時に行くと違う顔を見せるのだろう。もちろん、作品の中では真鶴に行ったときの京の精神状態が大きく影響していくのもあるはずだ。

おそらく京の精神状態が一番悪いのは、7月の真鶴に出かける場面だろう。夏に開かれる貴船神社の祭りで「ついてくるもの」と一緒にいながら、京は何が本当で何が幻なのかどんどんわからなっていく。いわゆる「幻覚妄想状態」みたいになっている。船が燃えたのでは。人がたくさん死んだのでは。京はそれを懸念して不安になるが、ついてくる女には「あなたがそう願ったのよ」と言われる。狂気に拍車がかかる場面だ。読んでいて、ずっしりとした辛さがやってくる。


貴船神社。ふかわりょうがいたら「おまえんちの階段、急じゃね」と言うくらいの勾配。


遠くに見えるのが「三ツ石」と呼ばれる、一種のご神体である。

物語のなかでは、失踪した夫や不倫関係の男が中心となる「女としての京」の部分が語られる一方で、遠ざかろうとする思春期の娘との関係の揺れ動き、すなわち「母親としての京」の部分も描かれている。そう考えるとけっこう複雑な構造の話だ。そして複雑な関係のなかで、主人公は何度も傷つき揺蕩っていく。それを「母子の分離」や「不在の対象への愛と憎しみ」といった心理学用語で片づけるのは簡単だけれど、それではこの物語の本当の魅力は伝わらないだろう。読んでいる途中、本当に苦しくなるぶん、そしてその苦しみがなにによるものなのか「わけがわからない」ぶん、終わりに向けて物語が進んでいく、少しずつ整理されてクリアになっていく過程が、なんというか救いのない暗闇の世界に光が差してきた、とでもいうんだろうか。「安心できる世界」にようやくたどり着いた気分になる。
オタマジャクシの話も印象的である。大半は死んだけど、生き残ってちゃんとカエルとなっていったものもある。人間のこころも何か、我慢したり傷ついたり犠牲になっていく部分はあるけれど、それでも生き残って成長していく部分もあるのだろう、そんなことを考えさせるエピソードだ。

それから夫の浮気が徐々に明るみになっていくことについて。空想のなかだけれど逆上して刺したり首を絞めたり、しかしまあこれだけ人を憎めるのがすごいな、というのが率直な感想だ。しかしそれだけ憎めるのは、本当に夫のことを必要としていたからなのだろう。夫の礼が浮気をしていたとはいえ、結局京だって妻子ある男性と関係を持っている。同じようなことをしているのだ。だのに、不倫相手の青茲が自分から離れようとすると「いや」「さみしい」と言って縋り付く。全然知らない男と寝るシーンもある。そこに罪悪感はほとんどうかがえない、自分のなまの感情でいっぱいいっぱい、それどころではないのだろう。そういったシーンも、読んでいて苦しい。

どこまでが「現実」でどこからが「非現実」なのか。こういった妄想的な内容は、『蛇を踏む』でも『なめらかで暑くて甘苦しくて』でもあるけど、一番「わけがわからない」、そして一番「ぞくぞくする」のは、きっとこの『真鶴』だ。三浦雅士の解説も良い。
そして「ついてくるもの」とは一体何だったのか、最後まではっきりしない。けれど、それは主人公とえらく対照的な存在である。京は娘の些細な言動にも揺れ動き、傷つく。男が離れていくことにも苦しむ。けれど「ついてくるもの」の代表である白い女は、平気で自分の子を、しかもまだ幼子を海に放り投げたりしている。ただの妄想のなかの迫害対象といえばそうなのかもしれないけれど、主人公のなかにある一種の狂気というか、破壊的な部分なのではないか、と思うのである。だってあまりにも京のことをよく知っているのだから。中盤では娘よりも近い存在になっている。


なんだか感想が断片的になってしまった。まあでもそういう本だから、ということでどうかご了承いただきたい。まだ2回しか読んだことがないから消化しきれていない部分が多いのだろう、時間を置いてまた読み返したい。たぶん夏休みの読書感想文には向かない一冊だと思うが、もしこの記事を読んで気になったら手に取ってみて欲しい。



今回の巡礼のハイライト、のびやかに寝る犬が羨ましい。

この作品が真鶴の観光に影響しているかどうかはわからない。そもそもいいイメージを与えているのかもわからない。後輩には「これを読んで真鶴に行こうとは思わないです」と笑って言われたけれど、個人的には行ってよかったと思っている。坂の多い、海と森の綺麗な不思議な街だった。レンタサイクルは1日1000円だし、そしてそんなに見どころのある町でもないので(失礼)1日もあれば回れるだろう。興味のあるかたは是非、本を片手に。ついてくるものがないことを願う。

