砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

ポップしなないで「美しく生きていたいだけ」ツアー@リキッドルーム

2022-03-28 10:36:20 | 日本の音楽


おはようございます、ご覧の通り仕事をサボっています。
この前まですごく忙しくて、4月になったら再び忙しくなります。
現在は凪の時間です、だからサボってもいいんです!
今だけ!今だけだから!!



さてポップしなないでのライブに行きました。
ご存知ない方のために紹介しますと、歌と鍵盤担当の亀谷さんと、作詞作曲ドラム担当のかわむら氏による音楽ユニットです。鍵盤、歌、ドラムだけの曲もあれば、ギターやベースが入っているバンドっぽい曲もあります。
昨今活動している人たちのなかでも、かなり好きなユニットです。

場所は恵比寿、リキッドルームです。ワンマンライブです。すごいね。
今月はGrapevineのライブに行ったりオケを聴きに行ったり、まあまあ音楽を楽しんでいます。
ようやくコロナも落ち着いてきたので、今まで失ってきた分を取り戻す所存です。


というわけで感想を。
第一に、リキッドルームがほとんど埋まっているのに感動しました。
ソールドアウトではなかったんですが、見た感じ8~9割埋まっていたと思います。蔓延防止が解除されたのにみんな観覧マナーを守っていて、声は出せないけれどそのぶん大きな拍手が鳴り響いていました。とても美しい光景でした。

それから、サポートメンバーがすごく上手でした。
昨年12月にリリースされた「美しく生きていたいだけ」を聴いたとき、#1「支離滅裂に愛し愛されようじゃないか」のギター、#2「クラヤミライダー」のベースライン、それから#7「Sunset」の打ち込みがいいなぁ、と思っていたのです。それを生で聞くと、やはり痺れました。「夢見る熱帯夜」よかった、新曲もよかった。ギターのフレーズや演奏中の前の出方に、山本精一氏に似たものを感じました。空気公団の「夜はそのまなざしの先に流れる」の頃のような。演奏している姿が格好よかったな。
そして「city pops」の間奏のベース、ゆら帝の「発光体」がちらつくのは私だけでしょうか笑 「美しく生きていたいだけ」というアルバムタイトルも、「昆虫ロック」の歌詞を彷彿とさせます。

そしてなによりも。
この2人はどこまで行くんだろうなぁ…と思わせる熱が昨日のライブにはありました。
演奏している彼らの姿は力強くて、それでいて心底楽しそうで。亀谷さんの声はかわいらしくもあり迫力があったし、かわむら氏のマジックザギャザリングのトークも抱腹絶倒でした。観客もすごく引き込まれるライブでした。
あと後半のMCがよかったです。「自分たちは音楽が得意なんですけど、それ以外のことがすごく苦手で...」という2人の話にぐっと来ました。人によっては、それが文学だったり絵画、スポーツだったりするんでしょうが、自分の得意なこと、好きなことを突き詰めようとしている彼らの姿が、本当に素敵だなと思えて。「SG」の歌詞とも重なって「それなら自分は、何が得意で何を頑張っているんだろう...」とライブ中に考えたり。彼らを応援する気持ちと、自分自身を振り返ったときの少し寂しい気持ちが重なりあって、なんとも不思議な感覚でした。
ともかく、本当にいいライブだったなあ。


次は夏に渋谷でライブをやってくれるみたいです。そこにも足を運ぼうかな。
去年の12月にアルバムを出したのに、もう次の作品が待ち遠しいですね。


余談。
これは私の人生における数少ない自慢なんですが、実は彼らと知り合いなんです。まだ小さいライブハウスでやってたときも、何回か足を運びました。彼らのグッズでは「ヨルハアソバナイト」Tシャツがお気に入りです。

だるい古参アピはこのへんにしときますが。
でも昨日のライブを見て、そうやって自慢するのがなんだか「ダサいな」と感じられる地点まで、彼らが歩みを進めているんだなと感じて。私が自慢するのもおこがましいと。そう思うくらい昨日のライブに圧倒されました。
彼らの活躍が嬉しいけど、ちょっぴり悔しいというか。ずいぶん遠いところに行ってしまった。

でもオイラ負けないよ、という気持ちです。
自分は自分の得意なこと、好きなことを突き詰めたいと思います。得意なことは...そうですね、仕事をサボってブログを書くことです。対戦よろしくお願いします。どうもありがとうございました。

日記

2022-03-11 17:07:18 | 日記
もうマジで無理なんでブログ書きます。


国破れて山河在り、確定申告が済んで悲しみ深し。
2月下旬に池袋で古本市があって、仕事がひと段落したら行こうと思っていたのですが気づいたらもう3月中旬に差し掛かっていました。時間の流れ早すぎワロタ、アララァ。

自分がメインで働いている職場のお話。
私の部署は今年度3人体制だったはずなんですが、今後2人メンバーチェンジが起きます。しかも途中から私が最年長。前にも似たようなことがあったけど、再び動揺しています。
こんな心もとない職場でやってられるか、俺は1人でブログを書くぞ!!というお気持ち。
まあでも人が来ないよりかはマシか、剣呑剣呑。

