寝られないのでブログを更新します。ますます寝られない。
本日は大好きな作家、アントニオ・タブッキの『島とクジラと女をめぐる断片』を。なんだか「部屋とYシャツと~」「俺とお前と~」みたいなタイトルですが、これが本当にいい作品でして。
最近河出文庫から文庫版が出ました。ハードカバーのも持ってるんだけど、表紙は文庫の方が断然好きです。訳は先日没後20年を迎えた須賀敦子氏。
まずは簡単に作者、タブッキの紹介から。イタリア人で1943年生まれ、作家であると同時に文学者でもありました。このあたりは同じイタリアの作家であるイタロ・カルヴィーノと似ていますね。ただカルヴィーノはユーモアを、タブッキは憂いを帯びた情感を重視している点で大きく異なりますが。
タブッキの大きな特徴は、ポルトガルに、そしてポルトガルの詩人であるフェルナンド・ペソアに強く魅了されていたことです。彼はポルトガルが大好きすぎて、本当にマジで大好きで、リスボンを舞台とした『レクイエム』という作品をなんとポルトガル語で書きました。作中にはペソアの幻影も登場します。ポルトガルへの愛ゆえに、亡くなったのもリスボンでした、2012年のことです。
本作もポルトガルのアソーレス諸島(アゾレス諸島とも)が舞台となっています。大西洋に浮かぶ、9つの火山の島。かつて大航海時代の重要な経由地であり、捕鯨の拠点にもなった美しい島(たぶん)。この小説を読むと、ぜひとも訪れたくなります。リスボンから1500kmくらい離れてるけど。ちなみに東京―小笠原間が約1000kmなので、さらに遠いです。ええ、遠いですとも。そもそもポルトガルも十分遠いんだよな、直行便ないし。
タブッキについて。
基本的にあまり長い作品は書かず、時系列に沿ってベタっと書くことも少ないです。いや時系列には沿ってるんだけど、話の飛躍があったり、場面が大きく変わったりすることが多々あります。それにいくつかのパーツが、漠としたエピソードが組み合わさって、物語の輪郭を浮かび上がらせてくる手法が多いです。そうじゃないのは『供述によるとぺレイラは』くらいでしょうか。しかしながら、曖昧な物語のパーツがらせんを描くように収束していき、ある「模様」や「情感」を生み出すさまは、読んでいて本当に心地よいものがあります。
本作も「まえがき」のあとは、いきなり幻想的な内容から始まります。続いて映画のワンシーンのような男女のやり取り、過疎が進む島の暮らし、旅行記、それから細かい切れはしのようなもの―そういったものが並べられていますが、後半になるにつれてどこか悲しい話が増えていきます。救いがないわけではないけれど、少しずつなにかが損なわれていく、失われていく。緩やかな喪失に伴う、鈍い心の痛み。こういった悲しさは、アメリカの作家レイモンド・カーヴァーにも通じるものを感じる。
好きなのは最後あたりの長めの話と、あとはアソーレス諸島出身の詩人ケンタールの伝記的な物語。クジラから見た人間の話、作者のあとがきも好きです。ただし、最初の話は幻想的かつ抽象的で、ちょっとわかりにくいかもしれません。そこで挫折するくらいなら、先の方を読んでしまった方が愉しめるかも。
ひとつひとつの話に直接的なつながりはありません。ですが、読み終わった後にはこの島の歴史、そこで生きている人の営み、あるいはどんな時代でも共通している人間の一面に触れられる、そんな風にも思います。もう一度読み返したい、マジでこの島に行きたい。遠いけど。
須賀敦子氏の翻訳もいいですね。彼女自身エッセーで語っているけれど、イタリア文学への深い愛を感じます。訳者あとがきにある、表題をどうしようか迷った、という素直なエピソードもかわいらしい。
やはり作品に対する「愛」というのは、とても大事な要素なのでしょう。タブッキがペソアを、ポルトガルを愛したように、須賀敦子氏もまたタブッキやユルスナールを愛している。それぐらい愛せる作品、作家と出会えることは、本読みにとってこの上ない幸せなんじゃないだろうか。私もまた、タブッキが大好きです。あ、でも漱石も好きだし堀江敏行も好き、あとカフカも好きだし保坂和志や村上春樹もry
なかなか「自分の好きな作家、作品は、これだ!!」と決めきるのは難しいものです。でも何かを選ぶことは何かを捨てること、あるいは失うことなので、そういった痛みを味わいながら、人は生きていくのでしょう。それこそ、この物語に出ている人たちのように。悲しいけど、仕方ないよね、でもやっぱり悲しいよね。
眠くなってきたのでこの辺で筆を置きます。
気になった方はぜひ手に取ってもらえると、こんな夜更けにブログを書いた甲斐があるというものです。
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