フジファブリック「TEENAGER」

2017-08-03 16:04:50 | 日本の音楽


ついに「各アーティストにつき1枚ずつ」の禁を破ってしまった。しかし久しぶりにこのアルバムを聴いたらすごく良くて、どうしても書きたくなった、単純なことである。まいったな。今日はペナルティとして飲みたくないけどビールを飲みます。

8月になった。思えばこのブログも3ヶ月以上続いたわけだ。自分で言うのもアレだけど、まさかここまで続くと思わなかった。これもひとえに私の努力と仕事の暇さの賜物である。しかしブログのおかげで時間を有効活用できているし、好きな本や音楽についてあらためて考えることができるから、頭を使うけどこうして書くのはわりに楽しかったりする。もっと早く始めていてもよかったなあ、なんて。


今日は2000年代邦楽の名盤と名高い、フジファブリックの『TEENAGER』を。
以前紹介した『FAB FOX』からは2年2ヶ月ぶりのリリースとなった本作、一聴してわかるがギラギラして重かった前作とはえらいカラーが違う。カラーが違うというか、スケールが大きくなった、世界観が広がった、そんな風に言えるだろう。
それもそのはず、前作はセルフプロデュースであったが、本作はプロデューサーにかのユニコーンを手掛けたマイケル河合を招いて制作されたのである。ユニコーンと言えばVo/Gtの志村が音楽をやろうと思うきっかけとなったバンドだ。そのプロデューサーを招いたというのは、「彼ら(ユニコーン)みたいになりたい」という志村の思いが達成された部分もあるだろうし、アルバム作りに相当に気合が入っていたことがわかる。さて大好きなアルバムなので気合を入れて本ブログ初の全曲レビューをしていこう。

M1「ペダル」
遠くから聞こえる柔らかいハウリングをバックに、アコギのアルペジオが流れ出す。今までになかった始まり方だ。ギターの山内氏は、本作で空間系のエフェクターを多用している。そういったことも、アルバム全体の音の広がりに影響しているように思う。それから足立氏がクビになりドラムがサポートの城戸さんに変わって、前作ではできなかったことができるようになっている、と言ったら足立氏に失礼だろうか、ごめんね。でも最初のタムが叩かれるあたりですごくぞくぞくするのだ、さあ始まるぞ、という予感。最後の「そういえばいつか語ってくれた話の続きは このあいだ人から聞いてしまったよ」という歌詞、意味深だ。君に会う口実がなくなってしまった、ということかもしれない。残念さというか、やるせなさの漂うフレーズだ。

M2「記念写真」
リフは変だが引き続き盛り上がる曲。前作には見られなかったさわやかさだ。曲は山内氏によるもの。「僕はなんでいつもおんなじことで悩むの」という内容の歌詞は、次作の「バウムクーヘン」にも見られる。なお本作では軽く聞こえるが、向こうはかなり深刻である。一体何があったのか。

M3「B.O.I.P」
タイトルの4文字は「バトルオブイノカシラパーク」ということになっている。ペダルこいだり池の話が出たりしているから、武蔵野にある井之頭公園のスワンボートのことだろう。終わったと見せかけて最後にもう一度ぶり返して始まるのが面白い。前作の「唇のソレ」にも同じようなことをやっている。そして地味にすごいと思うのがベースの加藤氏のフレーズ。彼は美しいフレーズを優雅に弾くというより、地味で大変なベースを弾き倒す「苦行系ベーシスト」だなと思わせる一曲。「銀河」とかもそうだけど辛くないんだろうか、余計なお世話か。終わり際の演奏が凄まじい。

M4「若者のすべて」
名曲中の名曲。なので特に語る必要はない。そういえば珍しくクリシェのコード進行が使われている。とりあえず聴いた方がいいのでリンクを貼っておく。ザ・なつやすみバンドの中川理沙さんがカヴァーしているのもむちゃくちゃ良いので、こちらもリンクを貼っておく(「若者のすべて」は7:10から)。

フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)


Live at Arumakan - AMC vol.3 - 中川理沙


M5「Chocolate Panic」
前作の「マリアとアマゾネス」のような60年代、70年代のギターロックっぽいフレーズに甘い(?)歌詞が載っている。それにしても「蛇になって荒野を裸で歩きたくなる」というのはどういう心境なんだろう。わからなくもないけれど。蛇は歩くというより這うのだ、という突込みは野暮かな。