純粋に人との別離が寂しいですね。
忘れてたけど、これぞ年度末って感じです。くたびれるなあ。



書きたいことが山のようにあります。
1つ目は、この春から再び週6労働に戻ること。
安定とやりたいことと、両立を図るために仕方ない選択というか。
どうして自分の業界は一生懸命働く職場に限って給料が安いかなあ。
やりがい搾取と言えばそれで片づけられちゃうかもしれませんけど。
まあ死なない程度にぼんやり働きます。


2つ目。
最近読書が楽しいです。
ちかごろは勉強と興味の兼ね合いで、アタッチメント関連の本を読んでいます。
細澤先生が翻訳したジェレミー・ホームズの『アタッチメントと心理療法』が読み応えがあって面白いです。うまく説明できませんが、そうそう、これぞ精神分析~って感じがします。人のこころの痛みに触れるさい、どのようにアタッチメント理論やメンタライゼーションがその補助線となり得るか。半分まで読んだのですがいい本と巡り合えた喜びが大きいです。

あとは東大の遠藤先生が昨年出していた『入門 アタッチメント理論 臨床と実践の架け橋』。これもアタッチメント研究の変遷を多角的に捉えていて、たいへん興味深い本でした。「たかがアタッチメント、されどアタッチメント」と書かれていたけれども、私たちの人生の大切な要素のひとつとしてアタッチメントを、できるかぎり客観的に捉えようとする姿勢に好感が持てました。それと筑波大の原田先生が出していた虐待の本も途中まで読んだのですが、エビデンスを前面に押し出している感じで、こちらはあんまりしっくりきませんでした。今後面白くなるかもしれません。

そして『アンナ・カレーニナ』を細々と。もうすぐ読み終わりそうです。長かったね。
ときどき彼女と喧嘩する私にとって、アンナとヴロンスキーの関係を見ているとぞくぞくしますね。ワハハハ。トルストイとは仲良く酒が飲めそうです。ウラー!!(ロシア語で「万歳」の意)


3つ目。
お恥ずかしい話なのですが、酒を飲み過ぎてしまいます。
それがよくないことなのは自分でもわかります。でも飲み過ぎちゃう。
飲まない日もまあまああるんですけど、飲む日に調子に乗って飲み過ぎます。そして翌日辛い気持ちになります、本当に愚か。いい加減学習してもいい頃なんだけど繰り返しています。
どうしてなんだろう、って思います。

私の兄も結構酒を飲む人です。たぶん私よりもガンガン飲んでるんじゃないかな。
私は一人で家で飲んでいます。飲み過ぎちゃうのは色々要因があるのでしょう。
人がころころ変わっちゃう職場に対して「やってられるか!」という気持ちもありますし、頑張った自分への報酬の役割もありますし、将来に対するただ漠然とした不安を打ち消すためでもあります。
こういった飲酒は、ストレスへのコーピング(対処行動)の一種だと言えるでしょう。
しかも飲酒は手軽で、手っとり早いというメリットがあります。

でも。意過度な飲酒はよくないですよね。アル中になってしまいます、中島らもになってしまう。
飲酒以外のコーピングを探さないとなあ、と思うわけです。
山に登ったり人と話したり、楽器を弾いたり海を眺めたり。

自分で言うのもなんですけど私はめちゃくちゃ意思が弱い人間です。
おのれの意思でセーブすることができるとは到底思えなくて。
喫煙をやめた時のように、酒を飲んだら気持ち悪くなる薬を出してもらった方がいいのかもしれません、手遅れになる前にね。


こうしてブログを綴るのも、コーピングの一種です。
苦手な書類仕事を押し付けてくる職場への背任行為の意味もありますが、書き出してみると自分のなかにあったもやもやに輪郭が与えられる感覚があって。それで気持ちが少し楽になるというか。

文章を書く行為は、小さい頃から好きでした。
小学校のとき、校外学習に行ったときの作文をあほみたいに長々と書いて。
海の近くの宿泊施設に行ってただカレー作って食べただけなのに、なぜか原稿用紙10枚くらいの作文を書きました。いったい何を書いたのか、今となってはさっぱり思い出せません。きっとカレーが美味しかったことに長広舌をふるったのでしょう。

それに近い体験として。
中学生のときの話ですが、数学の教師が少しユニークな先生で。
新しい単元に入る時に、生徒にあるチャンスが与えられたのです。
それは「単元の冒頭にある挿絵から物語を作ってみんなの前で話すと、そのぶんだけ授業の時間が短くなる」というものでした。毎回クラスのみんながああでもないこうでもないと物語を話し、なるべく授業時間を削ろうとしていました。
そこで私は1回だけですが、べらべらと適当な作り話をでっちあげ(登場人物を宇宙に飛ばしたように記憶しています)、結局授業時間が終わるまで話し続けたことがあります。


だからなんだって話なんですけど。
人間は大なり小なり物語のなかで生きているし、生きていくうえで自分なりの物語を必要としているのではないか、とふと考えたり。詩や小説などの文学作品も、他者との対話や心理療法も、そういった物語の生成に寄与する営みなのだろうな、と最近考えます。河合隼雄や小川洋子も、どこかでそんなことを言っていたような...。

それはそうと。
上に書いたように、週6で労働するのも、読書をするのも、酒を飲み過ぎるのも私の物語の一部なわけです。
そしてその物語が破局的にならないよう、なるべく不幸に陥らないように生きていけるといいなと思っています。
みなさまもどうかお元気で。