砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

東畑開人『野の医者は笑う』

2018-06-28 20:08:17 | 

久しぶりに真面目なことでも書くか。


『野の医者は笑う』東畑開人。京大出身の臨床心理士による、心理学的ノンフィクション。今までも書店で何度か見かけたことはありましたが、表紙に若干の抵抗があり購入には至らず。ご覧の通り、笑顔が怖いし、眩しいし。
でも先日先輩たちと酒を飲んでいる時に「あの本面白いよ、確かもう4刷くらいしてるでしょ」とこの本の話題になったのです。「そんなに面白いんすか?じゃあ貸してくださいよ!」と言ったら「持ってないんだよ..」と言われた。4刷もしてるのに?どうしてそんなこと言うの?

そんなわけでホイホイ買ってしまったのです。正直言って1900円もする本をぱぱっと買って大丈夫?あなた低所得だよ?という天の声も聞こえてきたのですが、先輩が面白いって言ってたしamazonのレビューも高いし、ダメだったら先輩に2000円で売りつけよ…!と思っていました。

これがね、面白かった。悔しいけど面白かったよ。ノリとしてはちょっと古い感じがありますが(太陽やエビチリと会話したり、観葉植物になろうとしたり。メタルギアかよ)。随所に面白いエピソードがあり、筆者の就活がうまくいくのかハラハラもあり笑、すらっと読めてしまった。


ざっくりした本の内容。臨床心理士である筆者が「癒されるってどういうこと?」「心の治療って何?」という疑問から出発し、民間のセラピスト、ヒーラー(筆者は彼らを「野の医者」と呼ぶ)の活動が盛んな沖縄で、実際に治療を受けまくったり話を聞きまくったりしています。怪しい人たちがたくさん出てくるのですが、彼らに癒されている人々がいるのもまた事実。ヒーラー自身も、過去に貧困や家庭の不和など、辛い経験をしていることが共通していると語られています。

とにかく、怪しげな治療がどんどん出てきます(アロマや祈祷とかはまだ常識的な方で、前世を見たり、ミルミルイッテンシューチュー、手から金粉出したり。サイババ感が漂う)。しかし読み進めていくと何故か「そんなの科学じゃないよ」「単なるプラセボでしょ」と言い捨てられないようにも感じるのです。
私たちもふだん、神社に行ったり墓参りしたりしてるわけで。別にそれが統計的に有意な効果があるから行くわけじゃないですもんね。でも行ったらなんとなく落ち着いたとか、どこか厳かな気持ちになったり、美しいと思ったり、何か意味があるような気もする。そんなものなんです。人間って騙されやすく、信じやすい生き物なんです。
では、どうして人間はそういう風に進化してきたか、なぜ宗教や迷信を生み出してきたか?私見ですが、人間が大きな物語の中で生きようとしているからではないかな。一人の人間も、膨大なストーリーから成り立っている。いついつ生まれて、父母がどんな人で、どういう友達がいて、どんなことで笑ってどんなことで傷ついて、泣いて、誰とセックスをして…そういったストーリー。
でも死んでしまったらカスになります、無です。それはやっぱりさみしいよね、ということで集積されたものが物語になり、迷信が成立し、やがて神話になり宗教になっていったんじゃないかな。そこにあるのは自分が無になる「不安」や「虚しさ」なのではないかと思うのです。だから何か大きなものに縋りたい、頼りたい。あくまで私見だよ。

本に話を戻します。ここ最近の臨床心理学では、技法の効果研究がいくつか出ています。おおよそ一致しているのは「効果は認められるが、各技法間で大きな差が認められない」こと。そして何故効くのかとか、どういうメカニズムか、そういったことは未だにブラックボックスなわけで。もっともらしい仮説(情動修正体験だったり、認知の修正だったり、新規巻き返しだったり、魂の成長だったり)がいくつも並べられているのです。じゃあそれは、ヒーラーたちと何が違うの?ってことになりますよね。
とはいえ、案外そんなものなのかもしれません。やっぱり自分の価値観とか、相性とか、「自分が何を大切に思うか」「何にときめくか」が大事というか。ユング派のギーゲリッヒ先生も「心がcatch fireしたものを大事にしろ」と仰っていました。それは治療者の側にしても、患者の側にしても言えることでしょう。自分が「これ本当に大丈夫なの?」と不安に思うことは、たいてい長続きしません。