M6「Strawberry Shortcakes」
同上の、昔のロックを現代風にアレンジしたような曲。イントロ、Aメロの鍵盤が良い。作曲にJellyfishの鍵盤の人が参加しているのが大きいのかも。サビのマイナー調で下降していくメロディが好き。「もう一つ僕のイチゴ食べてよ」というのはどういうシチュエーションなんだろう。「唇のソレ」や「花屋の娘」のような、ちょっと倒錯的な歌。

M7「Surfer King」
妙にハイテンションの曲。私は「メメメメメリケーン」という歌詞をずっと「Ma Ma Ma Ma Make it」だと思っていた。フジに詳しい友人によると「志村がそんなお洒落なことを歌うわけがない」とのこと。この曲はドラムが大変そうである、たぶん足立氏だと無理だったろう、ごめんね。

M8「ロマネ」
ほかに比べると地味だけど、個人的にはとても好きな曲。出だしがまんまQueenだが歌詞の中で言及しているからいいのかな。「夢が覚めて虚しくなる」「嘘をついた日は 素直にもなりたくなるから」など、随所に歌詞の間に志村の本音らしきものがうかがえる。タイトルのロマネというのは某高級ワインのなんとかコンティのことだろうか?歌詞の中で赤ワインを飲むくだりが出てくるが、志村がそんなお洒落なものを飲むとも思えないけれど。

M9「パッションフルーツ」
この曲をよくシングルで出そうと思ったな…と言ったら失礼になるかな。打ち込みを初めて導入した曲。それもあって、これまでのフジファブリックの路線とはちょっと違う感じだ。全体的に歌詞がエッチな気がする。「眼鏡はどうかそのままで」という歌詞に賛同する方は多いと思っている。

M10「東京炎上」
歌詞は全体的に意味が不明である。サビは「さあダバダバ ダバチダバダバババ ダバチダババチテ」といったスキャットだし。しかし曲がいいので癖になる。特に「時計を止めてPARTY TIME」前後のキメの部分と、2回目のサビが終わった後のCメロが好き。力強いドラムの上に妖しい鍵盤の音色が響くのが格好良い。

M11「まばたき」
最後の箸休め的な曲。これはギターの山内氏によるもの。ぼんやりとした歌詞が浮遊感のある曲調と合っている。「今日も昼も夜もずっと晴れたままで冬が終わる」「まばたきを3回している間に 大人になるんですと君が言った」全体的に意味深だが、「わがままな僕らは期待を たいしたことも知らずに」というのは、何かを漠然と期待していたけれど思っていたのとは違った、ということだろうか。いまひとつわからない。でも個人的には好きな曲である。

M12「星降る夜になったら」
作曲で鍵盤の金澤ダイスケが参加している。ドラムが高速でハイハットを叩いていてえらい辛そう。目立たないが、実はベースも結構大変なフレーズを弾いている、しかし苦行系ベーシストにはあまり関係がないようだ。深めのリバーブがかかった鍵盤が好き。この曲も、彼らのなかではわりにハイテンションな方だろう。

M13「TEENAGER」
間髪入れずに始まるタイトルトラック。イントロからして遊び心満載だ、曲の途中には珍しくハンドクラップも入っているし。「朝まで聴くのさAC/DC」と珍しく自分の好きなミュージシャンのことも歌っている。ソファの上で飛び跳ねてエアギター弾いてそうな曲。インディー時時代も含めてアルバムがセンチメンタルな曲で終わらないのは、このアルバムが初めて。ギターソロがどことなくユニコーンの「スターな男」に似ている気がするのは、プロデューサーが河合氏という先入観があるからかな。


怒涛の全曲レビュー終わり、ふう疲れた。気になった曲があったらチェックしたり、改めて聴いてみたりしてくれると幸い。
個人的なこだわりとして毎年8月になったらこのアルバムを解禁しているのだけれど(カニ漁みたいだが)、本当にいい曲が多い。ドラムがサポートの城戸さんに替わったのもあってか、音楽の幅が大きく広がっている。打ち込みを入れたり他のメンバーの曲も増えたりと、あれこれ模索している感じがあるから、今までの彼らに見られなかった曲もけっこうある。「TEENAGER」というタイトルが表す通り、遊び心満載のアルバムだと思う。しかしこの後に出す「CHRONICLE」はもう少し陰鬱な感じの漂うアルバムになる。その辺の振れ幅が大きいのが、このバンドの魅力でもあるのだが。


とはいえエネルギーに満ち溢れていてヴァリエーションも豊かなこのアルバムは、じっくり聴いているとけっこう疲れるんだな。昔はそうでもなかったんだけれど、自分が歳をとってとっくにTEENAGERでなくなった証拠なのかもしれない。そう思うととても悲しい。まいったな。でも、何年経っても聴きつづけるんだろうな。