砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

ぼんやりした日記

2020-09-15 18:36:42 | 日記


まだ仕事中なのですが、びっくりするほどやる気が起きない。
今は静かにぼんやりしています。
そんなわけで、ぼんやりから連想するものでも綴ろうかな。



温泉が好きです。
実家は小さい温泉地の近くで、車で15分ほどの距離でした。盆や正月、それ以外のなんでもないときでも温泉に行って、ゆったりと湯に浸かって天ぷら蕎麦を食べて帰ってくるなどすることがありました。その影響もあってか、今でも温泉が好きです。
山登りしたあととかはだいたい温泉に入って帰ってくるし、観光地に行って「温泉」の文字を見ると、街灯に集まる虫のように、あるいは道端に落ちているエロ本を見つけた男子小学生のように、ふらふらと吸い込まれてしまいます。その魅力に抗うことは大変困難です。この前も1人で島に行った時、宿で風呂に入ったのとは別に2日で3回温泉に入りました。温泉に入りながら海を眺めていました、最高だったなあ。


海が好きです。
寄せて返す波の音を聞いていると、不思議とこころが落ち着きます。自分の地元は海の近くで、車で20分の距離でした。しかしながら海に行くまで長い坂のある峠を越えなくてはならず、自転車で行くのは至難の業でした。そんなわけで、海に遊びに行くようになったのは大学生になってからです。よく遊びに行ったのは鎌倉の方でした。なんとなく『こころ』の冒頭みたいですね。小津安二郎の映画も好きだったな。
でも海水浴はあまり好きじゃないのです。クラゲに刺されるし海水が塩辛いし、オラついている人は怖いし。ただ座って海を眺めるのが好きです。


散歩が好きです。
中学3年の頃、数人の友達と話しながらよく歩いていました。方向が全然違う友達を家まで送っていって、学校を出たのが17時とかなのに、帰りが19時頃になって親に怒られた記憶があります。それが思春期ってものだよ、すまんな。
大人になった今でも、あてもなくふらふらと近所を散歩するのが好きです。身近にある知らない風景。旅に出て知らないものを見聞するのも良いですが、自分の近くでささやかな発見をするのもわくわくします。行ったことのない喫茶店や古本屋に入ってみたり、その辺の自販機で見慣れない飲料を買って飲んだり。少しずつ涼しくなってきたから、散歩にも行きやすい季節になってきたかな。
一番好きなのは冬に厚着をしてする散歩です。つんと澄んだ空気を吸いながら、好きな音楽をヘッドホンで流してのんびりとぼとぼ歩くのが。それがいかにもわびしくて。


猫が好きです。
ちゃんと飼ったことは無いのですが、一時期家に猫が迷い込んできて。当時痛い中学生だった私は、その猫に「ガブリエル」と天使の名前をつけ、「ガブー、ごはんだよー」と呼んで可愛がっていました。その後、ガブリエルはよその家に懐いてうちには寄り付かなくなりましたが…。何が天使だよ、とんだ堕天使だよ(今日一番の笑いどころ)。やがてはちゃんと猫を飼いたいものです。


なんだか枕草子のような話になっちまいましたね。こうして列挙したものを眺めると、温泉に海に散歩って、ジジイみたいです。そのうち好きなものに盆栽とかゲートボールが入ってくるかもしれません。
しかし不思議なのは、温泉や海岸でぼんやりするのは居心地がいいのに、こうして職場でぼんやりしているとなんとなく居心地が悪くて。他の人は働いているのに自分はサボっている、みたいな罪悪感があるからかなあ。でも今日も色々あったし、ちょっと疲れちゃったんですよね。明日は会議ラッシュで忙しいし、今日くらいはぼんやりしてもいいかなあ、なんて。

そんなに俺が悪いのか大学

2020-09-09 00:18:30 | 日記

-恥の多い生涯を送ってきました。

これは太宰治の『人間失格』の冒頭の一文です。太宰は大学生のときに『人間失格』『斜陽』『富嶽百景』を読んでからそれっきりです。自意識が過剰すぎて食傷気味になったけど、なんとか読み終えた記憶があります。今読んでみたら印象が変わってくるかもしれません。


さて。
自分の失敗というのはなかなか消えないもので。一生懸命記憶に蓋をしても、ふとした瞬間に姿を見せます。修学旅行で行ったお寺に残っている下品な落書きのように、醜悪さのシンボルとしてそこに存在します。
最近、どういうわけだか昔の失敗を思い出すことが多くて。それを自分なりに消化したくて、いま文章として綴っています。お目汚しで恐縮ですが、不快でなければ付き合ってもらえると幸いです。
そういうのが不快な方は今すぐブラウザバック推奨、死んでも知らんぞ。