それから、沖縄の社会的な問題(貧困率の高さ、10代での結婚や出産、離婚など)もところどころで浮き彫りになっていて興味深いです。沖縄というと「なんくるないさ」で、おおらかでのんびりしたイメージがあります。でもそれはある意味過酷な日常の反動なんじゃないかな。江戸時代では薩摩の島津藩に搾取されていたし、先の戦争では大量の犠牲者を出し、未だにその名残があります。そういったところも、癒しのニーズの高さに結びついているのかも。もともとユタと呼ばれるシャーマンの文化があるのも確かですが。

面白い場面、気に入った箇所はたくさんあったけれど、「軽薄じゃないとやっていけない」と言うフレーズが一番ぐっと来ました。なぜかというと私が軽薄だからです。そんなことはどうでもいいけれど、現代は「これだ!俺にはこれしかない!」とずっしり腰を据えて、物事を決めるのが難しいようになってきたように思います。それは筆者も語っているようにポストモダンの不安なのでしょうか。難しいことは良く分からんけど。
それから筆者が「自分がやっていることって正しいのだろうか」と真剣に悩むあたり、実にリアルだなあと。心理の人はみんな悩むんじゃないだろうか、というか悩まない人にあんまりカウンセリング受けたいとは思わないけれど。余談ですが京都大学に後から入ってきた精神分析の先生、某松木先生のことだろうか笑 なんだか身につまされる話が多かったな。

もう一つ気になった点。心理療法の技法は次から次へ生み出されています。筆者も述べていますが、技法は時流を映す鏡なのかもしれません。だから、時代に合わせて技法が改変されていく。
心理療法は相手のニード(何を欲しているか)と、モチベーション(そのためにどの程度やる気があるか)を大事にします。それが個人に対してではなく、今の社会を相手にしている、と考えることも出来るでしょう。社会のニードは何か、社会のモチベーションはどの程度あるだろうか。今後どういった技法が発展していくのだろう。やはり「早い、安い、確実」なものが台頭してくる気がする、CBTのような。それは社会全体が不安になっているからなんだろうけど。そういう私も不安だよ、CBT受けようかな。

一度読んだだけでは、沖縄のヒーラーたちのインパクトが強すぎてそちらに目がいってしまいます。それに筆者の書き方が軽妙で伏線も多いから、ついするすると先を急いでしまいました。見落としている部分もたくさんあるはず、時間を置いてまた読みなおそうと思います。


あー話が散漫になってきた。いつもの悪い癖です。それだけたくさんのことを考えさせられた本、ということでご理解ください。同じような心理療法の読み物としては、最相葉月氏の『セラピスト』もお勧め。こちらの方が重いし途中歴史の話がつまらないけれど、読み応えがすごい。文庫化されているので興味のある方は是非。


私が一番好きな考え方はバリントというハンガリー出身の精神分析家のものです。「何が人を癒すのか?」と問われた彼はひとこと、「人間関係」と答えたそうです。ひょえー、めっちゃクール。私の心がcatch fireしたのでした。

内容とは全然関係ないけど、沖縄に行きたくなる本です。友達に一人沖縄出身のやつがいますが、彼もこういう文化の中で育ってきたのかもしれないな。そんな彼と今日これから飲みます。どうにかして手から金粉や石油を出してくれないかな、そうしたら私の不安も一気に解消されるのにな…。

cero「Poly Life Multi Soul」ツアー

2018-06-19 22:49:13 | 日本の音楽

色んなことが終わってないけどいいや!
初めてのライブレポ、いっくぞー!!!


昨日雨の中、ceroのライブに行きました。新作『Poly Life Multi Soul』のツアー、千秋楽。場所はZepp Diver City、お台場ですね。この会場には初めて行きました。道のりがちょっとオシャレだったので蒸発しそうになりましたが。事前に銀だこでたこ焼きを食べて、いざライブへ。
思ったより会場は広くないな、という印象。昨年Trafficのイベントで行ったStudio Coastの方が横に広かった気がする。人が多かったし歳が歳なので、私はPAさんの近くの位置でのんびり聴いておりました。

ceroのライブに行くのは4回目になります。今回が最高とは言わないよ、きっともっといいライブをやってくれると信じているからね(何様)。
そんなわけでたくさん踊りました。ダンスのセンスは皆無なのですが、たくさんステップを踏みました。やはり今作はライブで映える曲が多かった。それから高城さん(Vo)の声の伸びがすごかった、途中でちょっとかすれていたけど、前より格段にうまくなった気がする。あっでもMCのぐだぐだ感は相変わらずでした(笑)


ゲヘヘヘ、おじさんはTシャツも買ってしまったよ。

曲の方はというと、アルバムに収録されている曲はほとんどやっていました。3枚目の『Obscure Ride』からも何曲かやっていたかな。逆に言うと1枚目と2枚目からは1曲ずつって感じでしたね。新譜出してのライブだから仕方ないけど、昔の曲ももっと聴きたかったな。このメンバーでの「マイ・ロスト・シティ」とか「ロープウェー」とかさ。

