砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

haruka nakamura「アイル」

2019-03-22 15:19:52 | 日本の音楽


突然ですがブログをご覧の皆様に問題です。
私は今、何をしているでしょうか?

…はい大正解です。ご存知の通り、仕事をサボってブログを書いてます。



サボるという動詞はもともとフランス語のサボタージュに由来するそうです。サボるのって幸せです。とはいえ職場にいると、何かこう一生懸命しなきゃあいけない気持ちになりますよね。忙しいふりをしていないと落ち着かないというか。実にくだらないんだけど、日本では苦労していること、忙しいことを美徳とする風潮があると思います。でも私は、いつも100パーセントの力で働くことができません。

自分がやっている仕事は短距離走を繰り返すような、大事なタイミングで頭をぎゅっと使ってパッと何かを喋る、そんな具合の業務なのです。だから時には頭の回路をオフにして、こんな具合にぼんやりと駄文を綴る時間も必要なのです…と自分に言い聞かせて罪悪感を抑えています。まぁ本当に罪悪感が強かったら書いてないけどな!!

皆様も知っているかもしれませんが、アリには「女王アリ」や「雄アリ」のほかに「働きアリ」という、巣穴掘りや食料の調達をするアリがいます。そんな働きアリも、実際に働きに出ているのは一部で、あとはサボっているという話を聞いたことがあります。しかしサボっている働きアリを外に出すと、何割かは働いてあとはまたサボるようです。気が合いそう。

人間も同じようで、人が多くなるほど「社会的手抜き」という現象が働きます。責任や評価が分散されやすい環境であるほど、知らず知らずのうちに手を抜いているのです。これは悪い側面だけではありません、そうやってセーブしているんです。評価されないのに頑張っても辛いだけだもんね。
そしてこの現象を裏返して考えるならば、自分の頑張ったことを評価して欲しいのが人間だということです。子どもだって褒められるからやるわけで、そのへんは大人になってもなかなか変わらないのかもしれないな。


前置きが長くなっちまった。そんなわけで(?)今日は力の抜けた音楽をば。
haruka nakamuraという、青森出身の男性のソロミュージシャンです。最近知人に教わって、ええやん!!と思ってずっと聴いています。とはいえ今のところこの「アイルEP」を繰り返し聴いているだけで、他のアルバムはちゃんと通して聴けていないわけですが。雰囲気で言えば、カッコつけてない大橋トリオっていうか、すけべじゃない大橋トリオって感じです。わかりますか?自分でも何言ってるかわかんないんですが。

「アイル」haruka nakamura × 岩倉しおり MV


ガットギターの音が良いし、ドラムが入ってからのリズムが心地よい。すべて英語詞でとてもオシャレだけど、歌詞自体はあまり中身が無いような。なおタイトルトラックの「アイル」こそヴォーカルが入っていますが、他は曲インストです。子どもの声なんかが入っていて環境音楽的な雰囲気も感じます。作業用って感じ、あとはぼんやりと散歩しているときにも、ぜひ。他に好きなのは#2「アルネ」と#5「君のカノン」。

本作の唯一の欠点、短い。6曲も入っているのに16分しかないの?もう少し、もう少し聴かせてよ…!という気持ちになります。そういう人は他のアルバム買えって話なんだろうけど。あと淡々としています。インストでも聴かせどころがある曲っていっぱいあると思うんだけど(Pat Metheny Groupの「Stranger In Town」とかね、あれはあれで好きです)、彼の曲はそういったものを意識的に排除しているようにすら感じられます。エリック・サティが自分の楽曲を「家具の音楽」と語っていたように、haruka nakamuraの音楽も「風景の音楽」と呼べる気がする。そこにあるのが当たり前で、美しい。そんな感じ、ちょっとカッコつけた表現になっちゃったけど。


気が向いたら他のアルバムも聴いてみよう。
年度末の慌ただしい時期です。個人的に今年はとりわけ分離の悲しみが多いので、時にはこういった音楽を聴いてぼんやりする時間が必要なのです。そういえば去年もくるりのワールドイズマインを「ぼわぼわしてる」って書いたっけ。春先にはそういった音楽が心地よいのです。

「俺VSしょうがないマン」

2019-03-05 17:23:32 | 日記
年度末ですね。この前「あけましておめでとうございます」とか言ってたのに、もう年度末、いやもはや燃怒魔IIですね。すみません何でもありません、言ってみたかっただけです。閣下によって地球侵略がなされたのに、どうして確定申告がなくならないんだろう。


突然ですが、皆さんの好きな四字熟語は何ですか?私はベタですが「悠々自適」、のんびりしたいのです。週に6日も働きたくないのです。あとは「一攫千金」、楽して儲けたいのです。週に6日も働きたくないのです。そして「鬼哭啾啾」、アサイヨォォォ。
嫌いなのはもちろん「確定申告」。今年もやらなきゃ。しかし納得いかないのは、あれだけ手間かけさせておいて追加徴税を食らうことがあって(あっ「追加徴税」もかなり嫌いです)、やりきれません。心の一部が壊死します、とても苦しい。暗黒面に堕ちそう。May the tax…be with you…