まず幼少期にした失敗。
幼稚園のとき、「となりのトトロ」の劇をやりました。私はお父さんの役を担当していたのですが、そこで「今日はもう寝よう」と言うところを思いっきり噛んでしまって、観客から笑いが起こったのが記憶に残っています。人生で最初の大きな失敗でした。
あとは汚い話で申し訳ないですが、友達の前でトイレ(大)に行くのが恥ずかしくて、行けなくてもじもじして結局漏らしてしまい祖母から叱られたり、積み木の箱を押しているのを「床に傷がつくでしょ!」と先生に怒られたりもしました。

小学校から中学校にかけて。
年に1回は教師から強く叱られた記憶があります。見学していたのにプールサイドで走り回って先生に引っぱたかれたり(小2)、しゃがんでいる先生に飛び膝蹴りをして「見損なったわ!」とうんざりした口調で言われたり(小3)。理科の授業でぼんやりしていたら「〇〇は他人の話を全然聞かんな…」と呆れられたり(小5)、体育祭の練習で友達とふざけてたら腕を引っ張られて「もういい、もう帰れ!」と怒られたり(小6)、「さっきの態度はなんなんか!」と体育教師に怒鳴られたり(中3)。
そんなわけで、私は未だにあの体育教師を許すことができません。

さすがに高校に入ってからは頭ごなしに怒られることが減りましたが、野球応援の練習をしているときに英語教師から膝を蹴られたことはやはり根に持っています。そういえば村上春樹が『ダンス・ダンス・ダンス』で「はっきり言って教師の80パーセントまでは無能力者かサディストだ。あるいは無能力者でサディストだ」と書いていたのが印象に残っています。その頁にはドッグイヤーも付けました、わざわざ。

大学のときも、後輩が中心のライブで自分も出させてもらえることになり、Led Zeppelinの「Achilles last stand」を演奏して、何回も何回も練習したはずなのに、本番では途中で構成を間違えて頭が真っ白になりました。ギターがアドリブでソロを入れてくれたり、ボーカルがなんとか戻って来ようとしてくれたりしたおかげで立て直せましたが、本当に申し訳なかった。しばらくZeppelinを聞けなくなりました。今でもあの曲は聴きたくないです。本当に好きな曲だけど、聴くと心臓がキュッと苦しくなってしまう。


ほかにも。
以前にもブログに書きましたが、財布を落としたことも6回くらいあるし、大学で履修登録を忘れて呼び出しをくらったこともあります。自分の軽率な発言で大学の教員が憤慨していた話を人づてに聞いたり、先輩から「お前にだけはそういうこと言われたくないわ…」とうんざりした顔で言われたり。オープンキャンパスで地方から出てきたら自分が見たい学部の説明会が翌日だったり、資格試験の申込の日にちを間違えて受けられなかったり、海外でパスポートを落としたりetcetcetc…。

よく生きているものです。こんなペースでミスをしていたら、マリオブラザーズ2だと1-3くらいで全滅しているはずです。ザ・エンドってね、お疲れ様でしたってね(カチカチッ)。

そういった現象を「おっちょこちょい」「粗忽もの」「軽薄な奴」とか性格に帰属させたり、「不注意」「ADD傾向」とかって適当にラベリングして片づけちゃったりすれば楽なんだけど、楽になりたいんだけど「お前それでいいのか?」とささやくもう一人の私がいるのです。
それは要するに「確かに私はドジですが、これは自分のせいじゃないのです。どうか私を責めないでください、勘弁してください」と表明しているだけに過ぎないので。みっともないね。


「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、たぶんこうした傾向はなかなか直らないと思います。
そしてもっと質が悪いことに、自分は怒られるのを忌避するためについ嘘をついてしまうのですね。最悪です。嘘も方便という言葉もあるけれど、いつまでこんな調子で生きてんだか。もういい大人なんだし、しっかりしろよ、と思う。


さて、ここで今日の一曲のコーナーがやってまいりました。
本日は「そんなに俺が悪いのか大学 校歌」をお送りいたします
作詞作曲は私、Am→Em→F→Cの循環コードです。

Ah そんなに俺が悪いのか
そこまで言うなら多分俺が悪いんだろうね ごめんね(Sorry)
許してくれとは言わないけれど 謝ることしかできないよ(All Apologies)
少しでも留飲が下がったら それが私の幸せ

俺が悪いのか 俺が悪いんだな
俺が悪いのか 俺が悪いんだよ
(繰り返し)



ご清聴ありがとうございました。
こういうことばっかり言っているから「あなたは本当に自分が悪いと思ってないんだよ」「あなたは知識で武装した小学5年生よ」というお言葉をいただくことになるのですよね。もうどうしたらいいかわからねえ、助けてウルトラマン。