すごく良かったのは「Driftin’」と「薄闇の花」、それからアンコールの「街の知らせ」。もちろんタイトルトラックの「Poly Life Multi Soul」もすごくよかった。それにサポートメンバーの古川麦氏のトランペット、随所でいい味だしていたな。霧のくすぶる遠い街の風景を思い起こさせるような、切ないメロディを吹いていました。ガットギターも上手かった。
ちょっと残念だったのは「ベッテン・フォールズ」(ギターのハイトーンが少し強すぎた)、「Double Exposure」(シンセの音がなんか違う感じ)。あと全体的にドラムのハイハットがクリアに聞こえなかった気がします。いろんな音が鳴っていたので、どこかで音域的にぶつかっていたのかな。まあでもそれは個人の問題なので、他の皆さんがどうかはわかりません。

一番良かったのは「大停電の夜に」です。演奏はもちろんのこと、橋本さん(Gt)のコーラスがとても良かった。さすが平成のスナフキン。この曲が収録されているアルバムは2011年1月リリースだからまったく関係ないけど、やはりこの曲を聴くと東日本大震災のことを連想してしまう。だって不思議なくらい歌詞があの頃とマッチしているから。不謹慎な話かもしれないけど、先日の大阪の地震もあって、ライブ中に3.11のことを思い出してしまった、不覚にも少し泣いてしまった。あの日のこと、あの地震があってからの日々。

大停電の夜に
君は手紙書く手をとめ
窓を開けて目を閉じ
街のざわざわに聞き入る


2011年3月11日、私は後輩のライブに出るために、レッド・ツェッペリンのコピーをやっている時期でした、ひたすら「Achilles Last Stand」を聴いていたな。地震があった時刻はコンビニにいて、目が合った黒人にIt’s earthquake!!と言ったら「地震だね、でかいね」と普通に日本語で返されました。自宅まで帰れずに、ばったり会った友達の家に泊まったっけ。当時付き合っていた女の子とは別れてしまったな。

普通の会話を愛している
手を振る友達 淋しそう


直接被災された方の痛みが、そんな生易しいものでないことは重々承知です。でもこうやってあの地震が生み出した悲しみ、さみしさ、そういったものを時々思い出すことで、誰かにもう少し優しくなれる気もしたのです。


また絶対ライブ行こう。ライブがあるたびに行きたいバンド、そんなバンドと同じ時代に生きているのは嬉しい限りです。東日本の震災でも今回の地震でも、被災された方々のご無事や、亡くなられた方のご冥福をお祈りしております。自分が特別なにかできるわけではないけれども、自分ができることを日々積み重ねて生きております。

KIRINJI「愛をあるだけ、すべて」

2018-06-16 23:54:55 | 日本の音楽

時間がないのでブログを書きます。

梅雨入りしてしばらく経ちました。関東は雨が降ったり止んだりを繰り返しております。この頃忙しくてものをじっくり考える時間がありません。まったくないと言えば嘘になりますが、酒を飲んだり音楽を聴いたり、些末なことですぐに空白が埋められていく。
休日に昼寝したらとうに夕暮れの闇に包まれていたような、「今日も何も為さなかった」と身を焼かれる喪失感。それはとても恐ろしいことです、少なくとも私にとっては。そんな話はまあいいか。



久しぶりに何か書きたくなりました。
というわけで今回はKIRINJIの最新作、『愛をあるだけ、すべて』。梅雨入りした直後の、6月13日にリリースされたばかり。早速聴きこみましたので、その感想を少しばかり。

率直に言ってすごくいいアルバムですよね。耳触りがとても良い。ダンス、ヒップホップの要素が色濃く表れつつも、ポップなメロディやクオリティの高い演奏。曲単位でも、アルバム全体でもまとまりが良い。途中で入る弓木さんヴォーカルの曲も胸がキュンとするし、千ヶ崎さん作曲の「悪夢を見るチーズ」(M6)もコミカルというかシュールで、うまい具合に変化球を入れている。
今までの彼らにないジャンルの要素を貪欲に取り入れて、なおかつ今までのポップセンスをうまく融合させている。まだまだ野心を感じさせるような一枚ではないかと思います。M2「AIの逃避行」やM8「ペーパープレーン」の、相変わらずのカッティングギターも好きです。


本作の特徴。
今までの作品に比べて、KIRINJIのほぼ全ての作詞作曲を担っている堀込高樹氏の気持ちが見え隠れしているのではないかな。例えばM4「時間がない」は、タイトルはもちろんそうだけど、曲中にいくつか気になるフレーズが出てきます。