突然の話。
大学生の時、サークル同期の飲み会幹事をやったことがあります。1年生の時分、お互いのことをまだあまり知らないので、自己紹介で学科や趣味を言うことになりました。しかしトップバッターが学科や趣味に加え、なぜか「好きな花」とその「花言葉」を言い始めたんです。ああ、この人はそういうフラワー系の人(?)なんだな、と思ったら隣の人も、そのまた隣の人も好きな花と花言葉を答えていました。えっ何この流れ…もしかしてみんなフラワー系の人…???
とまあ、全員そんな具合に喋っていたのですが、困ったことに順番的に自分が最後に答えることになっていて。幸いにも「コスモス」と「パンジー」の花言葉だけ知っていたので、みんなが「スイートピー」とか「バラ」と答えているあいだ、それらを先に言われないかヒヤヒヤしながら待ってました。
結局どちらも言われずに、自分の番になって「好きな花はコスモスです!花言葉は『乙女の純情』です!」って答えたらみんなに大爆笑されて。あれ、キャラが違うからかな?確かにアタシったら乙女でも純情でもないもんね…汚れつちまつた悲しみに…とか思ってたんですけど、実はドッキリ企画だったと知らされました。おかしいと思ったぜ、みんな花言葉に造詣が深いなんざよぉ!!

このエピソードは非常に印象的に残っています。時々思い出しては、何となくあれこれ考えたりします。なぜ印象的深いのだろうと考えてたんですが、この前ふと思ったのが「あれ、一歩間違えてたらどうなってたんだろうな」ということ。別にいじめようとかそういう気持ちがあったわけではないだろうけど、なにもいきなりドッキリ仕掛けなくてよくないか。無事乗り切れたのが奇跡的でした、これで好きなプロレスラーとか競走馬とか聞かれたら詰んでたよ。力道山とマンハッタンカフェしか知らんもん。

ちなみになぜコスモスとパンジーの花言葉を知っていたかと言うと、前者はミスチルの曲「花言葉」で、後者は高橋留美子のラブコメ「めぞん一刻」に出てきたからなのですね。彼らに感謝。人生でドッキリをされたのは、これが最初で最後でした。別に不愉快になったわけではないですが、どうも何となく引っかかっているわけです。面白かったけど、もしかしたら事故だったよな、と。


さらに全然関係ない話。
自分がやっていることの意味って何だろうって思います。別にこれは働くのが不毛に思うとか、やたら人生が虚しくなったとか、突然宗教に入ったってわけではないです。落ち着いて最後まで拙者の話を聞いて下され、後生でござるよ。

個人的な話で恐縮ですが、私はいま子どもの臨床を中心にやっています。そこで訓練を受けていると、子ども時代の重要性を叩きこまれるわけです。まだ小さい子どもが、いかに強烈な不安や苛立ちといったネガティブな感情を体験しているか、あるいはいかに場の雰囲気を敏感に察するか。そういうことに気づかされます。

でもそれが、なぜか長続きしません。「まあでもしょうがないよね」みたいな気持ちが勝つ。子どもが泣いていても「しょうがない」、傷ついた子どもが辛い思いをしても「しょうがない」。そういった思考が私の頭に去来するのです。
この現象を私は「自分の中のしょうがないマン」と呼んでいます。しょうがないマンは強いです、決して滅ぼされることのないダークヒーローです、喩えるなら「バットマン」のジョーカー、「ジョジョ」のディオ、「チャージマン研」のジュラル星人のような存在です、最後のは違いますかね、弱いし。
自分が悲しくなったり腹が立ったりしたときにも、どこからともなく現れて「それは、しょうがないよ...」と甘美な声(CV:大塚明夫)で呼び掛けてくるのです。そしてその声に靡き、ペルセポネのように冥界へ引き込まれていくのです。

私にとって、このしょうがないマンが本当に手ごわい。どんなに「いや、それはおかしい」「理不尽だろ」という強い気持ちが湧き上がっても、しょうがないマンがしょうがない光線を放つことで薙ぎ払われて、あたりにはぺんぺん草1本も生えないのです。なんと悲しいことじゃ、この世は終わりじゃ。目を盲たわしの代わりに見ておくれ。オババ様…。

つい話が逸れてしまいます、私の悪い癖です。
この「しょうがないマン」に、いつか打ち克てる日が来るのだろうか。そんなことを考える日々が続いていて。もちろん自分がやっていることに全く意味がないとは思いません。わかんないけど、なんとなく誰かの役に立つこともあるだろうし、自分でも意味があることをやっていると感じている。しかしふと立ち止まって「あれ、本当にこれでいいんだっけ」と不安になった時、右肩あたりにしょうがないマンが鎮座ましまして「それは、考えてもしょうがないよ」と、耳元でとてもいい声(CV:阿部寛)で語り掛けてくるのです。抗うこといと難し、首ねぢきつてすててんげり。


そんなことを最近考えながら生きています、生きるのは大変ですが、確定申告はもっと大変です。え?追加徴税!?それはしょうがなくねぇよ!!!!!!!

さらに余談。
調べたらマンハッタンカフェって今日が誕生日なんですね、なんという偶然。ありがとうマンハッタンカフェ、おめでとうマンハッタンカフェ。