あと何回、君と会えるか
あと何曲、曲作れるか
あと何回、食事できるか


さりげなく挟まれていますが「あと何曲、曲作れるか」という歌詞は、紛れもなく高樹氏の本音ではないでしょうか。普通の人はそんなこと思わないもの。それから

サヨナラなんて「なんとなくだね」
遠い花火も色褪せる
大切なものを見失ってしまいそうさ
僕が見てきたすべてを話して聞かせたい


というサビの歌詞、とても好きなフレーズ。ここにも年齢を重ねた「焦り」がほのかに感じられます。サヨナラなんて「なんとなくだね」というのは、もしかしたら弟の泰行氏が離反したこと、あるいは昨年12月にメンバーのコトリンゴ氏が脱退したことも影響しているのかもしれません。

KIRINJI「時間がない」Teaser

一応曲を貼っておきます。短いものしかないけど。ちゃんと買ってね。

今作で一番好きなのはM3「非ゼロ和ゲーム」。
4つ打ちですごくポップな曲ですが、「非ゼロ和ゲーム」というゲーム理論の用語(確か)をずっと説明しています。「誰かの利益は必ずしも他の誰かの不利益に結びつくのではなく、誰かの利益にもなりえる」という意味のようです(たぶん)。
今までも妙な言葉を使うことにある種の執着を見せていた高樹氏ですが(「過払い金が戻ったから(雲呑ガール)」「それ個別的自衛権で対応できるでしょ(絶対に晴れてほしい日)」とか)、ここまで全面的に押し出してきたのは初めて。曲中でずっと意味を解説しているし、「ぐぐれよ」とか「わかんない」と歌っている。笑っていいのかしら。

とはいえ、どこか博愛主義に聞こえなくもない曲。「一枚のピザ、みんなでシェアすれば誰も泣かない、それがいいに決まってる」とか、「利他的に」という歌詞が出てくる。かつてないほどに優しい高樹氏がいるのです。

それから、彼はこうも歌っています。

欲張りなやつは寂しがり いつだって何かに怯えてるよ


たんに欲深い金持ちのことを歌っているように受け取れますが、高樹氏にもこういった面があるのでは、と思います。
今までにない「いいもの」を作りたい。そう思うのはアーティストの性(さが)です。でもきっと高樹氏は、そういう思いが人一倍強い気がします。だからこそ、上述したように新しい音楽の要素を貪欲に取り入れているし、すごく計算して作曲している。この歌詞は、高樹氏自身をよく表しているのではないでしょうか。
今作ではリズムマシーンを使ったり、バスドラをサンプリングしたりして、ドラムの楠さんはスネアやタムだけ叩く曲もあったようです。弓木さんの歌声が入るタイミングも、きっと計算されているのでしょう。いい作品を作るために―言い方は悪いけれど―メンバーをパーツのように利用している。見方によってはそう考えることも出来るかと。

少年漫画によく出てくる「目的のためなら手段を問わないキャラ」っていますよね。
私は高樹氏がそういう人なんじゃないか、と思う。そうやって、弟やコトリンゴ氏のように離れていった人もいる。それがまったく寂しくないと言えば、嘘になるでしょう。歳を取ってそういった後悔もあるのかな、なんて思ったりします。だからなのかな。明るい曲、思わず体が動き出すようなポップな曲が多いけれど、アルバム全体を通して聴くと何故か「悲しい」気持ちに捉われてしまいます。

高樹氏は来年で50歳になります。
漱石が胃潰瘍で亡くなったのも50歳でした。若い頃の漱石は「とにかくやめたきは教師、やりたきは創作」と友人の高浜虚子に書いていました。そういった焦りみたいなものを、高樹氏も感じているのではないか。だからこそ、このアルバムを通して聴くとなんだかさみしいというか、悲しい気持ちにもなるのかな。でもすごくいいアルバムだった、悲しいけどいいアルバムだった。もちろん、私の考えすぎなのかもしれませんが。


あと何曲、彼らの曲を聴けるんだろう。
ブログを書いていたらそんなことを考えてますます悲しくなってしまった。でも私は彼らの音楽が、高樹氏の目指す音楽が本当に好きなんだな、と思う一枚でした。興味を持った方はぜひ手に取ってみてください。

アントニオ・タブッキ「島とクジラと女をめぐる断片」

2018-06-03 01:56:49 | 海外の小説


寝られないのでブログを更新します。ますます寝られない。


本日は大好きな作家、アントニオ・タブッキの『島とクジラと女をめぐる断片』を。なんだか「部屋とYシャツと~」「俺とお前と~」みたいなタイトルですが、これが本当にいい作品でして。
最近河出文庫から文庫版が出ました。ハードカバーのも持ってるんだけど、表紙は文庫の方が断然好きです。訳は先日没後20年を迎えた須賀敦子氏。


まずは簡単に作者、タブッキの紹介から。イタリア人で1943年生まれ、作家であると同時に文学者でもありました。このあたりは同じイタリアの作家であるイタロ・カルヴィーノと似ていますね。ただカルヴィーノはユーモアを、タブッキは憂いを帯びた情感を重視している点で大きく異なりますが。

タブッキの大きな特徴は、ポルトガルに、そしてポルトガルの詩人であるフェルナンド・ペソアに強く魅了されていたことです。彼はポルトガルが大好きすぎて、本当にマジで大好きで、リスボンを舞台とした『レクイエム』という作品をなんとポルトガル語で書きました。作中にはペソアの幻影も登場します。ポルトガルへの愛ゆえに、亡くなったのもリスボンでした、2012年のことです。

本作もポルトガルのアソーレス諸島(アゾレス諸島とも)が舞台となっています。大西洋に浮かぶ、9つの火山の島。かつて大航海時代の重要な経由地であり、捕鯨の拠点にもなった美しい島(たぶん)。この小説を読むと、ぜひとも訪れたくなります。リスボンから1500kmくらい離れてるけど。ちなみに東京―小笠原間が約1000kmなので、さらに遠いです。ええ、遠いですとも。そもそもポルトガルも十分遠いんだよな、直行便ないし。


タブッキについて。
基本的にあまり長い作品は書かず、時系列に沿ってベタっと書くことも少ないです。いや時系列には沿ってるんだけど、話の飛躍があったり、場面が大きく変わったりすることが多々あります。それにいくつかのパーツが、漠としたエピソードが組み合わさって、物語の輪郭を浮かび上がらせてくる手法が多いです。そうじゃないのは『供述によるとぺレイラは』くらいでしょうか。しかしながら、曖昧な物語のパーツがらせんを描くように収束していき、ある「模様」や「情感」を生み出すさまは、読んでいて本当に心地よいものがあります。

本作も「まえがき」のあとは、いきなり幻想的な内容から始まります。続いて映画のワンシーンのような男女のやり取り、過疎が進む島の暮らし、旅行記、それから細かい切れはしのようなもの―そういったものが並べられていますが、後半になるにつれてどこか悲しい話が増えていきます。救いがないわけではないけれど、少しずつなにかが損なわれていく、失われていく。緩やかな喪失に伴う、鈍い心の痛み。こういった悲しさは、アメリカの作家レイモンド・カーヴァーにも通じるものを感じる。

好きなのは最後あたりの長めの話と、あとはアソーレス諸島出身の詩人ケンタールの伝記的な物語。クジラから見た人間の話、作者のあとがきも好きです。ただし、最初の話は幻想的かつ抽象的で、ちょっとわかりにくいかもしれません。そこで挫折するくらいなら、先の方を読んでしまった方が愉しめるかも。
ひとつひとつの話に直接的なつながりはありません。ですが、読み終わった後にはこの島の歴史、そこで生きている人の営み、あるいはどんな時代でも共通している人間の一面に触れられる、そんな風にも思います。もう一度読み返したい、マジでこの島に行きたい。遠いけど。


須賀敦子氏の翻訳もいいですね。彼女自身エッセーで語っているけれど、イタリア文学への深い愛を感じます。訳者あとがきにある、表題をどうしようか迷った、という素直なエピソードもかわいらしい。
やはり作品に対する「愛」というのは、とても大事な要素なのでしょう。タブッキがペソアを、ポルトガルを愛したように、須賀敦子氏もまたタブッキやユルスナールを愛している。それぐらい愛せる作品、作家と出会えることは、本読みにとってこの上ない幸せなんじゃないだろうか。私もまた、タブッキが大好きです。あ、でも漱石も好きだし堀江敏行も好き、あとカフカも好きだし保坂和志や村上春樹もry

なかなか「自分の好きな作家、作品は、これだ!!」と決めきるのは難しいものです。でも何かを選ぶことは何かを捨てること、あるいは失うことなので、そういった痛みを味わいながら、人は生きていくのでしょう。それこそ、この物語に出ている人たちのように。悲しいけど、仕方ないよね、でもやっぱり悲しいよね。


眠くなってきたのでこの辺で筆を置きます。
気になった方はぜひ手に取ってもらえると、こんな夜更けにブログを書いた甲斐があるというものです。